■ 三九郎について書いた過去ログにコメントをいただきましたが、改めて三九郎でこのブログの過去ログを検索してみたらいくつかの記事がヒットしました。
前稿に書いたように松本地方で「三九郎」と呼んでいる伝統的な行事は「どんど焼き」というのが一般的な呼び名のようですが、新潟では「さいの神」と呼んでいるそうです。新潟県の魚沼市と糸魚川市の知人に訊いて分かりました。さいにあてる漢字は塞でしょうか。
「三九郎」のエリアを知りたくて、知人・友人に訊いています。JRの大糸線沿いの大町方面ではどこで「どんど焼き」に変わるのか(①)、篠ノ井線沿いの長野方面ではどうか(②)、中央西線沿いの木曽方面ではどうか(③)。
できれば今月中に調べたいと思っています。
①については小谷村、白馬村ではどんど焼きと呼んでいることが分かりました。両村より松本寄りの大町市でもどんど焼きと呼んでいるとのことでしたが、「おんべ(御幣)」と呼んでいる地域もあることが分かりました。
では更に松本寄りの池田町や松川村(安曇野ちひろ美術館の所在地)ではどうでしょうか・・・。
池田町では昔はどんど焼きと呼んでいたそうですが、最近では三九郎と呼ぶようになってきた、という情報を得ました。どうもこの辺りに三九郎とどんど焼きの線を引くことが出来そうです。松川村では三九郎、との情報も得ました(さらに複数の情報を得て正確を期す必要がありそうですが)。
②についてはまだ分かりません。地図を見ないと町村の位置関係が分からない地域なんです。
③については木曽方面への入り口となる塩尻市では三九郎、木曽町ではどんど焼きと呼ぶことがわかっています。塩尻市と合併した旧楢川村(奈良井宿の所在地)と木祖村とは鳥居峠で分断されていますが、この峠が三九郎とどんど焼きも分けているのでは、と予測しています。
だらだらと前稿と同じようなことを書いてしまいましたが、ここから本題に入ります。
写真は今月7日付の市民タイムス(松本地方のローカル新聞)に掲載されたものです。
木曽町日義(旧日義村)のどんど焼きの写真ですが、ユニークな形をしていますね。この写真を見たとき、日本の五重塔のルーツ、インドのストゥーパ(卒塔婆)が浮かびました。
でも、この形から深い意味を読みとろうなどと考えない方がいいのかもしれません。
新聞記事によると10年ほど前にこのような昔の形に戻したそうです。真ん中の柱は「御柱」、その上部には御幣(おんべ)が飾ってあるそうです。松本と塩尻にまたがる内田地区の飾り御柱にも御幣が飾ってありました。そして前述のように大町にはどんど焼きのことをおんべと呼ぶ地域もあるそうですから、やはりどんど焼きと御柱、そして御幣は関係があるんですね。
どんど焼きは正月にしめ縄を頼りに降りて来た神様(年神様)をお送りする神事という見方もある伝統的な行事で、全国的に行われています。地方によって呼び名はもちろん、形も違っているようですから、写真を集めて日本地図上にマッピングしてみたら面白いでしょうね。