和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

文化的廃棄物の再利用。

2017-07-11 | 本棚並べ
十代の終わりから、二十代のはじめの頃。
私はイザヤ・ベンダサンに、浮かれておりました(笑)。
ところが、ついていけない。
ミーハーの限界に気づきました。
山本七平氏の著作は、ベンダサンとは違うんだ
と自分に言い聞かせて(笑)。
それっきり、ベンダサン熱がさめて
自分の視界から消えておりました。

こんかい、渡部昇一追悼文を読んでから、
渡部氏の著作をパラパラとめくっていたら、
そうだ山本七平を読もうと思ってしまったわけです。

とりあえず、古本で一冊ずつ、購入していなかった
「山本七平ライブラリー」全16巻を揃え始めて、
今日届いた本で、全巻揃いました。

うん。60歳を過ぎたら、
山本七平を読むことが出来るかもしれない。
と思い始めました(笑)。

身近な本棚に並べて、
七平氏が語りだすのを待つことにします。

今日届いた本、山本七平ライブラリー6「徳川家康」。
その「あとがきにかえて」は山本良樹さん。
良樹(よしき)さんの文のはじまりは

「91年の暮れ、12月の10日に父が逝き、
私の手元には父の遺稿、この『徳川家康』が遺った。
・・・
夜、誰ひとり人も居ぬ山本書店で父の机に座り、
背後の書架から父の蔵書である史料を引き出して広げる。
原史料としては、徳富蘇峰の『近世日本国民史』の
戦国時代編がきわめて有効に使われていた。
その『近世日本国民史』全巻は、
公立の図書館から廃棄されたもので、
いわゆる大蔵書の一部と呼ばれるような大げさなものではなく、
むしろ文化的廃棄物の有効な再利用といったところであった。
父の驚嘆すべき和漢の知識といったものも意外と
こういったところに収集のヒントがあったのかも知れない。
父は『一出版人の人生論ーー語りおろし半生記』という
文章の中で、こう語っている。
『復員後ブラブラしている間は本ばかり読んでいた。
当時は中国関係の古本が二束三文で売られていた。
貧乏なのでそういう本を買って読んだ。
漢文はあまり速くは読めないので経済的だという利点もあった』
戦後、進歩的文化人達がこぞって民主主義信仰に走った頃、
父は二束三文の文化的廃棄物となった和漢の古典に眼を留め、
そこから日本人論という名の鉱脈に出会うまで、
『知』の竪穴を、孤独に、たった一人で、
穿(うが)っていたに違いない。・・・」(p457~p458)


はい。検索したら
『一出版人の人生論ーー語りおろし半生記』は
平成四年三月特別増刊「Voice 山本七平追悼記念号」に
未発表の文として掲載されておりました。

はい。これは、私の本棚に探すとありました。
昔のミーハーの記念として買ってあったものでした。
あってよかった(笑)。


コメント
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