和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

たらんと垂れた垂乳根の。

2021-11-15 | 本棚並べ
だんだんと、寒くなります。
私は寒がりで足首から冷えるのでした。
レグウォーマが冬の必需品となります。
うん。湯たんぽはまだ登場してません。

夏は汗をかくので、お風呂。
冬は温まるために、お風呂。

うん。とりあえず。お風呂に関する本。
ということで、思い浮かぶ本を並べる。

写真集として楽しめそうなのが

「京都極楽銭湯読本」林宏樹(淡交社)
「京都極楽銭湯案内」林宏樹・写真杉本幸輔(淡交社)

はい。どちらも古本で購入。
銭湯といえば、
林望著「ついこの間あった昔」(弘文堂・平成19年)
に「混浴という美風」(p180~)という箇所がありました。
うん。そこにある1枚の写真が忘れられません。
そこで林氏はこう指摘しておりました。

「たとえば八岩まどかさんの書かれた『混浴宣言』という本
(これは、ほんとに名著です。じつに素晴らしい本ですから、
みなさんぜひお読みください)・・」とありました。

八岩まどか著「混浴宣言」(小学館)を、この冬は読んでみたい。
そのまえに、林望さんのこの本なのですが、
「混浴という美風」のひとつ前に「羞恥のありどころ」という文。

はい。ここはぜひとも引用したくなります。

「昭和42年、西暦1967年の夏のことである。
私は・・大学1年に入ったばかりで、・・・
ギタークラブに入って活動していたのだが、
夏休みになると間もなく、合宿があった。
その年の合宿は那須高原で行われ、最初の夜は
那須湯本の温泉宿に泊った。そのころ、
那須湯本温泉はひどく鄙びた湯の町で、
温泉宿なども軒の低い木造の昔風であった。
街道筋に何軒も湯宿が軒を並べていたが、
その宿々の前に、縁台が置かれていて、
夕方になると、そこには三々五々涼みの人が出た。
その涼みの人たちは多く地元のオジサンオバサンという
感じだったが、」


はい。お待たせしました。
ここから本題となります。

「私が目を疑ったのは、なんとオバサンたちは
ほとんど湯文字一つを身に纏っただけで、
上半身は裸だというこの事実であった。

農家のおかみさんたちの湯治だったかと思うのだが、
豊かな乳房を夕風になぶらせながら、のんびりと団扇
などを使いつつお喋りに時を過ごしている人たちには、
すくなくとも胸を露わにしていることに対する
羞恥心などは皆無であった。・・・・・」(~p175)

この文にも、1枚の写真がさりげなくあったのでした。
その写真を説明する箇所がありました。

「この写真のおばあさんなんかは、胸を出しているのは、
腕を出しているのと別に意識上の違いは無く、要するに
暑いから出しているというだけのことである。
このたらんと垂れた乳房こそは、
『垂乳根(たらちね)の母』としての女の、
いわば勲章のようなもので、別にこそこそと
隠し立てする理由も必要もなかったのだ。」(p177)

え~と。何だったっけ。そうそうお風呂でした。

橋本峰雄著「くらしのなかの仏教」(中公文庫)のなかに、
「風呂の思想」という文がはいっております。
その文の最後を引用しておくことに、

「今日、混浴の是非どころか、銭湯の衰退と
風呂の個人主義化とが進んでいる。

混浴の是非は社会の『性』意識の如何によろう。
一方では肉体の露出、他方では混浴の忌避
―――現代日本人の性意識、とくに若い女性のそれは
大きなひずみを押しつけられているといわざるをえない。

混浴の是非をいうまえに、『おおらかな性』の文化形成のために、
現代日本人の『性』意識の帰趨を見守らなければならないだろう。
・・・」(p171)

ちなみに、橋本峰雄氏の「風呂の思想」は、初出一覧を見ると
昭和52年10月の「現代風俗’77」に掲載されたものでした。







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