透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「昭和史再掘」保阪正康

2015-10-18 | A 読書日記

 今年は日本史に関する本を読む。

『昭和史再掘 〈昭和人〉の系譜を探る15の鍵』保阪正康/中公文庫の再読を始めた。『昭和史再掘』という書名、これはもしかすると松本清張の『昭和史発掘』を意識しているのかもしれない。

奥付に2004年1月25日初版発行とあるから、そのころに読んだのだろうが、記憶に残っていない。

著者は文庫版まえがきを**昭和という時代を壮大なドラマにたとえてみれば、三幕八場という構成から成りたつのではないだろうか。**と書き始め、一幕を昭和元年から二十年、二幕を昭和二十年八月十五日以降、昭和二十七年四月二十八日までの占領期間、三幕を昭和二十七年から昭和六十四年一月七日の天皇逝去までとしている。

一冊の本から多くのことを学ばなくても良い。このような昭和という時代の区分について知るだけでも十分。

**昭和という舞台には、戦争と平和、貧と富といった相反するテーマもあるし、これまでの人類の歴史が経験したすべてのことが凝縮されている。** 著者の昭和という時代の基本的な捉え方がこのように示されている。

この本にはカバーのふたりのように、有名な人物も登場するし、私の知らない人物も登場する。

著者も**ここに登場した人たちは、有名・無名の差はあるにしても、時代の空気を充分吸って吐いていた人たちばかりである。(中略) たまたま私の目にふれた人たちの人生の瞬間を書いたものにすぎない。**と書いているから、まあ、知らない人物が登場しても、「えっ、この人、知らない・・・」などと、気にすることもないだろう。

昭和という大舞台でどんな人物がどんな役割を演じたのだろう・・・。


今日(18日)の信濃毎日新聞朝刊の読書欄に『昭和史の10大事件』半藤一利、宮部みゆき/東京書籍 が載っていた。この本でふたりは昭和の10大事件として何を挙げているだろう・・・。こちらも読んでみたい。


576 小諸市柏木の火の見櫓

2015-10-16 | A 火の見櫓っておもしろい


576 小諸市柏木 撮影日151012

 軽井沢に向かう途中、国道141号沿いに立つこの火の見櫓に遭遇。 

細身の櫓、中間にカンガルーポケットな踊り場。となると、東信地域でよく見かけるタイプ。半鐘が9個のスピーカーに囲まれている。

脚元、柱部材とアーチ部材を束ねている。このようにアーチ部材を基礎コンクリートまで伸ばしてある。これは好ましい。消防信号板をこの位置に取り付けた意図は分からない。


 


黒部ダムカレー17

2015-10-15 | F ダムカレー



 今回はくろよんロイヤルホテルの黒部ダムカレー。

ホテルのレストランで食事、私のような生活にゆとりのない者が平日にすることではないが、黒部ダムカレーを食べ尽くすプロジェクト実施中につき・・・。

ごはんの堰堤が紫色だが、これは地元大町産の紫米(古代米)。モチモチだった。大型ガルベはやはり大町産の黒豚のカツ。ダムの下流側に半熟たまご。いかにもホテル仕様といった感じの上品でシンプルなカレー。

カレーソースにリンゴジュースとあんずのジャムを加えているとのことで、口にすると、酸味がした。もう少し深い皿で、スプーンにたっぷりルーをすくえる方がいいかな、なんて思ってしまうのは田舎のカールおじさん的感想か・・・。

これで20店舗中、17店舗の黒部ダムカレーを食べた。あと3店舗!



旧カニングハム邸 吉村順三

2015-10-14 | A あれこれ

■ ハーモニーハウスと同じ敷地にあるエロイーズ・カニングハム女史の別荘(現在は貸別荘)の見学もできた。 12日は見学者が約10人。この人たちを写さないように気を使った。

有名な軽井沢の山荘とよく似た空間構成。当日配布された資料によると延床面積は約79.1 ㎡(1階:60.2㎡、2階:18.9㎡)。









「吉村障子」を開けるとリビングは実に開放的な半屋外空間に。





△ 1階玄関脇のベッドルーム オーナーのカニングハム女史の寝室だったそうだ。



△ 2階のベッドルームからリビングルームを見る。



△ 2階のベッドルーム 細長い部屋でベッドが2つ設えてある。



△ 外観 湿気対策として床を高くしてある。




 


ハーモニーハウス その2

2015-10-14 | A あれこれ




△ 音楽ホール内観 宿泊棟と音楽ホールの接続部分、このホールの入口から内部を見る。

左側に食堂(現在はカフェとして使われている:前稿)から上ってくるスロープがある。スロープは折り返して後方2階の展示スペースへ続く。



△ 側壁には大きな暖炉を設えてある。 白いグランドピアノ。どこから見ても美しい空間!



△ スロープの折り返し(踊り場)に立つ。壁面にはこの建築の設計図面が展示されている(展示は期間限定かもしれない)。



△ スロープの踊り場に設けられた窓 実に上手い。



△ ホールのトップライト



△ スロープの途中からホール内を見る。後方に出入口がある。






△ 2階の展示スペースからホールを俯瞰する。

魅力的な空間構成。内装、床はカーペット敷き、壁はプラスター塗り、天井はラワン合板張り。スロープ脇に磨き丸太の柱を建て、屋根の勾配なりに合わせ梁を架け、そこに陸梁を渡すという単純明快な構造。衒いのない空間が心地良さ、美しさにつながっているのだろう。


  次稿で旧カニングハム邸(別荘)を紹介します。


ハーモニーハウス 吉村順三

2015-10-13 | A あれこれ







 吉村順三が軽井沢の別荘地に設計したハーモニーハウス(1983年)と同一敷地内にあるクライアントのエロイーズ・カミングハム女史の別荘の見学会に参加した。

カミングハム女史は宣教師の父親と共に1900年に来日、以降毎年夏を軽井沢で過ごしたそうだ。戦後、子どもたちのために毎月無料でコンサートを開催していたそうで、1983年に音楽を学ぶ若者のために建設したのが、ハーモニーハウス。

120人収容のホール、4室ある宿泊棟、食堂などからなる施設で、今年(2015年)の春から、食堂はカフェとして使用されている(冬季は閉鎖されるそうだ)。

吉村順三の木造建築は簡素な素材を使いながら、絶妙なプロポーションによって、実に居心地のよい空間となっている。

カフェは図面によると9.0m×5.4mの平面寸法で、天井高は2.22m(m単位を使ったが一般的にはmm単位)。天井は岩面吸音板仕上げだが、図面では吉村建築お決まりのラワン合板仕上げになっている。後年、ラワン合板の上に岩綿吸音板を張ったようだ。

ここで昼食をとりながら見学時間になるまでのんびり過ごした。



カフェの外観。2階は展示ホール(下)などとして使われている。





ホールのスロープから見るとこんな様子。以下は次稿で・・・。





宮廷貴族風衣装の道祖神

2015-10-13 | B 石神・石仏

 道祖神を塞神、障神(さえのかみ、さいのかみ)と呼ぶ地方もあるが、塞(ふさ)ぐという漢字から分かる通り、集落に悪霊や厄病神、邪鬼が入ってこないように守る神様だといわれている。あるエリアを守るという役目は狛犬も仁王像も同じ。

道祖神は他にも五穀豊穣、子孫繁栄などの願いを託す神様として、地域の人びとの暮らしに最も身近な存在だ。



昨日(12日)、軽井沢からの帰路、佐久市布施でこの道祖神と出会った。宮廷貴族風衣装を身にまとい、向かって左側の女神が手に大きな酒器を持ち、右側の男神が手に持つ盃に酒を注ぐ様子が彫り込まれ、祝言を表している。表情はやや硬い。



右隣に祀られていたこの道祖神は摩耗が進み、双体だということが分かるのみ。お互いやや内側を向き、握手をしているように見えないこともないが・・・。


 


「日本の仏像」読了

2015-10-12 | A 読書日記


『日本の仏像 飛鳥・白鳳・天平の祈りと美』長岡龍作/中公新書

 来週末(23、24日)に迫った京都旅行の「事前学習」のつもりで読んでみたが、なんというか、骨太で硬い内容で読み応えのある本だった。仏像そのものの鑑賞ガイドというよりは、「人びとはなぜ仏像を造ってきたのか」という基本的な問いの答えを探るという内容。

本書で取り上げているのは法隆寺の釈迦三尊像や薬師寺の薬師三尊像など、有名なものが中心。だが、仏像と飛鳥時代、奈良時代に関する基礎的な、いや、かなりの知識がないと読みこなせない。どちらの知識もない私などはただ字面を追うことに終始して終わり・・・。

この本の要点を挙げよ、と言われれば、第七章「救済のかたちと場所」の最後、**仏像は祈りのためにある。祈りの心を喚起するのが仏像の役割だ。深い信心を仏像へ寄せるために会いたい人の姿をそこに重ねる、それは釈迦への篤い思慕が仏像を造らせたという、仏像の始まりの物語と同じ心によるものだ。**(261頁) を挙げる。


来週末の京都旅行が楽しみ。 どんなことをテーマにメモを取ろうか、写真を撮ろうか、思案中。 


「顔」

2015-10-11 | C 狛犬



















 先日再訪した安曇野市三郷の住吉神社と昨日(10日)出かけた松本市神田の千鹿頭神社、それからしばらく前に出かけた塩尻市の阿礼神社と三嶋山神社、計4社の狛犬の顔の比較です。

まったく違いますね~。人の顔が皆違うように狛犬の顔も皆違うんですよね。そこがおもしろいのです。

狛犬って何?と言う状況で石工は「想像力」と「創造力」を目いっぱい活かしていろんな顔を彫ったんでしょうね。

江戸時代以前、獅子(阿形の狛犬)・ライオンなんて見たこともない動物だったでしょうし、狛犬(吽形の狛犬)は想像上の動物なんですから・・・。


 


「下社秋宮の狛犬、きれいに」

2015-10-11 | D 新聞を読んで


撮影日150927


10月10日付信濃毎日新聞32面より

 諏訪大社下社秋宮の狛犬を洗浄したという記事が載っていた。この記事で9月27日に出かけた諏訪大社下社秋宮の狛犬のことが分かった。

記事によると、この狛犬は諏訪郡原村出身の彫刻家清水多嘉示が1930年(昭和5年)に奉納したという。太平洋戦争時に供出したが、1960年(昭和35年)に清水自身が復元、間組が黒部ダム建設(*1)の安全祈願で寄進したという。なるほど、こういう経緯があったのか・・・。全国各地で戦争時に供出した狛犬は少なくないようだ。

この狛犬が彫刻家清水多嘉示の作品で、昭和35年に奉納されたということは分かっていたが、間組が黒部ダム建設の安全祈願のために寄進したことはこの記事を読むまで知らなかった。

太平洋戦争と黒部ダム建設、この狛犬は大きな昭和の歴史を負うている・・・。

きれいになった狛犬に会いに行こう!


*1 黒部ダム:着工1956年(昭和31年)、竣工1963年(昭和38年) 間組が狛犬を寄進した昭和35年は昼夜問わず、ダム堰堤のコンクリート打設が続いた。一日に約8,600㎥ という驚異的な打設量だったという。


松本市神田 千鹿頭神社の狛犬

2015-10-10 | C 狛犬

 





神田側、朱塗りの鳥居の先に続く参道というか、山道を歩くこと10分近く。ようやく千鹿頭山の尾根に鎮座する千鹿頭神社に着きました。




縦に並ぶ拝殿


神田側社殿(右)と林・大嵩崎側社殿(左)。共に松本市の重要文化財(平成7年)。


社殿二社を背面から望む。手前に御柱が2本立っています。

千鹿頭神社の沿革を記した説明板によると、創建は明らかではなく、太古の昔より諏訪信仰に深く連なる千鹿頭大神を祀り伝えてきた社だそうです。松本藩領だった神田村以南の地が元和4年(1618年)に諏訪高島藩領に移され、その境界が千鹿頭山の尾根とされたために社殿二社が並び立つ形となったそうです(ネット上には藩領分割の前から社殿は2社並立していたとする異説がありました)。



茅葺き屋根の拝殿の補強に火の見櫓で馴染みのリング式ターンバックル付きの丸鋼ブレースが使われていました。




さて、この神社を守護している狛犬ですが、右側が口を閉じた吽形で、左側が口を開いた阿形になっていました。普通とは逆です。










頭のてっぺんにぽちっと宝珠(だと思います)が載っています。



玉垣が狛犬のすぐ近くに迫っているために、観察するのに支障がありました。どうも狛犬の注目度が低いようで・・・。

狛犬研究家・のぶさんの記事によると、この狛犬は寛政7年(1795年)生まれで、結構古いようです。なかなか表情豊かな狛犬です。阿形は笑顔そのものですね。