透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「利己的な遺伝子」を読む

2016-06-05 | A 読書日記



 リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店を読む。

え、今ごろ? と思われるかもしれない。そう、今ごろ。でも、まあ、読みたい時が読みごろということで。奥付を見ると、発行が1991年となっている(第2版)。ということは25年も前だ。かなり話題になった本で、読んでみたいと思ってはいたものの、今まで書棚に収めたままだった。

**われわれは生存機械――遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。** この本が出版された1976年版へのまえがきに著者はこのように書いている。よく知られている1節だ。この部分だけが独り歩きした感もなくはない。

著者は私のような一般的な読者、門外漢のために専門用語をほとんどまったく使わないようにしたということも前書きに書いている。この言葉を信じて読んでみよう。進化生物学どころか、生物学に関しては何も知らないが・・・。

この本の目次は次の通り

人はなぜいるのか
自己複製子
不滅のコイル
遺伝子機械
攻撃―安定性と利己的機械
遺伝子道
家族計画
世代間の争い
雄と雌の争い
ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう
ミーム―新登場の自己複製子
気のいい奴が一番になる
遺伝子の長い腕

目次から、硬い理系本ではなく、楽しい読み物という雰囲気が伝わってくる。そうだといいのだが。


 4500

 カテゴリー別の記事の数を電卓叩いて合計して確認した。合っている、本稿でちょうど4500稿。
目指せ、5000稿! 


ウッド・ラック

2016-06-04 | A あれこれ



■ 建築の一義的な目的は人の生命を守ることである。だが、大きな地震が発生するたびに家屋が倒壊し、その下敷きになって人が命を失う。であれば、木造住宅全体を倒壊しないように造ることをあきらめて、いや、木造住宅は巨大地震で倒壊してしまうことを前提に安全を確保することを考えることの方が、現実的というか合理的なのかもしれない。

実際に木造住宅よりはるかに耐震強度のあるシェルターを住宅の中に入れ子のようにつくることで安全を確保するという発想に基づく製品がある。

キャンプや登山で使うテントに断熱性能を求めるのではなく、それはシュラフで対応するという機能分担と同じ考え方だ。

カタログをスキャンして載せた。これはウッド・ラックという製品。wood rack? いや、wood luck 

good luckに掛けたのかも。きっとそうだ。


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ブックレビュー 1605

2016-06-02 | A ブックレビュー

 5月の読了本は以下の4冊。まあ、毎月このくらい読めばいいかな、と思う。


『途中下車の味』宮脇俊三/新潮文庫

著者が若い編集者とともに万事未定(というわけでもないが)の旅へ出かける。9回の旅行で日本列島の北海道、本州、四国、九州をほぼ縦断している。下車駅未定、宿泊地未定の旅を私もしてみたい。



『山行記』南木佳士/文春文庫 

南木佳士の作品は文春文庫になると読んでいたが、カバー折り返しの作品リストを見ると最近の5作を読んでいない。『草すべり』は読んでみたい小説だ。松本駅前の丸善に出かけなくては・・・。他にも読みたい小説がある。


 
『伊勢神宮 東アジアのアマテラス』千田 稔/中公新書

**道教の最高神はその名が時代とともに変わるが北極星を象徴化している、つまり星の宗教である。星の宗教である道教が、日神アマテラスの祭祀にとりれられるということが現実になされたのだ。「星の宗教」の「太陽の宗教」への変換的受容といってよい現象が、古代日本においてみられたという事実は注目すべきである。**(66頁) 

第一章「アマテラスの旅路」と第二章「中国思想と神宮」が本書では興味深い。 アマテラスの原型を東アジアに求める論考。



『道草』夏目漱石/新潮文庫

『道草』は長年漱石の心の負担となっていた養父との問題をモチーフとして書かれている。4歳(*1)で塩原昌之助・やす夫妻の養子に出されるも、夫婦が離婚したために籍を残したまま、9歳の時に生家に帰ったという漱石。その後塩原は夏目家というか、漱石に金銭的援助を求め続けた。この復籍に関する書類を紐解く場面が『草枕』に出てくる。

**「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ、色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」**(268頁)『道草』のラストで主人公の健三(漱石自身)は奥さんに向かって吐き出す様に言う。

漱石の心の奥底には暗い闇が広がっていたようだ。仲間と楽しく語っているときでも、ふと「孤独」が漱石の心を占める。あの「猫」にさえ孤独が見え隠れしているという。そうなのか・・・。

(過去ログ再掲)


 *1 『硝子戸の中』によると、漱石は生まれたまもなく里に遣られるが、しばらくして取り戻される。そして**然しじき又ある家へ養子に遣られた。それは慥(たしか)私の四つの歳であったように思う。**(73頁)とのことだ。

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ほお葉巻き

2016-06-02 | A あれこれ

 
木曽の郷土食、ほお葉巻き           朴(ホオ)の木の花と葉

 ほお葉巻きは米粉をこねた生地にあずき餡をつめて団子状にしてそれを朴の葉に包み、蒸してつくる郷土食です(つくり方:
過去ログ)。 昔はどこの家庭でもつくっていたそうですが、最近はあまりつくらなくなったとか。朴の葉は小さすぎても、大きくなりすぎてもいけないですから、本当に期間限定です。

今年もほお葉巻きを食べる機会がありました。 家人が木曽で買い求めてきたのです。よく素朴な味という表現をしますが、ほお葉巻きはまさにその通りの味です。郷土食は伝統的な食文化の代表でしょう。いつまでも無くならないで欲しいです。


 


「半鐘と並んで高き冬木哉」

2016-06-01 | A あれこれ

 今読んでいる夏目漱石の『硝子戸の中』は大正4年の正月明けから1ヶ月あまり朝日新聞に掲載された39編からなる随想集。

漱石は翌年の12月に亡くなっているから、その前年の作品ということになる。カバー裏面に**著者の哲学と人格が深く織り込まれた作品である。**と紹介されている。

読み進むと、次ぎの件(くだり)が出てきた。**その位不便な所でも火事の虞(おそれ)はあったものと見えて、やっぱり町の曲り角に高い梯子が立っていた。そうしてその上に古い半鐘も型の如く釣るしてあった。**(52頁) 漱石の作品にも火の見櫓(火の見梯子)が出てきた。 

漱石は「半鐘と並んで高き冬木哉」(52頁)という俳句もつくっていた。 なんだかうれしい。


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