和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

月である。

2016-09-17 | 地域
昨夜は、電気を消して、
月明かりを、楽しもうとしたのですが、
寝ちゃいました(笑)。

今夜は、雲の輪郭を
浮かび上がらせるような月明かり。


ちょうど、パラパラとめくっていた本に、

「丈山の隠栖した洛北詩仙堂には、
四方に窓をあけて眺望をほしいままにする
嘯月楼と称する建物が今も遺ってゐる」
(p88)

という箇所がありました。
そういえば、と取り出してきた本は
上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)。
そこからの引用。



「茶室をみるなら、やはり道路の露地門あるいは
邸内の露地口からはじめて、外露地・内露地を
めでながら、蹲(つくばい)で手をあらい口を
すすいだのち茶室にあがるべきだろう。
それも夕刻、月のあるときがのぞましい。」(p118)

もう一箇所引用。

「では、建物と庭をいっしょにした
どういう建築がいいというのか?その答は
『その建築がどういう点で人々の心をとらえるか』
という一点にかかっている。そしてそれにきまった答はない。
TPOなのだ。時と場所によっていろいろにかわる。
ところが、桂離宮のばあいにはそれが非常に
はっきりしている。月である。月がうつくしくみえるとき
桂離宮は最高の姿をみせるのだ。
そこで桂離宮のよさをしるためには、
月夜の晩にでかけなくてはならない・・・・
だから月もない昼の桂離宮にでかけて
『桂は美しい』とか『美しくない』とか
いってもはじまらない。桂離宮をしるためには
よろしく月夜の晩におとずれて、
じっくり月をながめるべきなのである。
それを意図して桂離宮はつくられているからだ。」(p159)


そばにある大切なものを
忘れて過ごしております(笑)。
コメント
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