和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

願いごとを祝い事にして

2023-09-19 | 古典
伊藤唯真著「未知へのやすらぎ〈阿弥陀〉」(佼成出版社・昭和54年)。
そこに「迎講」と題する箇所があり、何だか私には印象深い箇所でした。

「今昔物語集」「沙石集」「述懐抄」などから引用されているのですが、
ここには、「沙石集」からの引用箇所をとりあげてみます。

「・・この上人は、世間の人が正月はじめに
 願いごとを祝い事にしている習いに従って、
 大晦日の夜、使っている小法師に書状をもたせ、

 『 明日元旦に門をたたいて物申せ、
   自分がどこからきたかを問うから、

   極楽よりきた、阿弥陀仏のお使だ、
   阿弥陀からの文があるといって、
   この書状をわたしに与えよ   』

 といいつけて仏堂へ遣った。
 さて元日となり、教えたとおり
 小法師に仏堂から来させ、門をたたかせ、
 しめしあわせたとおり問答した。

 上人は裸足で飛び出て、小法師がさし出す書状を頂戴し読んだ。
 それには

   娑婆世界ハ衆苦充満ノ国也、
   ハヤク厭離シテ、念仏修善勤行シテ、
   我国ニ来ルベシ、我聖衆ト共ニ来迎スベシ

 と書かれ、上人は涙を流しつつ、これを読んだのであった。
 かくすること毎年であったという。

 さて『沙石集』は、この元旦の奇特な行為に感心した国司が、
 迎講を修したいという上人の願いを聞き、
 仏菩薩の装束を整えさせ、かくて『聖衆来迎ノ儀式年久ク』、上人は
『思ノ如ク臨終モ、誠ニ聖衆ノ来迎ニ預テ、目出ク往生ノ本意ヲトゲ』た
 と述べている。

 そして、これが丹後国の迎講のはじまりであり、
 天の橋立で始めたとも伝えていると書いている。 」(p195~196)

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