和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

自身の中の宝石を。

2021-12-02 | 古典
はい。12月へと踏みこんでしまいました。
今年は月刊誌を読まなかったなあ。

そんな月刊誌に、平川祐弘氏が連載している
「一比較研究者(コンパラティスト)の自伝」がありました。
その12月号では(38回目)、芳賀徹への弔辞が掲載されておりました。
この38回目は、歯に衣着せぬ芳賀氏へのやりとりが楽しめます。
それはそうと、この回の最後に芳賀徹への弔辞がありました。
はい。弔辞から、この箇所を引用。

「・・先年『手紙を通して読む竹山道雄の世界』を編集して、
竹山と一番深く対話した生徒は芳賀だなと思いました。

芳賀は政治色は強く出さないが、
時流を恐れるな、時流から隠遁するな、
時流を見つめよ、時流をこえて人間と世界を思え、
そのために歴史を学べ、古典に触れよ、という
精神の自由を守った人と思います。

そんな芳賀だから自己の感性に忠実に
徳川の文化を生き生きとよみがえらせました。
俳人蕪村、蘭学者玄白、画家由一などに
温かい光をあて、きめ細かく論じました。

自国を卑下せず、強がりもいわず、
仏米からも韓国中国からも古今の日本からも
良いものをとりいれ己れの宝としました。・・・」(p360)

宝といえば、この回の弔辞のまえに
平川祐弘氏は、こう指摘するのでした。

「芳賀は自身の中の宝石を生涯磨き続け・・・・」
(p358・月刊Hanada 12月号)


ちなみに、先頃発売された、1月号で平川氏は
はじまりから、弔辞のことを語っておりました。

「・・私は芳賀徹の弔辞を読んだとき、
私が先に逝ったなら芳賀が私の弔辞を読んだろうに、
と思った。だがその順でなくなった今、
平川祐弘の弔辞は若い人にお願いすることになる。・・」(p346)

「・・私も90歳だ。学生とのつきあいこそ教師の本領だろう。
今回と次回と・・教えた人も、それ以外の人も、
名前をあげ、思い出を書かせていただく。
ただ・・品のいいのも悪いのも一緒くたにする・・・」(p347)

はい。読んでみたい方の本と名前があり、
こちらも、さっそく古本注文することに。



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