透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

午後カフェで「夜明け前」を読む

2021-08-08 | A 読書日記

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 島崎藤村の長編小説『夜明け前』の第4巻(第二部下)後半まで読み進んだ。江戸末期から明治へ、主人公の青山半蔵は大きな時代の流れに巻き込まれ流されてしまった、と言ってもいいのかもしれない。大政奉還から王政復古への流れはまぼろし、時代は単なる西欧化へと流れていく。半蔵の落胆、いや失望・・・。

この小説は日本の近代小説の白眉とも評されるが(過去ログ)、読み通すことがしんどい。だから読んだというだけで満足感が得られる。

今日は朝から庭の雑草と格闘、そう、8時から始めて11時半ころまで「真夏の格闘」。

午後、スタバに出かけた。「いつもと違う時間ですね」馴染みの店員から声をかけられた。いつもと違う窓際の席で『夜明け前』を読んだ。

長編も残すところ90頁。これから半蔵の晩年の悲劇的な人生が描かれる。


 


「28 男はつらいよ 寅次郎紙風船」

2021-08-07 | E 週末には映画を観よう

 寅さんシリーズ第28作「寅次郎紙風船」を観た。

寅さん、柴又小学校の同窓会に出席。深夜にひとりの同級生に付き添われ、酔っぱらった寅さんがとらやに帰って来る。寅さんがこんなに酔っぱらうことってあるんだ・・・。同窓会でみんなに煙たがられ、淋しい思いをしたのだろう。

寅さんはその同級生とも喧嘩して、店からお茶の間に上がる式台(電話が置いてあるところ)で寝てしまう。淋しそうな寅さん。

翌朝早く旅に出た寅さん(今回はとらや一家と大喧嘩して旅に出るという何回もあるパターンではない。自分の振舞いを反省したのだろう)の行き先は福岡の原鶴温泉。駅前旅館で娘(愛子・岸本加世子)と相部屋に。愛子はストーリーでは脇役。愛子は寅さんを慕って一緒に旅をする。

所変わり久留米。久留米水天宮の縁日で寅さん愛子をサクラに啖呵売。寅さんが昼ご飯を食べているとき、若い女性から声をかけらる。テキヤ仲間である常三郎の奥さん、光枝(今回のマドンナ、音無美紀子)だった。光枝から旦那の常三郎(小沢昭一)が病気だと聞いた寅さん、見舞いに行く。本人は知らないが、常三郎は余命幾ばくも無く、病院から見放されて自宅に戻っていたのだった。そのことを奥さんから聞かされた寅さんの厳しい表情が印象的だった。この作品では寅さんの真剣な表情がやけに目立った。

常三郎は、万一オレが死んだら、あいつを女房にしてくれと寅さんに頼む。このことが映画の最後に効いてくる・・・。

寅さんを訪ねて愛子がとらやにやってきて、その愛子を兄さん(地井武男)が迎えに来てひと騒動あるが、その顛末は省略。

しばらして、光枝の旦那は亡くなる。光枝は上京して本郷の旅館で働きだす。このことを光枝からのはがきで知った寅さんは早速、光枝に会いに出かける。光枝は東京生まれということだが、別に上京しなくてもよいはず。ぼくは、光枝に寅さんを頼る気持ちがあったからだと思う。

旅館の前で寅さんが光枝に仕事が休みの日にとらやを訪ねてくるようにと言う。

約束通りとらやを訪ねてきた光枝。「寅ちゃんのおかげでたくさんきれいな人に会えますよ、私たちは」とおばちゃん。確かに。おばちゃん役の三崎千恵子の感想、ともいえるかもしれないなぁ。

光枝は両親の顔をほとんど覚えていないこと、親戚の家をあちこちたらい回しにされて育ったことなど、自身の暗い過去をさくらに話す。

さあ、ラスト。柴又駅まで光枝を送る寅さん。

「まあ、元気出してやれや。オレは当分ここで暮らして、あんたのことを気にしているからよ」と寅さん。

「うん、どうもありがとう」 光枝は「寅さんが見舞いに来てくれた時、うちの亭主変なこと言わなかった?」と訊く。常三郎は亡くなる数日前、光枝に自分が死んだら寅の女房になれ、寅さんにも話してあるからと伝えていたのだった・・・。

光枝は寅さんと一緒になりたかったのだ(そうではなかったという見解もあるようだが、ぼくは一緒になりたかったと断じる)。だが寅さんは、光枝に「寅さん、約束したの?本気で」と訊かれて「ん、ほら、病人の言うことだからよ、まあ適当に相槌打ってたのよ」と答えてしまう。

この時の光枝の淋しそう表情。光枝は幸せを求めていたのに・・・。駅に向かう光枝を見送る寅さん。印象的なシーンだ。

他のマドンナとは違って、光枝とならうまくいくと思うけれど・・・。この場面、切なくて泣いてしまった。

1981年12月公開


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157 新聞に掲載されたコメント

2021-08-03 | C 名刺 今日の1枚

157  プライベートな名刺を作ったのは2012年5月、それから丸9年経った(過去ログ)。

先日、塩尻のえんぱーくで開催された森 まゆみさんの講演会の後、会場で信濃毎日新聞社の記者から取材を受け、感想を求められた。

その際のコメントが新聞に掲載された(信濃毎日新聞8月3日付朝刊25面「地域」)。

**「古い建物がなくなればその街の記憶もなくなる」と、銭湯など古い建物の保存や景観維持にも取り組む森さんの活動に共感していた。** 

なんの準備もなく、とっさの二言三言、いやそれ以上のコメント(*1)。その中からポイントを押さえているところはさすがだと思う。町ではなく、街という漢字をあててあるのもうれしい。

関連する過去ログ

取材を受けた時、名刺交換をした。記者に渡した名刺が155枚目だった。9年間で155枚、1年で17枚。仕事の上で名刺交換する機会はもっと頻繁にあるが。

プライベートな名刺を交換する機会は歳を重ねるごとに減るのではないか。いや人によって違うのかな、むしろ機会が増える人もいるのかも知れない。でも、月に1回以上というのは多いと思うが、どうだろう。


*1 このことは拙著『あ、火の見櫓!』にも書いた。