梅棹忠夫の
「ひとつの時代のおわり 今西錦司追悼」
を読む。雑誌上下二段組で13ページほど。
せっかくなので、その最後を引用。
「わたしが師とあおいだ先学はすくなくない。
桑原武夫、西堀栄三郎、宮地伝三郎、貝塚茂樹、湯川秀樹
の人たちである。かれらはみんなほとんど同年輩で、
20世紀の初頭にうまれでて、
この世紀をいきてきた人たちである。
これらの20世紀人たちの手によって、
日本の学問はおおきく展開した。
極東におけるローカルな一文明にすぎなかった
日本文明は世界的なものとなった。
これらの人たちによって、
日本の学問は普遍性を獲得したのである。
わたしたちの世代は、
それをこの先人たちからひきついだのである。
しかし、みんないなくなってしまった。
ひとりずつ消えて、そしていま、
最後の巨星が消えた。
ひとつの時代がおわったのである。」
先学のなかのお一人、
西堀栄三郎といえば、
東芝が思い浮かびます。
「ひとつの時代のおわり 今西錦司追悼」
を読む。雑誌上下二段組で13ページほど。
せっかくなので、その最後を引用。
「わたしが師とあおいだ先学はすくなくない。
桑原武夫、西堀栄三郎、宮地伝三郎、貝塚茂樹、湯川秀樹
の人たちである。かれらはみんなほとんど同年輩で、
20世紀の初頭にうまれでて、
この世紀をいきてきた人たちである。
これらの20世紀人たちの手によって、
日本の学問はおおきく展開した。
極東におけるローカルな一文明にすぎなかった
日本文明は世界的なものとなった。
これらの人たちによって、
日本の学問は普遍性を獲得したのである。
わたしたちの世代は、
それをこの先人たちからひきついだのである。
しかし、みんないなくなってしまった。
ひとりずつ消えて、そしていま、
最後の巨星が消えた。
ひとつの時代がおわったのである。」
先学のなかのお一人、
西堀栄三郎といえば、
東芝が思い浮かびます。