透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「古寺巡礼」を再読しよう

2013-10-17 | A 読書日記



 『神も仏も大好きな日本人』島田裕巳/ちくま新書を読み始めたが、著者は和辻哲郎の『古寺巡礼』についてふれていて、**今日、奈良を観光で訪れ、そこにある古寺をめぐろうとする人たちは、『古寺巡礼』を携えていくかもしれない。今でもこの本は、奈良の古寺にある仏像を鑑賞する際の格好のガイドになっている。**(028頁)と書いている。ならば、この機会に再読してみようと思う。京都・奈良旅行までまだ1ヶ月ある。



『古寺巡礼』をこの文庫本で初めて読んだのは1979年の4月のことだった(あの頃ぼくは若かった・・・)。解説文によると『古寺巡礼』は和辻哲郎が三十歳の時に岩波から出版されたという。前年、つまり和辻が二十代最後の年に友人と訪ねた奈良の古寺を見物した時の印象記だという。

パラパラと頁を繰って、拾い読みをしてみる。若き和辻哲郎の観察眼・鑑賞眼は一体何に依るのだろう・・・。


先日読んだ『仏像の顔』清水眞澄/岩波新書でもこの本に触れていた。法隆寺夢殿の救世観音についての見解・評価がフェノロサと和辻とで違っているのは、仏像に関する感性が違うから、としていた。

『古寺巡礼』過去ログ←クリック



 


郷学の恩師の貴き訓え

2013-10-16 | A あれこれ

■ 葉室麟の時代小説には必ず印象に残る言葉がいくつもある。この小説にも例えば次のような台詞がある。

**「わたしは、幼いころから母と別れ別れに暮らしてきました。それが、先日ようやく会うことができたのです。その時、思いました。一緒に暮らせなくても、わたしのことを大切に思ってくれるひとがいる。だから、自分を嫌ってはいけないのだ。それは自分を大切に思うひとの心を大事にしないことになるから、と」**(288頁) とても素直な気持ちでこのような台詞に頷くことができるのはこの作家の力量であろう。

郷学(学問所)の師・梶与五郎が隣の藩で何者かに殺害された・・・。恩師の死の真相を知るために、名誉回復のために命をかけるかつての教え子の藩士・筒井恭平。

『柚子の花咲く』 朝日時代小説文庫はよく練られたミステリー小説であり、泣かせる恋愛小説でもある。

**「父上、母上。わたしは、このたびのお役目を無事果たせましたら、嫁をもらいますのでご承知おきください」
(中略)
「嫁にいたす女の身分は百姓です。いったん嫁いで離縁しましたゆえ、世間で言う出戻りです。しかし、わたしは嫁にいたします」
恭平はきっぱりと言ったうえで、念を押すように、
「よろしゅうございますな」
と声を張り上げた。汗と土埃に汚れ、真っ黒になった息子がゆるぎなく言う言葉に四郎兵衛とかねは気圧された。
四郎兵衛は思わず、
「よかろう」
と言ってしまった。恭平はにこりと笑うと踵を返して、玄関から出ていった。その背に向かって、かねが声をかけた。
一度決めたことは、しっかり果たしなされ」**(332、333頁)

終盤のこの場面。母親のかねが息子にかけたこの言葉に涙が浮かんだ。なんだか一年前に亡くなった自分の母親の言葉のように感じて・・・。

緊迫のラスト、そして大団円。そして小説のタイトル「柚子の花咲く」がすくっと眼の前に立ちあがる・・・。


 


いにしえの人びとの暮らしを想う

2013-10-14 | B 石神・石仏

 松本市に境を接する朝日村、その山際の集落の道路沿いに不動尊碑、二拾三夜塔、庚申塔などの石仏が祀られていることに先日気がついた。今日改めて出かけてきた。





存在感のある庚申塔だ。高さ140cm、幅80cmの大きさ。石面いっぱいに彫り込んである楷書の文字から実直な人柄がうかがえる。

文字の上のふたつの。よく見ると左は月だと分かる。月と日、それに猿と鶏は庚申塔に欠かせないアイテムだ。右側に寛政十二年 上講中、左側に十二月十二日 とある。

この年は西暦1800年。庚申の年で、江戸時代が終わるおよそ70年前。この石塔はもうそのころにはこの地に集落か形成されていたということを示している。

自然に同化する茅葺きの民家、美しい光景だっただろう。そして、そこには人々の素朴な暮らしがあった・・・。


 


葉室麟の「柚子の花咲く」を読む

2013-10-13 | A 読書日記



 『柚子の花咲く』 葉室麟/朝日文庫 を読み始めた。

**女はそう言うと袂から出した結び文をすばやく渡した。恭平は大根を頬張りながら、さりげなく結び文を開いた。そこには、
――明朝、明六ッ、庚申堂にてお待ち申し上げ候
と女文字で書かれていた。
庚申堂とは青面金剛を祀った堂宇である。近隣のひとびとが庚申の夜、一晩中、起きて<庚申待>を行う。庚申の夜に寝ると体内にいる三尸が罪を上帝に告げて命を縮めるという。鮎川宿のはずれにも庚申堂があった。
琴からの呼び出しの手紙だった。
(先生と孫六は同じように呼び出されて斬られた)
と思うと、背中に冷や汗が出て、一気に酔いがさめていった。**(97頁)

なぜか不思議なことに、あることに関心を持つとそれに関することに出合うことが急に多くなるような気がする。まさか小説に庚申待のことが出てくるとは思ってもいなかったので、この箇所を読んだときにはビックリした。庚申待のことが簡潔に説明されている。

**悲恋、斬殺、青春、剣戟、師弟愛、謎解き・・・・・・。贅沢すぎる一級エンタテイメントです!**と帯にある。

この作家の作品に出合うことができて良かった・・・。


 


庚申塔・道祖神

2013-10-13 | B 石神・石仏

 昨日(12日)の午前中、塩尻のえんぱーく(図書館が主機能の複合施設、塩尻市市民交流センター)で庚申塔と道祖神に関する資料を調べて過ごした。

庚申塔 昭和55年の庚申の年に長野県では449基の庚申塔が建てられたという。これは全国で一番多い数だ。次いで新潟県の159基、その次は静岡県だが、数はぐっと減って17基(「日本の石仏」1986年夏による)。長野県がいかに多いかが分かる。 私の住む鄙里にもこの年に祀られた庚申塔が数基ある。なぜ長野県に庚申塔が多いのだろう・・・。きっと理由があるはずだ。また、同誌によると埼玉県内には現存最古、今からおよそ540年前の庚申塔があるとのこと。

道祖神 家内安全、無病息災、子孫繁栄、五穀豊穣などあらゆることを願う神様だが、元々は集落の境に祀って、悪霊の侵入を防ぐことを願う神様(守護神)だと理解している。

韓国にも同様の役目をする守護神があることを知った。集落の入り口をはさんで男女の形をとる人形風の木彫りの像が立っているところがあるそうだ。チャンスン←クリック

また、タイ西南部に住むアカ族の村の入口の道に鳥居状のロコンと呼ばれるものがあって、その前には男女の祖先像が向かいあっているという。

前にアツアツのカップルには悪霊も近づかないと何かで読んだが(道祖神のデザインはこの考え方によるもの)、このような考え方は日本だけでなく、韓国やタイにもあるということだろう。そしてもしかしたら他の国にもあるのかもしれない・・・。

一方、仁王像は怖い顔で立っている。狛犬も同様だ(中にはユーモラスな表情のものもあるようだが)。こちらは悪霊を威嚇することで侵入を防ごうとする発想だろう。ピラミッド(王の墓)を守るスフィンクス然り。

道祖神は悪霊を近づけないということではこれらのものと同じだが、その方法が違う。なんというか、平和的な解決というか・・・。「北風と太陽」のものがたりに通じる。北風のように力ずくで悪霊を押さえこもうという姿勢の仁王像と太陽のような振舞いの道祖神・・・。




 


洗馬の石神石仏

2013-10-12 | B 石神・石仏


塩尻市洗馬 撮影日131012

 石神石仏をまとめて祀ってある。その数10基。元々あった場所から何らかの理由で移したのかもしれない。

今回は左から2番目の庚申塔と右から3番目の不動尊明王を載せる(以前中央の双体道祖神を載せた)。

まず庚申碑から

大きさを測り、石質も調べるべきだろうが、省略した。毎回同じことを書いているが、勢いのある文字だ。古い庚申塔にはくずした文字(草書)が多いように思う。左側面に建立した年月が安政七年二月彫り込んであった(写真)。西暦で1860年は江戸時代最後の庚申の年。この年の3月には万延に年号を改めている。庚申の年には早々と年号を改めたと以前何かで読んだような気がする。

  


次は不動尊明王と彫り込まれた文字碑

  

不動明王は密教の尊像である大日如来の化身。右側面に寛政十二庚申年八月とある。西暦1800年で確かに庚申の年。文字はあまり達筆ではないと思うが、素朴な味がある。

不動明王は庚申の主尊の青面金剛と同じように憤怒の相で似ている。両者何か関係があるのかもしれないが、今のところ全く分からない・・・。


 


439 塩尻市洗馬の火の見櫓

2013-10-12 | A 火の見櫓っておもしろい

 
439 塩尻市洗馬 撮影日131012

 ただ単に火の見櫓を写すだけでなく、どんなところに立っているのか分かるように周辺の様子も写しこむ。火の見櫓観察のポイントに「周辺の様子・環境」がある。



櫓のてっぺんの横架材に木の腕木を取り付けて半鐘と木槌を吊るし、簡単な切妻屋根を掛けている。残念なことに屋根葺き材の鋼板が下の写真の通り、脚元に落ちていた。木製の屋根下地材は腐っていて、なんとも寂しい姿をさらしている。きちんと修理してあれば感激しただろうに・・・。



3本の各脚に小さな独立基礎があった。

この辺りを訪れたのは初めて。


 


「仏像の顔」

2013-10-12 | A 読書日記


『仏像の顔』 清水眞澄/岩波新書

 **阿弥陀如来像を見てみましょう。頭部が大きく、比較的面巾が広い角ばった顔で、両眼の間、眉と眼の間を広くとっているのと、頬の丸みによって一見して童顔に見えます。伏目がちの眼はよく見ると二重ですが、眼元をはっきりさせるほどの効果は発揮していません。鼻梁は細く、口角を上げた薄い唇は飛鳥時代の「仰月形」の唇に近いといえる一方で、薄手の納衣を通して見える柔らかな肉体やなだらかな衣文の表現は、すでに飛鳥時代を離れて新たな時代の感性が感じられます。**(65、66頁) これは法隆寺伝橘夫人念持仏阿弥陀如来像の顔の観察文。

本書ではこのように各時代(飛鳥、白鳳、天平、平安前期、平安後期、鎌倉)の代表的な仏像を詳細に観察し、それぞれの時代の顔の特徴を論じてる。

本書によって白鳳時代以降のほとんどの仏像に見られる「蒙古襞(もうこひだ)」と呼ばれる目頭の上瞼が下瞼にかぶさっている特徴のことや、「杏仁形(きょうにんけい)」と呼ばれる眼の形、「仰月形(ぎょうげつけい)」と呼ばれる上弦の月を意味する唇の形、上のイラストの額の丸い部分で仏像を象徴するとされる印、「白毫相(びゃくごうそう)」などのことを知った。

これらは仏像観察に欠かせない基礎的な知識なのかもしれない。11月の京都・奈良での仏像観察の際に有用であろう。サピア=ウォーフの仮設などに依らずとも、ものごとを理解するということは言語化することであるから、理解の程度が言葉(知識)の多少に左右されることが分かる。

**非常に個性的で強さが前面に出ている像が多いように思われます。国家の威厳を求めた天平の世から、一律の価値観がゆらぐ平安の世へと、時代が大きく転換したことを示していると感じさせます。**(117頁)

本書では平安時代初期の仏像の顔についてこのように論じている。仏像の顔の表情にはその時代の社会情勢や価値観が反映されているということだ。

内容が深すぎず、浅すぎず、一般社会人の教養書にふさわしい。好著。


 


438 筑北村昭和町の火の見櫓

2013-10-11 | A 火の見櫓っておもしろい

 
438 東筑摩郡筑北村昭和町

 JR篠ノ井線の坂北駅は昭和2年に開業したと地元の方に伺いました。当時10軒に満たなかった駅周辺の住宅もその後増えてひとつの集落を形成するに至ったんですね。昭和町という地区名を不思議に思っていましたが、このことに由来しているようです。

昭和初期に始まったこの地区の歴史を見守り続けてきた火の見櫓。そう思うと何だかとても愛おしく感じます。別にこの火の見櫓に限ったことではなくて、すべての火の見櫓がそうなんですよね・・・。


 


今日は何の日

2013-10-08 | A 読書日記



 朝5時から始まるNHKのラジオ番組「ラジオあさいちばん」をよく聞きます。番組に「今日は何の日」というコーナーがあって、過去の出来事が5つくらいでしょうか、紹介されます。

今日10月8日は十と八ということで木の日、昭和52年に決められたことが紹介されました。で、今日は何か木に関係することを書こうと朝から思っていました。

『木をめぐる対話 +(プラス)』というこの本は木族Networks(旧木材活用推進協議会)発行で非売品です。東京の友人が数冊入手していたそうで、1冊貰いました。

隈 研吾、内籐廣、小嶋一浩、藤森照信、北川原温、安藤忠雄、・・・。よく名前を知られた建築家が木に関する講演を行い、その後、馬場璋造氏と対談(鼎談)を行うというスタイルのシンポジウムをまとめた本です。シンポジウムは2005年から2012年にかけて9回行われています。

とりあえずざっと目を通してみましたが、木に対する考え方・認識、設計での木の扱い方などがひとりひとり違っていてなかなか興味深い内容です。

『仏像の顔』 清水眞澄/岩波新書を読み終えたら読もうと思います。


 


カバーデザイン

2013-10-07 | A あれこれ



 前稿で蜜波羅伸三さんの展覧会を紹介しました。会場には本のカバーデザインの原画も資料として展示されていました。その内の1点がこの作品です。松本清張の『喪失の儀礼』新潮文庫。

中学生のころから松本清張の推理小説を読んできました。これは1981年の4月に買い求めた本ですから、もう30年以上も前のことになります。カバーの折り返しを見ると確かに「カバー 蜜波羅伸三」とあります。暗い色使い、黒い輪がミステリアスな雰囲気です。

当時はまだ20代でした。本に水色のテープが貼ってあります。前にも書きましたが20代のときに買い求めた本にはこの水色、30代の本には緑色、40代の本には黄色のテープが貼ってあります。書棚に並べた時、一目瞭然だと考えて始めたのです。50代は赤色にするつもりだったかどうか・・・。50代になったとき、このテープを扱っていた文具店が無くなってしまって、止めてしまいました。

松本清張の作品は何作も映画化、テレビドラマ化されていますね。「顔」という作品がテレビドラマ化され、先日放送されました。清張作品はいまだに人気があります。

『喪失の儀礼』のストーリーはすっかり忘れてしまっています。再読したいとも思いますが、読みたい本が何冊もあって・・・。