8月21日(水曜日)午前9時45分集合の講座練習日。
その日のお話内容のパンフレット的紹介案内です。
大正13年9月1日に「震災記念碑」が
安房郡南三原村に建立されておりました。
現在は、和田町下三原の龍神社参道の
日露戦争記念碑に並んで建っております。
地震は、地区全体をまんべんなく巻き込むわけではなく、
その碑文に、こうありました。
松田 海発 下三原 沼区 最激震
白渚 中三原 一部被害稍(やや)軽微
関東大震災のちょうど一年後に建立されたこの碑文には
死者22 負傷86 とあり
倒壊・・住宅324 半壊・・住宅61 とあります。
その後の地震はどうだったかも記載されております。
余震数百回 人心恟々(きょうきょう)
はい。余震におびえ半壊の住宅であっても入れない状況です。
「 或露臥樹蔭 或眠食假宿 」。ここを、私なりに現代語訳すると、
「 あるいは露を避けて木の陰に臥し、そこを仮の宿として眠り食す 」
さて、百年後の現在なら、余震の間にどこを仮の宿とするかというと、
近場の耐震補強された公共施設へ、逃げこむことになるのでしょうか。
海発地区にある安房拓心高校は、普段生徒がおりますので、
かってに出入りはできませんが公共の避難場所に指定されております。
その場所をかりて、講座「安房郡の関東大震災」をひらきます。
今回その練習日として、8月21日(水曜日)をお借りしました。
自由参加なので近場の避難訓練をかねたご来場を賜りますよう
願っております。南三原の「震災記念碑」記述を踏まえながら、
関東大震災の、安房のローカルな特色を語らせていただきます。