和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

明治10年。

2008-04-17 | Weblog
窪田空穂(うつぼ)を、ちょいと読み齧って、空穂という方は、いったいどんな人なのだろうという興味をもちました。
ひとつには、角田柳作先生との関連です。
どちらも同じ年の明治10年に生れております。
ドナルド・キーンの先生として角田柳作氏を、ドナルド・キーン氏は繰り返しエッセイで取り上げておりました。それでもって、いったいどのような講義だったのだろう。という簡単な興味を持っておりました。そこに角田先生と同年に生れた窪田空穂氏が、私の読書の視野にはいってきたというわけです。

角田柳作とドナルド・キーンのような関係の人を、
窪田空穂に求めるとしたら、大岡信氏かもしれないなあ。
というのを思いました。
とりあえず、
大岡信著「しのび草 わが師わが友」(世界文化社)と
大岡信著「日本の古典詩歌5 詩人たちの近代」(岩波書店)にある
「窪田空穂論」とを読んで思ったというわけです。
身近なところでは、岩波文庫の「窪田空穂随筆集」の解説を大岡信が書いており、
それがラフな語り口でスラスラと読めました(岩波文庫では「窪田空穂歌集」「わが文学体験」のどちらも大岡信解説で出ております)。


ところで、大岡信著「窪田空穂論」に

 四月七日午後の日広くまぶしかりゆれゆく如くゆれ来る如し

という歌が引用されておりました。こうあります。
「窪田空穂が永眠したのは昭和42年(1967)4月12日の夜である。明治10年(1877)6月8日生れだから、数え年で91歳の長寿を完うした大いなる死だった。逝去の4日前、4月8日に空穂は次の二首の歌をつくった。これが絶詠となった。」
とある二首の最初の歌を引用しました。

ところで、4月15日は全国的によい天気でした。昨日は晴れのち曇り。今日はこれから雨模様の天気予報。「まぶしかりゆれゆく如くゆれ来る如し」の、4月の晴れ日をあらためて思ったりします。

そうでした。ドナルド・キーン氏が角田柳作先生を語るように、
大岡信氏が窪田空穂を語る箇所をすこし引用しなければいけませんね。

「私は今、日本の古典詩歌についてものを書くということが多くなっている。ほんとはこんな具合になるはずではなかった。私は古典詩歌について大口を叩けるほどの高い教養や知識の蓄積をもってはいない。そんな人間が、奇妙なことに、今ではかなり沢山の文章を書いてきてしまった。もとをたぐれば、空穂にまで達する。そしてその先にはもうルーツはないも同然だ。私は若いとき以来読みかじってきた窪田空穂の文章から体得したことを、今、我流で展開しているにすぎない。こんなことを書くと、大仰なことをいうと思われるかもしれないが、私は別に誇張しているわけでも、事実を曲げていっているわけでもない。私は空穂を通じて、古典詩歌を読むのも現代の詩歌を読むのと同じ態度でぶつかって、決して間違ってはいないということを教わった。・・」(「しのび草」p345)

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