和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

蔵書をすべて渡部に贈る。

2017-07-08 | 道しるべ
先頃、思い出して
「山本七平ライブラリー」の
購入していない巻を、古本で注文。
それがポツリポツリと届きます。
うん。遅読でも、古本購入はすぐ来る(笑)。


13巻「日本人とユダヤ人」の解説は向井敏。
そこの解説に、引用されていた箇所を孫引き。

「面白いのはこの『隣百姓』という言葉である。
隣が田植えをはじめれば自分も田植えをする、
隣が肥料をやれば自分もやる、・・・・・
『何と自主性がない』などという文化人がいたら、
そういう方が少々頭が足りないのであって、
自ら隣(模範)を選び、その通りにやるのは
立派な一つの自主性であり、しかも的確にまねが
できるということは、等しい技量をもたねば
不可能であるから、その技量に到達するよう
自らを訓練することも自主性である・・・・」


ちなみに、「山本七平ライブラリー」
14巻「日本教徒」の解説は渡部昇一。

ここに、『自ら隣(模範)を選び』と
いえそうな箇所がありました。


「キリスト教以前のゲルマン人の考え方を
シュナイダー教授が解明したと同質の方法で、
日本人の精神構造を解明しつつあったのが
山本七平さんだったのだ。
私はシュナイダー教授を天才だと思って尊敬しているが、
同じ意味で山本七平さんは天才だと思っている。」(p344)


はい、シュナイダー教授の、おさらいをしておきます。

渡部昇一著「後悔しない人生」(PHP研究所)から

「留学先のドイツでも、私が教わったシュナイダー先生は
素晴らしい先生だと思って、かなり入れ込みました。
もちろん、生徒のそういう気持ちは、
自ずと先生に伝わるものです。
シュナイダー先生は、1998年のクリスマスの次の日に
亡くなられましたが、『蔵書をすべて渡部に贈る』
という遺言状を残され、後日、カートンボックス151箱
の蔵書が、私のところに送られてきました。
明治以来、何十万人もの日本人が留学したことでしょうが、
かの地の先生が、日本人留学生に自分の全蔵書を託して
死ぬという例は、あまりないのではないでしょうか。
私の上智大学の弟子たちも、みなシュナイダー先生に
なついていました。ドイツに行けば必ず先生のところに
お伺いしましたし、先生が東京に来られれば、
みんなでお世話したりしたものです。
ある時、先生は『日本という国を知って、私の人生は変わった』
とおっしゃって下さいました。その時、私も
『先生とドイツを知って、人生が変わりました』
とお答えしたのを憶えています。
先生は発見されるものなのです。」(p55~56)

ちなみに、渡部昇一著「青春の読書」(WAC)に

「子供の頃から私は先生を尊敬するクセ(?)があって」
(p599)の数ページ先(p609)に

「ドイツ(ミュンスター大学)につくと、
すぐにそこの英語学教授のカール・シュナイダー先生に
『英文法の歴史を調べたいので博士論文の指導をお願いしたい』
と英語で言うと・・先生はびっくりなされた様子で、
『突然、論文の指導をと言われても困る。
何か書いたものがあるなら見せて欲しい』ということだった。
幸いに私の修士論文は英語で書いてあったので、
航空便で上智大学から送ってもらった。
その論文はシュナイダー先生から、さらにハルトマン先生に
渡された。そして、お二人の先生がともに私を
博士候補として認めて下さったのである。」


せっかくなので、
忘れないうちに、こちらも引用しておかなきゃ(笑)。
山本七平監修「ビジネスマンのための『この一冊』」(講談社)
そこに渡部昇一氏はヒルティの『幸福論』をとりあげており
後半で渡部氏はこう書いておりました。

「大天才の生涯とか教訓はわれわれにはあまり参考にならない。
ヒルティは天才的なところはない。実直な実務家であり、
その分野でしかるべき成功ーードイツの百科事典にのるほどの
成功ーーをとげる一方、法律や歴史についての立派な業績を
残している。そして高齢に至るまで仕事を続け、
その間に随想集三巻、つまり『幸福論』をも残した。
このぐらいの偉さの人の教訓の方がわれわれの
『身の丈』に合っていると言うべきではあるまいか。」(p217)


あとは、山本七平著「民族とは何か」(徳間書店)。
ここに、村松剛氏と渡部昇一氏との対談が載ってました。


コメント
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