和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ドン・キホーテと老人。

2025-02-12 | 短文紹介
他のブログを読ませていただいていると、ある時おもうのですが、
いつのまにか、ブログが途絶えて読めなくなる方がいらっしゃる。
若い方のブログなら、それはそれでいたしかたないと思えるのに、
私よりも上の方々のブログだと・・・。
また、若いと勝手に思っている自分にしたところで、ある日、
こちらの方が早く、ブログが途絶える時がくるかもしれない
(まさか、これほど続けられるブログだとは当初思ってもみませんでした)。

gooブログで読ませていただいているのは、
同年配の方々のブログが多いかもしれない。
あるいは同年配よりすこし上の方のブログ。
その発信力に敬服しながら、参考にさせて頂いております。
若いと自分でひとり合点しながら考えもしなかったような、
『老人』なる言葉が、だんだん輪郭をもって現れてきます。

たしか、老人についてのアンソロジーで
紹介されていたような気がするのですが、
串田孫一著「ドン・キホーテと老人」(青娥書房・昭和51年)に
掲載されている同題の見開き2ページの文があります。

それを紹介してみたくなりました。
はじまりは、

「 いずれはまた入院だろうが、ともかく家に戻っているから、
  話をしに来てくれないかという知らせがあった。・・・

  彼は定年退職をしてもう10年以上になるが、
  不治の病気が刻々とその体を侵していた。
  だが気力は呆れるほど旺盛で、最近読んだ本について
  細々と感想を述べ、私の意見を求めた。

  比較的平凡な会社勤めをしていたその人は、
  私よりかなり年齢も上だったが、長い付き合いで・・・・ 」

あとは次のページから大部分を引用。

「・・自分で予想していた通り、また入院して、
 今度はいよいよ終りらしいよと、見舞いに行った私に告げながら、
 その枕元にはラジオのスペイン語講座のテキストと辞書が置いてあった。
 
 私はその時に、『 ドン・キホーテ 』の原書を買って来てくれと頼まれ、
 急いで探して持って行った。翻訳では二、三度読んでいるが、
 どこまで原書で理解出来るか、ためしてみるのだと言っていた。

 ・・・・それから数日後にこの老人は亡くなった。
 だが私は、人の死に巡り合っていつももてあます儚さが感じられず、
 学ぶという営みの、その途切れたままの雰囲気が妙に貴く思われた。

 ・・・・彼は何の理屈もなく、ただ学ぶことが好きだった。
 知ることが嬉しくて仕方がなかった。殊更に学ぶという構えもなく、
 ドン・キホーテを数頁読みかけたところで、
 口惜しがる気持もなくこの世を去った。そして私は
 この老人から学ぶことを学んだ。  」(p51)


はい。翻訳のドン・キホーテも、一度も読んだことのない私は、
最初にこれを読んだ際には何も感じなかったのでした。
今回再読して、gooブログで読ませていただいている方々のことが
浮かんできました。 
『 その途切れたままの雰囲気が妙に貴く思われた。 』
という言葉に助けられますように。ブログを続けていけますように。

いろいろ取り留めないことを思いますが、
今日は今日で、こんなことを思いました。

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2 コメント

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Unknown (爛漫亭)
2025-02-13 09:37:22
私も学生の時と昨年と2回『ドン・キホーテ』を読みましたが、原書を読もうとまでは思いませんでした。修行が足りませんね。
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2025-02-13 10:05:29
おはようございます。爛漫亭さん。

まったく、私は困ったことに、
翻訳でもいまだドン・キホーテは未読。
だから、なぜここはほかの本でなくて、
ドン・キホーテなのかが分かずじまい。
返信する

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