學燈社の「対談・古典の再発見」(昭和48年)の
目次をひらくと、徒然草に関して、2つの対談がある。
さっそく読みはじめる
庄野潤三・吉田精一対談「徒然草と現代」の
はじまりにこうありました。
庄野】 ・・最初、当時私の中学の国語の先生を
しておりました詩人の伊東静雄先生が、
日本の国文の古典の中でぜひこれはよく読まなきゃ
いけないものとしてあげられた中に、『徒然草』がありました。
そのときは『源氏物語』も『枕草子』もあったわけ
なんですけれども、とくにその中でも
『枕草子』と『徒然草』を読みなさいといわれた。
第六十段のいもがしらの好きな盛親(じょうしん)僧都の話を、
伊東先生がしましてね。・・・・
このお坊さん、非常にいもがしらが好きで、
暇さえあればそれを食べていて、
いくらかのお金が自分にはいったときに、
それをそっくり出していもがしらを買って、
それを出してきては食べている。
そういう自分の好きなとおりにしながら、
人に憎まれないで尊敬を受けていたという、
まあ不思議な坊さんですけど、
その坊さんの話を聞きまして、おもしろい話だなあと思って、
『徒然草』にはそういうことも書いてあるのかなあと思いました。
中学のときの教科書では、『徒然草』はかならず出てくる
わけなんですけれども、やっぱり教科書で出てきますと、
なんか抹香くさいお坊さんの教訓というふうな、
子供ですからそういう印象があって、
そんなおもしろい話がいろいろあるというようなことは
知らなかったんです。
吉田】 そうするとそれはいつごろ・・・。
庄野】 大学へはいる前ころだと思います。
吉田】 それはしかしずいぶん早いですね。
だいたい『徒然草』というのは、青年にはあんまり
おもしろくないものじゃないでしょうかね。(笑)
庄野】 私が青年の若々しさに
欠けていたんじゃないかと思うんです。そういう場合に
伊東先生は、ずいぶんおもしろく話しするんです。
原文を読むよりも、
むしろ伊東先生の口から出てきたその話のほうが、
おもしろいぐらいでした。
そういうことがありましたし、それから
日本の美の見方、味わい方、そういうふうなものは、
『枕草子』『徒然草』に全部はいっている。
だからそういうものを勉強しているのと、
そうでないのとでは、文学をやる上でうんと大きな
違いが出てくるから、だからもうどこでも、
気の向いたときでいいから、
パッと開いたところを読むといふふうにしてもいいから、
読みなさい。そういうふうな、いま考えてみて、
やっぱり非常にうまい教え方であったと思うんです。
・・・・・
こうして対談がはじまっておりました。
そして、もう一つの対談は
司馬遼太郎・山崎正和「徒然草とその時代」。
こちらは、いまでも新鮮な魅力を輝かせておりまして、
とても私の引用には負えません(笑)。
うん。2つの対談と出会えてよかった。
うん。これで2017年1月の
『徒然草』への心構えができました。
目次をひらくと、徒然草に関して、2つの対談がある。
さっそく読みはじめる
庄野潤三・吉田精一対談「徒然草と現代」の
はじまりにこうありました。
庄野】 ・・最初、当時私の中学の国語の先生を
しておりました詩人の伊東静雄先生が、
日本の国文の古典の中でぜひこれはよく読まなきゃ
いけないものとしてあげられた中に、『徒然草』がありました。
そのときは『源氏物語』も『枕草子』もあったわけ
なんですけれども、とくにその中でも
『枕草子』と『徒然草』を読みなさいといわれた。
第六十段のいもがしらの好きな盛親(じょうしん)僧都の話を、
伊東先生がしましてね。・・・・
このお坊さん、非常にいもがしらが好きで、
暇さえあればそれを食べていて、
いくらかのお金が自分にはいったときに、
それをそっくり出していもがしらを買って、
それを出してきては食べている。
そういう自分の好きなとおりにしながら、
人に憎まれないで尊敬を受けていたという、
まあ不思議な坊さんですけど、
その坊さんの話を聞きまして、おもしろい話だなあと思って、
『徒然草』にはそういうことも書いてあるのかなあと思いました。
中学のときの教科書では、『徒然草』はかならず出てくる
わけなんですけれども、やっぱり教科書で出てきますと、
なんか抹香くさいお坊さんの教訓というふうな、
子供ですからそういう印象があって、
そんなおもしろい話がいろいろあるというようなことは
知らなかったんです。
吉田】 そうするとそれはいつごろ・・・。
庄野】 大学へはいる前ころだと思います。
吉田】 それはしかしずいぶん早いですね。
だいたい『徒然草』というのは、青年にはあんまり
おもしろくないものじゃないでしょうかね。(笑)
庄野】 私が青年の若々しさに
欠けていたんじゃないかと思うんです。そういう場合に
伊東先生は、ずいぶんおもしろく話しするんです。
原文を読むよりも、
むしろ伊東先生の口から出てきたその話のほうが、
おもしろいぐらいでした。
そういうことがありましたし、それから
日本の美の見方、味わい方、そういうふうなものは、
『枕草子』『徒然草』に全部はいっている。
だからそういうものを勉強しているのと、
そうでないのとでは、文学をやる上でうんと大きな
違いが出てくるから、だからもうどこでも、
気の向いたときでいいから、
パッと開いたところを読むといふふうにしてもいいから、
読みなさい。そういうふうな、いま考えてみて、
やっぱり非常にうまい教え方であったと思うんです。
・・・・・
こうして対談がはじまっておりました。
そして、もう一つの対談は
司馬遼太郎・山崎正和「徒然草とその時代」。
こちらは、いまでも新鮮な魅力を輝かせておりまして、
とても私の引用には負えません(笑)。
うん。2つの対談と出会えてよかった。
うん。これで2017年1月の
『徒然草』への心構えができました。