岸田衿子の詩
「一生おなじ歌を 歌い続けるのは」は
短い詩です。以下に引用。
一生おなじ歌を 歌い続けるのは
だいじなことです むずかしいことです
あの季節がやってくるたびに
おなじ歌しかうたわない 鳥のように
曽野綾子さんの詩
「最も才能のない詩人による駄詩ーー『二十世紀』」
は平成十二年文藝春秋2月臨時増刊号
「私たちが生きた20世紀」のp448~449。
そこから、この箇所を引用。
朝日も読売も毎日も、
社会主義を信奉するソ連と中国を批判することを許さず、
私の原稿はしばしば書き換えを命じられ、没になった。
戦後のマスコミは、
言論の自由を守ると言ったが、
差別語一つに恐れをなし、
署名原稿も平気で差し止める。
だから彼らはもはや自らの悪を書けない。
だから成熟した善も書けない。
なぜ、この詩が浮んできたのか?
というと
WiLLの2017年1月号を開いたからでした。
総力特集は題して
「さぁ、トランプだ覚悟せよ!」。
その特集のはじめに渡部昇一氏の文。
そこから少し引用してみます。
「現在のアメリカには言論における
閉塞感があると思います。」(p41)
「アメリカでは言論統制が人種、性(ジェンダー)、
同性愛、すべての分野にわたっています。
なんであれ差別的な発言ととられたら、
つまりポリティカル・コレクトネスで批判されたら、
学者は大学を追われる、政治家は辞職せざるをえない、
物書きなら発表の場を奪われる。
アメリカは日本よりずっと言論の不自由な社会になっています。」
(p42)
うん。このくらいにして、曽野綾子さん。
このWⅰLLには曽野さんが連載エッセイを載せております。
そこから、引用。
「私がこの『乞食』のことを書こうとすると、
十年ほど前までは、すべてのマスコミが、
『乞食』という言葉を使うことを禁じた。
今はさすがに一部の出版社は、筆者の自由という
姿勢を取り戻しつつある。当然のことだろう。
当時はマスコミが世論なるものに唯々諾々として
迎合している時代で、
『乞食は「差別語」となっていますから、使えません』
と言われれば、筆者が書き直さない限り、
その原稿は日の目を見なかった。
日本のマスコミが、戦後は、自由な表現を守り抜いた、
というようなことを言うが、それは全く嘘であったことは、
この一つによっても明らかである。
人を差別することはいけないことだが、
それについて触れることもいけない、
というのは、まさに差別そのものだ。
それでは社会学も、心理学も、医学も成り立たない。
そんな歪んだ規範に、産経新聞を除くあらゆる全国紙が、
おかしいとも思わずに従っていた。いや多分今も
従い続けている出版社はたくさんあるだろう。」(p145)
「私も一時、あまりのマスコミの弾圧のひどさに、
ブラジルへでも逃げようか、と考えた事がある。
しかし、おもしろいことに、
新聞社系の出版部が、私のような姿勢の作家を排除すると、
雑誌社系の週刊誌が救いの手を差し伸べてくれた。
出版社は明らかに共闘して全国紙と闘っていたのだ。
私自身は当時、大学の先生をしていた夫の扶養家族
として生きていけたが、
新聞社の言論弾圧で縛られると、
自由業の作家の中には
明らかに食べられなくなる恐れはあった。
そうなったら、
私は畑でイモを作って生きようと思っていた。
戦争中にそんな生活を体験したおかげで、
のんきなものであった。」(p147)
そんなわけで、
今日1月4日の産経新聞オピニオンに
連載されていた曽野綾子「透明な歳月の光」
をおもむろに引用して終わりにします。
今日の連載の題は「トランプ氏と台湾総統」
その中頃を引用してみます。
「何十年も前から今日まで、
チャイニーズと呼ばれる人たちは、
中国本土にもおり、台湾にもいて
別の政治的体制と思想を持っていた。
それは、彼ら自身の選択だった。
だから中国は現実として一つではない。
彼らチャイニーズたちが自分で選んだ結果だ、
と私は日付の記憶もないほど昔に、
署名のある小コラムで書いたのだ。
それは東京新聞に連載されるはずの記事だったのだが、
編集部は私の書いた内容を認められない、
と言って記事を引き下ろした。
『一つの中国』を標榜する中国の手前、
そのような意見は載せられないのだという。
私は官僚でもなく、政治家でもない。
小説家は多かれ少なかれ偏った物の見方をする
ものと昔から相場が決まっている。
しかし私が狂人でもなかったと思われるのは、
チャイニーズの人たちはあれから今まで、
その政治的体制を取り続け、事実上
2つの中国を存続させてきたということだ。
あれ以来、私の住む世界に東京新聞はない。
だからほとんど忘れていた事件なのだが、
今になって改めて、トランプ氏と蔡氏の間の
1本の電話から、当時の状況をありありと
思い出させてもらった。」
曽野さんの文を読んで、
岸田衿子さんの詩を思い浮かべたのでした。
「一生おなじ歌を 歌い続けるのは」は
短い詩です。以下に引用。
一生おなじ歌を 歌い続けるのは
だいじなことです むずかしいことです
あの季節がやってくるたびに
おなじ歌しかうたわない 鳥のように
曽野綾子さんの詩
「最も才能のない詩人による駄詩ーー『二十世紀』」
は平成十二年文藝春秋2月臨時増刊号
「私たちが生きた20世紀」のp448~449。
そこから、この箇所を引用。
朝日も読売も毎日も、
社会主義を信奉するソ連と中国を批判することを許さず、
私の原稿はしばしば書き換えを命じられ、没になった。
戦後のマスコミは、
言論の自由を守ると言ったが、
差別語一つに恐れをなし、
署名原稿も平気で差し止める。
だから彼らはもはや自らの悪を書けない。
だから成熟した善も書けない。
なぜ、この詩が浮んできたのか?
というと
WiLLの2017年1月号を開いたからでした。
総力特集は題して
「さぁ、トランプだ覚悟せよ!」。
その特集のはじめに渡部昇一氏の文。
そこから少し引用してみます。
「現在のアメリカには言論における
閉塞感があると思います。」(p41)
「アメリカでは言論統制が人種、性(ジェンダー)、
同性愛、すべての分野にわたっています。
なんであれ差別的な発言ととられたら、
つまりポリティカル・コレクトネスで批判されたら、
学者は大学を追われる、政治家は辞職せざるをえない、
物書きなら発表の場を奪われる。
アメリカは日本よりずっと言論の不自由な社会になっています。」
(p42)
うん。このくらいにして、曽野綾子さん。
このWⅰLLには曽野さんが連載エッセイを載せております。
そこから、引用。
「私がこの『乞食』のことを書こうとすると、
十年ほど前までは、すべてのマスコミが、
『乞食』という言葉を使うことを禁じた。
今はさすがに一部の出版社は、筆者の自由という
姿勢を取り戻しつつある。当然のことだろう。
当時はマスコミが世論なるものに唯々諾々として
迎合している時代で、
『乞食は「差別語」となっていますから、使えません』
と言われれば、筆者が書き直さない限り、
その原稿は日の目を見なかった。
日本のマスコミが、戦後は、自由な表現を守り抜いた、
というようなことを言うが、それは全く嘘であったことは、
この一つによっても明らかである。
人を差別することはいけないことだが、
それについて触れることもいけない、
というのは、まさに差別そのものだ。
それでは社会学も、心理学も、医学も成り立たない。
そんな歪んだ規範に、産経新聞を除くあらゆる全国紙が、
おかしいとも思わずに従っていた。いや多分今も
従い続けている出版社はたくさんあるだろう。」(p145)
「私も一時、あまりのマスコミの弾圧のひどさに、
ブラジルへでも逃げようか、と考えた事がある。
しかし、おもしろいことに、
新聞社系の出版部が、私のような姿勢の作家を排除すると、
雑誌社系の週刊誌が救いの手を差し伸べてくれた。
出版社は明らかに共闘して全国紙と闘っていたのだ。
私自身は当時、大学の先生をしていた夫の扶養家族
として生きていけたが、
新聞社の言論弾圧で縛られると、
自由業の作家の中には
明らかに食べられなくなる恐れはあった。
そうなったら、
私は畑でイモを作って生きようと思っていた。
戦争中にそんな生活を体験したおかげで、
のんきなものであった。」(p147)
そんなわけで、
今日1月4日の産経新聞オピニオンに
連載されていた曽野綾子「透明な歳月の光」
をおもむろに引用して終わりにします。
今日の連載の題は「トランプ氏と台湾総統」
その中頃を引用してみます。
「何十年も前から今日まで、
チャイニーズと呼ばれる人たちは、
中国本土にもおり、台湾にもいて
別の政治的体制と思想を持っていた。
それは、彼ら自身の選択だった。
だから中国は現実として一つではない。
彼らチャイニーズたちが自分で選んだ結果だ、
と私は日付の記憶もないほど昔に、
署名のある小コラムで書いたのだ。
それは東京新聞に連載されるはずの記事だったのだが、
編集部は私の書いた内容を認められない、
と言って記事を引き下ろした。
『一つの中国』を標榜する中国の手前、
そのような意見は載せられないのだという。
私は官僚でもなく、政治家でもない。
小説家は多かれ少なかれ偏った物の見方をする
ものと昔から相場が決まっている。
しかし私が狂人でもなかったと思われるのは、
チャイニーズの人たちはあれから今まで、
その政治的体制を取り続け、事実上
2つの中国を存続させてきたということだ。
あれ以来、私の住む世界に東京新聞はない。
だからほとんど忘れていた事件なのだが、
今になって改めて、トランプ氏と蔡氏の間の
1本の電話から、当時の状況をありありと
思い出させてもらった。」
曽野さんの文を読んで、
岸田衿子さんの詩を思い浮かべたのでした。