映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

姿三四郎 黒澤明

2011-04-29 17:58:22 | 映画(日本 黒澤明)
黒澤明監督のデビュー作である。姿三四郎といえば誰でも知っているキャラクターである。
講道館の嘉納治五郎師のもとに学ぶ柔道家西郷四郎がモデルといわれる。昭和18年戦中につくられただけあって、出演者の面構えが違う。明治の柔道家の荒々しさがにじみ出るような気がする。まとまりよい傑作だと思う。



明治15年、柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎こと藤田進は柔術の神明活殺流に入門。彼らは修道館柔道の矢野正五郎こと大河内伝次郎の闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現した修道館柔道をいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は川に投げられてしまう。三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。

三四郎は街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう暴れん坊。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝した。三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込む。矢野は取り合わない。一夜明けて意地を張っていた三四郎だが、心を入れ替えることを決意する。


修道館の矢野の元に道場破りの刺客が絶えない。警視庁の新しい柔術道場開きの招待状が届く。その場で他流試合を設けたいという誘いであった。ここで神明活殺流の門馬が三四郎にあてた挑戦状であった。謹慎明けで稽古に励む三四郎。しかし柔術の雄も三四郎の敵ではなく投げ飛ばす。その場にいた柔術家の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。
その後も柔術の師範村井半助こと志村喬は警視庁武術大会での試合を三四郎に申し込む。三四郎が想いを寄せるその娘の小夜こと轟夕起子は老いた父の勝利を願っていたのであった。その事を知った三四郎は自分が試合にどう臨めばいいのか自問自答してしまう。

面構えがちがう。昭和18年といえば、戦争の真っただ中、こんな時には軟派の若者はいない。明治の初めの面構えと同じではないだろうか。そう考えると、今この映画を作っても物足りないものになってしまうであろう。主演の藤田進の顔立ちは「ヒクソングレイシー」にそっくりである。いかにも道を究める顔立ちだ。大河内伝次郎の貫禄もさすがだ。ライバルの柔術使いの月形竜之介のあくの強い顔はくせのある剣豪の匂いがする。クールだ。のちに映画で「水戸黄門」を演じるときの顔立ちと比べてみると思わず苦笑する。でも志村喬は柔術の師範役だけど、いかにも弱そう。「生きる」のときの顔とそん色ない。


幼いころ、姿三四郎の雄姿に憧れた。テレビで倉丘伸太郎主演のドラマを見ていた。曾我廼家明蝶の和尚役の印象が強い。そういえば美空ひばりの空前のヒット曲「柔」はこのあとの嘉納治五郎の生き様を描いたドラマ主題歌だった。東京オリンピックと同時に柔道ブームだったのかもしれない。
桜木健一主演テレビドラマ「柔道一直線」はこの映画の影響を強く受けている気がする。実際の柔道ではこんなに大きく動いたりしない。しかも、同じように派手に遠くまで投げ飛ばす。この影響はこの映画によるものと思う。

必殺技「山嵐」は映画ではセリフとして出てこない。しかし、映画の中で藤田進演じる三四郎が刺客にかける技はまさしく「山嵐」である。背負い投げと体落としのあいの子のような技だ。右手が相手の右袖を持つ。ここがミソだ。志村喬も月形竜之介も遠くにぶん投げる。実戦では力に相当差がないとありえないけど、ビジュアル的にはこうした方が見栄えがいい。


高校で柔道をやっている時、すでに社会人になっていた先輩たちに稽古をつけてもらった。その時医者になった先輩でものすごく強い先輩がいた。当時大学の医局にいた。その先輩が「山嵐」式背負い落としを多用していた。我々がびゅんびゅん投げられた後、同期がこの技を使う様になった。割と決まった。まだ「山嵐」とは知らず、その先輩の名をとって「A式」と我々は言っていた。
その先輩はのちに有名医大の外科の教授になられた。つい先ごろまで大学にいらっしゃった。いまだ民間病院のお偉いさん。今でも「山嵐」でぶん投げていらっしゃるのであろうか。
コメント (2)
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真実の瞬間  ロバートデニーロ

2011-04-29 10:48:59 | 映画(洋画 99年以前)
映画界で繰り返し取り上げられているテーマとして大戦後の映画界の「赤狩り」がある。
「真実の瞬間」は91年のロバートデニーロ主演作品だ。「赤狩り」で窮地に陥る映画監督の偶像をいちばんよく表現していると思う。これでもかこれでもかと攻め立てるアメリカ政府当局の執拗な動きには少々驚いた。戦前の日本の特高警察と大して変わらない。

1951年9月、売れっ子監督デイヴィッド・メリルことロバート・デ・ニーロはフランスから帰国した。家庭を顧みない彼は元妻アネット・ベニングと離婚していた。息子にはときどき会わせてもらっていた。帰国パーティの席上、突然女優のドロシー・ノーランが夫のシナリオ・ライターことクリス・クーパーをなじり始めた。彼が共産主義者を取り締まる委員会に友人を売ったというのだ。
映画界のドンから呼び出しを受けたロバートは弁護士に会うように言われた。共産主義者としてのブラック・リストに名前が挙がっているので、誰かを売ることを弁護士に勧められた。ロバートは共産主義者の集会に出たことはあったが、論争になってケンカ別れをして以来共産主義者とは縁がなかった。党員でないロバートは断固たれ込みを拒否した。帰宅すると女優がFBIの力により息子の保護権を奪われたことを知った。ロバートは仕事を奪われ、撮影所には出入り禁止となる。ロバートはブロードウェイにいる昔の仲間を頼って求職のためニューヨークへ行く。そこでもFBIは妨害し、彼が面倒を見た女優でさえ彼を避けた。見かねた元妻アネットべ二ングが見かねて息子と3人で住む。状況は好転しないが。。。。

ソビエトとの冷戦の時代、共産主義者の疑いのある者を糾弾する「赤狩り」が行われた。下院非米活動委員会によって、多くの芸術家が攻撃され、ハリウッドの映画界もその嵐に巻き込まれていた。
「エデンの東」「波止場」のエリア・カザン監督も共産主義者の嫌疑がかけられた。エリアカザンはこれを否定するために司法取引し、友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会にもらした。逆にこのたれ込みがなければ、名作「エデンの東」もなく、ジェームスディーンというスターが生まれなかったかもしれない。1998年、エリアカザンは長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」を与えられた。赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びる異例の扱いを受けた。

ここでのロバートデニーロは反対の行為を演じる。第3者の名をあげることを拒絶する。映画の最後の最後まで徹底的に当局から虐待を受ける。すさまじい話だ。
一つだけわからないことがある。エリアカザンがオスカー名誉賞を受賞した時のプレゼンターがなんとロバートデニーロと映画「真実の瞬間」に俳優として出演していたマーチンスコセッシ監督だったそうだ。これがどういう意味を持つのか自分にはわからない。皮肉かな?



あとは若き日のアネットべ二ングの美貌に注目したい。個人的には大ファンだ。今の彼女も素敵だと思う。たくさんある彼女の作品の中でもこの映画の知的美貌は際立つ。今年ナタリーポートマンにオスカー主演女優賞をさらわれたが、これから先に期待したい。
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