和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

コレラのパニックと流言蜚語

2024-05-14 | 短文紹介
吉村昭著「磔」にあるらしいのですが、未読。
ここには、曽野綾子著「ほんとうの話」(新潮文庫)。
ちょっとですが、明治10年に起きたコレラのパニックが書かれておりました。

「・・・何のいわれもないどころか、いいこをして殺された人までいる。
 たまたま今、手許にある新聞には、明治初期の千葉県鴨川の医師・
 沼野玄昌という方のことが出ている。

 明治10年に、全国的に猛威をふるったコレラは、10月になると当時、
 長狭(ながさ)郡貝渚(かいすか)村と呼ばれた鴨川にも発生した。

 近隣の村を合わせると、患者480人のうち261人が死んだのである。
 村人たちは奇病を恐れてパニック状態に陥った。

 沼野医師は、漢方、蘭方、解剖外科にも明るく、
『 西洋医学も修めた医師 』として医学知識のない村民たちを相手に
 防疫に当ることになった。何の衛生知識もない村人たちは、

 汚物は川に捨てる、死者は土葬にする、という調子だったから、
 沼野医師はまず火葬をすすめ、井戸にクロール石灰を投げいれたりした。
 しかしコレラはそうは簡単にはおさまらないので、
 村人は沼野医師を信じなかった。

『 あの医者は、金もうけのために、井戸に毒を入れてわざと病人を作っている 』
 
 と彼らは言い、或る日、ついに竹槍やくわで、当時41歳だった沼野医師を
 惨殺したのである。この話は、土地の人々の間でも思い出したくない話しとして、
 長い間タブーになっていたのだが、今度101年目に慰霊碑が建ち、
 児童公園もできたという。

 別に恥じることはない、と私はおもう。
 私がその場にいても、恐らく医師殺害に与(くみ)したろうと思うし、
 私の父母も、その場に居合わせたら、医師を憎んで竹槍をふるったかも
 知れない。人間、誰しも考えること、やることは、同じようなものである。
 ただそこには、人間が普遍的に犯すあやまちがあるだけである。  」(p96)


私は「安房郡の関東大震災」をテーマに語ろうとしてるのですが、ここで、
流言蜚語に立ち向かう、指導者としての大橋高四郎を、まず思うのでした。


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