透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

166 立科の火の見櫓

2011-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい

  
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 今月読み続けている漱石の『吾輩は猫である』に次のようなくだりがある。

**ますます神の全知全能を承認するように傾いた事実がある。それはほかでもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界じゅうに一人もいない。顔の道具はむろんきまっている、大きさも大概は似たり寄ったりである。(中略)よくもまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついたものだと思うと、製造家の伎倆に感服せざるをえない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化はできんのである。**(164頁)

火の見櫓の観察を続けていると、同じ想いを抱く。 


Tさんに謝謝。


「吾輩は猫である」

2011-06-25 | A 読書日記

 

 今月は毎日少しずつ『吾輩は猫である』を読んでいる。この小説を読むのはたぶん3回目。 

名前のない猫の飼い主、苦紗弥先生は英語教師。モデルは漱石自身。そして猫は漱石を客体化して観察するもうひとりの漱石。ビートたけしを客観視する北野武と同じだ。

猫が台所で今まで一ぺんも口にいれたことがない雑煮を食べたもののかみ切れず、前足を使って餅を払い落そうとあと足二本で立って台所じゅうあちら、こちらと飛んで回るという、まるで赤塚不二夫のニャロメのようなシーンが早々に出てくる。ここで笑った。

読み進むと苦紗弥先生の家に夜中に泥棒が侵入するという「事件」が起きる。泥棒は先生の枕元に大切そうに置いてあった箱と、奥さんの着物や帯を盗んでいく。箱の中身は価値ある書画骨董の類かと思いきや、山芋だった・・・。実際に漱石家には泥棒が入ったそうで、小説同様、奥さんの帯や着物を盗んでいったという。

**先生この猫をわたしにくんなさらんか。こうして置いたっちゃなんの役にも立ちませんばい**と多々良さんに言われて(179頁)、鼠も捕らず、泥棒が来ても知らせようとしない猫はピンチに陥る・・・。

今月中に読了できるかどうか。




『環境デザイン講義』 内藤廣/王国社 読了。