和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

吉田兼好の宗派?

2022-07-08 | 古典
谷沢永一・渡部昇一『平成徒然談義』(2009年)を
パラパラとめくって、面白そうな箇所を引用。

徒然草第52段を谷沢さんは語ります。

「 旅の話ということで、52段を見てみましょうか。
 『徒然草』には仁和寺がよく出てくるのですが、これは
  仁和寺の法師が石清水八幡宮に初めて参詣した話です。
  ・・・・・

  私はこの段の最後にある『先達』という言葉を、
 『チチェローネ』と読むようにしています。

  歴史家のブルクハルトが『チチェローネ』というタイトルで
  本を書いていて、これはローマの旧跡を案内するガイドの呼称です。
  ローマを深く知るのなら、この人たちを雇ってまわったほうがいい。
  ちょっとしたことでも経験者、案内人の知識、知恵を乞う姿勢は
  大事でしょう。 」( p31~32 )

うん。ここからどういうわけか大学の概論講義へと話が弾んでいました。

それはそうと、兼好は何宗だったのか?
ここも谷沢さんの語りから引用します。

「 『徒然草』の作者である吉田兼好のいた時代は、
  まさに天台宗の全盛期でした。鎌倉新仏教を築いた人たちは、 
  当時の日本における最高の図書館であり大学だった比叡山で、
  学問をしました。ところが当時は、いかに勉強して仏教の教えを
  頭に入れても、身分が卑しければ上に上がることは出来ない。

  藤原北家の系統に生まれ、一番上の兄貴がお公家さんとして
  太政大臣になると、弟は天台座主になる。

  それを悟って、みんな山を下りたわけです。つまり、
  一遍、法然、親鸞という系列、いわゆる鎌倉新仏教は、
  当時は支配的なものではなく、むしろ異端の説の類でした。

  そして、兼好も仏教徒としては天台宗だったのです。

  にもかかわらず、次の段(第39段)で法然上人の名を
  出してくるのが、兼好の兼好たる所以でしょう。

  兼好は仏教の宗派に対して中立的な人で、
  自分のよしとするものは、遠慮会釈なく取り上げたのです。

  『歎異抄』のなかで決め手になる言葉は
  『法然がこう、おっしゃった』と親鸞が言っている場面が多い。
  しかし、そもそも
  念仏を唱えることを提唱したのは、法然なのですから。  」
                 ( p103~105 )

このあとに渡部さんは続けます。

 「・・・・・この超越している感じが法然らしいし、
  だからこそ法然は偉いと思いますね。
  法然のことを何も知らなくても、ここだけ読んだだけで、
  法然の偉さがわかります。
  その本質をつまみ出した、兼好の目もまた鋭い。 」(p105)

はい。第39段の原文を、あらためて引用したくなります。

  或る人、法然上人に
  『念仏の時、眠(ねぶ)りに侵されて、行を怠り侍る事、
   いかがして、この障(さは)りを止(や)め侍(はべ)らん』
   と申しければ、

  『目の醒(さ)めたらん程、念仏し給へ』

  と答へられたりける、いと尊かりけり。
  また、

  『往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり』

  と言われけり。これも尊し。
  また、

  『疑ひながらも念仏すれば、往生す』

  とも言はれけり。これもまた、尊し。


気になったのは、徒然草第59段に及んだ際に
谷沢さんは、こう指摘しておりました。

「 『老いたる親、いときなき子』云々は
  道元の『正法眼蔵随聞記』から引いています。
  道元の言葉が出てくるのは、たしか、
  ここだけではないかと思います。    」(p112)

兼好の時代の宗教といわれてもなあ、
私にはチンプンカンプンなのですが、
チチェローネ・谷沢さんの話には惹かれます。



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4 コメント

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そうでしたか… (kei)
2022-07-09 12:12:20
法然上人の新しい仏教に感涙する兼好ですよね。
上人の大きさを読み取れる箇所ですが、
59段の一節が、道元の『正法眼蔵随聞記』からの引用の言葉とは知りませんでした。
教えていただきました。

「ここだけ」
そうなのか…と少し興味を持ちました。
読んでいるということですね?
返信する
第59段ですが。 (和田浦海岸)
2022-07-09 14:39:56
こんにちは。kei さん。
コメントありがとうございます。

第59段の話なのですが、谷沢さんの
直感による独断かもしれないわけで、
この機会に他の本で確認してみます。

松尾聡著「徒然草全釈」(清水書院)。
その第59段の【参考】の箇所を引用。

「前段の趣旨を徹底させて、・・・
 説得力ゆたかな大文章である。
 正法眼蔵随聞記の影響がいちじるしい
 と言われる。 」

あと、keiさんの『ここだけ』かどうかの
疑問なのですが、

武石彰夫著「徒然草の仏教圏」(桜楓社)
の第59段への説明の箇所にありました。

「・・兼好が道元の教えをどのように摂取したかは
 明確ではないが、『徒然草』中には、
 共通を認めうる段がある。しかし、それをもって
 兼好の信仰と結びつけるのははやすぎる。

 ただ、この段の文章がそういう思想的な営みを
 示すスタイルを持ち得ているということ、
 中世的思想のかかわり合いの中に、
 道元と兼好の考え方が位置づけられる
 ということを言っておきたい。・・」(p164)

まあ、専門家ならたちどころに何冊も
引用できるのでしょうが、なんせ素人。
はい。私がわかる範囲はこのくらいです。

ちょっと億劫で調べようとしなかったのですが、
keiさんに、調べるよいチャンスをもらいました。
返信する
正法眼蔵随聞記 (kei)
2022-07-09 22:37:54
こんばんは。
ご丁寧にありがとうございます。
矢沢さんの独断ではなく、指摘されている方々がおいでなのですね。
道元って、禅以外のいかなる宗派とも妥協しなかったとか…。
道元は念仏宗を、「ただしたをうごかし」念仏を唱えるのは、
「春の田のかへるの、昼夜なくがごとき」もの 、と批判していたようです。痛烈!
兼好は極端に走らないが否定もしない、など聞いた覚えが…。
兼好と道元の違いも感じてしまいます。
感じるだけ。
武石彰夫のご指摘、メモメモです~。なるほど、っとまでいきたいです。
ありがとうございました。
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2022-07-10 06:30:00
おはようございます。keiさん。
コメントありがとうございます。

正法眼蔵随聞記は水野弥穂子訳(ちくま学芸文庫)
のガイドさんの説明がわかりやすかった。

うん。私は女性のガイドさんだと素直になれる(笑)。

増田文雄訳「正法眼蔵」(講談社学術文庫)は
いつかは読もう本として本棚にあるのですが、
こちらは埃をかぶったままです。

ただ感触として分かるのは
「正法眼蔵」を読み齧ると、
もう「正法眼蔵随聞記」へは戻れない。
なんか、それほど大きな存在として
『正法眼蔵』が立ちはだかる印象です。

いつか完走したいなあ、『正法眼蔵』。
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