■ 広丘(旧広丘村、現塩尻市)は「近代短歌のふるさと」といわれています。広丘を中心として松本平から諏訪にかけて多くの歌人を輩出したことに拠るとのことです。
広丘にある塩尻短歌館(写真)は平成4年に開館しました。塩尻市大門にあった旧家を移築したものだそうです。説明板によると建設は明治元年(1868年)とのこと。立派な本棟造りです。今日(30日)久しぶりに出かけてみました。
展示の様子(蔵造りの展示棟)許可を得て撮影しました。
短歌館にはこの地に生まれた歌人太田水穂や若山喜志子(牧水夫人)、上諏訪町出身の島木赤彦(伊東豊雄設計の記念館が諏訪湖のほとりにあります)、松本市和田出身の窪田空穂(生家の向かいに柳沢孝彦設計の記念館があります)、湖みどり(喜志子の妹)、若山牧水らの資料が展示されています。
本棟造りの本館の後ろにある「いきいき学び庵」には短歌フォーラムで入選した小中高生の作品が展示されていました(塩尻では毎年夏に短歌フォーラムを開催しています)。
館内には、全国から寄贈されたという歌集を集めたコーナーもあります。数千冊もの歌集が書棚に納められています。短歌が趣味なんていいですね~。
命ひとつ
露にまみれて
野をぞ行く
はてなきものを
追ふごとくにも
太田水穂の短歌をメモしてきました。こんな気持ちで仕事に取り組めたらいいなって、仕事人間な私の感想です。
■ 昨年末から年明けにかけてなぜ古今「東西」なのかについて考えていた。古来から太陽を(神として)崇拝する日本人の心的傾向、メンタリティーと大いに関係がある、と私なりに結論付けた。
登山をすると山小屋の外であるいは山頂で昇る朝日、御来光に手を合わせる。「初日の出」を毎年意識する。太陽のことをお天道様と言ったりもする。これらには太陽に対する特別な想いが出ている。東志向。
東志向な日本人だが、同時に「北」志向でもあることは、演歌が好んで北を歌うことにも表れている。「北国の春」、「北帰行」。「帰ってこいよ」で松村和子は都会から北へ帰って来いよと歌う。
この「北」がただ単に方角を表すことばではないことは明らかだ。「北」は故郷、日本人の心の奥底にある原風景としての故郷を象徴している。
「北」は「奥」と言い換えてもいいだろう。先日安楽寺で考えたのはこのことだった。安心できるのは「中心」ではなく「周辺、隅」、そして「奥」。そう、心の拠り所は「奥」にあるのだ。
被災者が町の広い体育館に避難する時、まず壁際に場所取りすることにも中心、中央ではなく隅が心が落ち着き安心できる場所であることが現れている。
別所温泉は塩田平の隅にあり、安楽寺はその温泉街の奥にある。この寺は日本人の「奥」志向が具現化されている。なにもこの寺に限ったことではないが。
古今「東西」から「北」、「奥」へと彷徨う・・・。
登山をすると山小屋の外であるいは山頂で昇る朝日、御来光に手を合わせる。「初日の出」を毎年意識する。太陽のことをお天道様と言ったりもする。これらには太陽に対する特別な想いが出ている。東志向。
東志向な日本人だが、同時に「北」志向でもあることは、演歌が好んで北を歌うことにも表れている。「北国の春」、「北帰行」。「帰ってこいよ」で松村和子は都会から北へ帰って来いよと歌う。
この「北」がただ単に方角を表すことばではないことは明らかだ。「北」は故郷、日本人の心の奥底にある原風景としての故郷を象徴している。
「北」は「奥」と言い換えてもいいだろう。先日安楽寺で考えたのはこのことだった。安心できるのは「中心」ではなく「周辺、隅」、そして「奥」。そう、心の拠り所は「奥」にあるのだ。
被災者が町の広い体育館に避難する時、まず壁際に場所取りすることにも中心、中央ではなく隅が心が落ち着き安心できる場所であることが現れている。
別所温泉は塩田平の隅にあり、安楽寺はその温泉街の奥にある。この寺は日本人の「奥」志向が具現化されている。なにもこの寺に限ったことではないが。
古今「東西」から「北」、「奥」へと彷徨う・・・。