和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

さては能もなくは。

2016-09-25 | 道しるべ
古橋信孝氏の古本を検索していたら、
黒田日出男・佐藤正英・古橋信孝編「御伽草子」(ペリカン社)がある。
それが届くと、そうだ、「おとぎ草子」。
いまなら、読みはじめられるかもしれない(笑)。

まずとりだしたのは、
講談社学術文庫の桑原博史全訳注「おとぎ草子」。

その中の「鉢かづき」をパラパラとひらく。
母親に死なれ、継母に家を追い出され、
そして中将殿に呼び止められる場面が印象深い。
その会話を引用。

 中将殿は御覧じて、

『鉢かづきはいづくへぞ』
とのたまへば、

『いづくともさして行くべき方もなし。
母に離れ候ひて、結句かかる片輪さへ付き候へば、
見る人ごとに怖ぢ恐れ、憎がる人は候へども、
憐れむ人はなし』
申しければ、中将殿きこしめして、

『人のもとには、不思議なる者のあるも、
よきものにて候ふ』
とのたまへば、
仰せに従ひて置かれかる。

さて、
『身の能は何ぞ』(特技はなにか)
とのたまひければ、

『何と申すべきやうもなし。
母にかしづかれし時は、
琴・琵琶・和琴・笙・篳篥(ひちりき)、
古今・万葉・伊勢物語、
法華経八巻、数の御経ども読みし
よりほかの能もなし』

『さては能もなくは、湯殿に置け』
とありければ、
いまだ習はぬことなれど、
時に従ふ世の中なれば、
湯殿の火をこそ焚かれける。



この場面、桑原博史氏の鑑賞はというと、
こうでした。

「さて、三位中将とのめぐりあいは、
しかしながらただちに鉢かづきの姫君に
幸福をもたらすものではなかった。
彼女は貴種流離譚の約束にしたがって、
まだまだ苦しむのだが、その苦しみの叙述の中に、
おかしみを忘れないのがおとぎ草子である。
ここでは、姫君の言葉の中の・・・・
また、なにか特技はと問われて、
管弦のわざと書物による教養とを正直にいっても、
相手は実用的な技術を期待しているので、
能なしと判断されるくいちがいも、
おかしい所である。
その結果として、湯殿の火を焚く運命に
見舞われるのは、悲しいことであるが。」(p173)
コメント (2)
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