一茶の銅像と記念館
■ 小林一茶、江戸時代の俳人は北信濃 柏原村(現信濃町)の出身ですね。信濃町には一茶記念館がありますが、そこには一茶の銅像が立っています(090404撮影)。
一茶は3歳の時に母親を亡くし、15歳のとき江戸に奉公に出されるんですね。こんなことは知りませんでしたが、俄か勉強で知りました。50歳で帰郷、52歳で結婚して3人の子どもに恵まれましたが、3人とも幼少の頃に亡くなってしまい、まもなく奥さんも亡くなってしまいます。再婚するも数か月で離婚。再々婚しますが、どうもあまり幸福な人生ではなかったようです。
我ときて遊べや親のない雀 という句には一茶の孤独な心が投影されているのでしょう。私はこの句が好きです。
ところで松本清張の『影の地帯』という推理小説には木崎湖や青木湖と共に重要な場所として柏原が出てきます。そしてこんなくだりがあります。
**木南は、「一茶旧宅跡」と書かれた標識の傍を歩いた。旧宅はすぐだった。くずれかけた土蔵のような造りである。これが、信州の生んだ一世の俳人の生家かと思って見ると、いかにも彼らしい建物であった。**
先日ラジオの番組で、思ふ人のそばに割り込む炬燵かな という一茶の句が紹介されました。 一茶はこんな句もつくっていたんですね。一体どんな状況のときにつくった句なんでしょう・・・。
今回はこの句を記録しておきたかったんです。