和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「 井戸茶碗の由来 」

2024-09-28 | 短文紹介
読まないままに、古本で買った利休の本に
山本兼一著「利休の風景」(淡交社・2012年)がありました。
せっかくなので、パラパラめくるとこんな箇所がありました。

「井戸茶碗は、もとはといえば朝鮮の飯茶碗である
 ――というのが、日本での通説であった。 」

そのあとに、柳宗悦の評論を引用しておりました。

「 それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が普段ざらに使う茶碗である。
  全くの下手物である。典型的な雑器である。一番値の安い並物である。
       ・・・・・    (柳宗悦「茶と美」講談社学術文庫)   

  そんなありきたりの雑器の美を日本の茶人が見出し、賞玩したからこそ、
  井戸茶碗に価値が出たというのが柳氏の主張であった。

  この説はたいへん広く流布された。・・・・・

  しかし、最近、韓国の陶工申翰均(シンハンギュン)氏が、
  井戸茶碗の由来について新説を唱えている。
  井戸茶碗は、日常の食事のための雑器ではなく、
  先祖を供養するときに使う祭器だったというのが、申氏の主張である。

  井戸茶碗は、神の器だった――というのだ。
  たしかに、井戸茶碗が日常の雑器ならば、いくらなんでも
  もうすこし韓国に残っていてもよさそうなものだが、
  現在、韓国内に伝えられている古い井戸茶碗はまったくないという。
  ・・・・

  井戸茶碗が祭器であったことの証明のひとつとして‥」(~p105)

  このあとに、韓国の三代古刹の通度寺(トンドサ)の礼拝図に
 「 祖霊を祀る祭器として井戸茶碗が描かれている 」と記したあとに

「 そもそも朝鮮人の人たちは、茶碗を手に持って食事をする習慣がない。
  茶碗や丼は、机に置いたまま、そこから匙を使って食事する。
  この習慣は、かなり古い時代から現代にいたるまで続いている。
  ・・・・その食べ方からすれば、高台が高くて小さな
  井戸茶碗は、はなはだ不安定である。
  ご飯の茶碗としてはたいへん使いにくい。

  その話を申氏から聴いて、わたしは大いに頷いた。
  歴史の定説や常識のなかには、まったくの誤解や誤伝が
  たくさんひそんでいる。井戸茶碗が飯茶碗だったというのも、
  そんな常識の嘘のひとつにほかなるまい。  」(~p106)

はい。パラパラでも読んでみるものですね。
うん。うん。と頷きながら読みました。
ところどころ端折りましたが、端折りすぎたかもしれないと、
この箇所を最後に引用。

「 なぜ、残っていないのか?
 神聖な祭器であった井戸茶碗は、もともと数が少ないうえ、ある期間が
 過ぎると、粉々に砕いて土のなかに埋めてしまったからだという。」(p105)


はい。神聖な祭器を茶道では大切にあつかい。
本来、粉々に砕いて土のなかに埋められてしまう
はずだった祭器を、茶道では井戸茶碗として伝えている。

何だか井戸茶碗への歴史回答を得たような手ごたえで、
本に載る、井戸茶碗の写真を見入ることとなりました。


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