映画とライフデザイン

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映画「デルス・ウザーラ」 黒澤明

2013-05-06 13:40:52 | 映画(日本 黒澤明)
映画「デルスウザーラ」は黒澤明監督が1975年旧ソ連に招かれ製作したソビエト映画だ。
1902年から数回にわたって地誌調査のために沿海州を探検したウラジミール・アルセーニエフの旅行記を基にしている。

上映された1975年、高校生の自分は有楽町の映画館で完全版「七人の侍」を見に行っている。試写には黒澤だけでなく三船敏郎、志村喬、千秋実をはじめその年亡くなった加東大介を除く六人の侍がそろったのだ。これは当時マスコミで話題になった。自分は初めてみて感動した。その時インターミッションで見ず知らずのオジサンに話しかけられた記憶がある。黒澤明論を説かれ、「自分も農家出身だけど農民は汚い」と言っていた。その年映画「デルスウザーラ」も公開されたが、気になりつつも結局行っていない。
その後見に行く機会がなかった。DVDレンタルもない。アマゾン中古価格は高価だ。ときおり記念上映がされることもあるが、スケジュールが合わない。縁がなかった。つい最近アマゾンで復刻版のDVDが発売されることを知った。購入しようとしたら売り切れだ。そんな時ツタヤ復刻版に入っていた。いつもながら本当に助かる。

1965年に1年半かかって「赤ひげ」をつくった後、翌年東宝専属を外れる。金がかかる完全主義の黒澤と縁を切ったのだ。同時に海外からの招聘にこたえる。しかし、それらはことごとくうまくいかなかった。「暴走機関車」「トラトラトラ」いずれも黒澤映画として日の目を見なかった。1970年の「どですかでん」は成功しなかった。自分もその映画はあまり好きじゃない。1971年大映倒産の年には自殺未遂をしている。最悪だ。そんなあとつくった映画である。世はまだ冷戦時代、旧ソ連は共産主義の強国であった。そんな旧ソ連から黒澤明は三顧の礼で迎えられた。

ロシアの広々とした風景をバックに、10年ほど不遇の続いた黒澤明がスケールの大きな映像を映し出していたことに感動した。映像コンテは黒澤らしく計算された美しさをもつ。

1902年アルセーニエフ(Y・サローミン)は地誌調査のために兵士6名を率いてウスリー地方にやってきた。秋のある夜アジア系少数民族ゴリド人のデルス(M・ムンズク)に会った。

隊員たちが熊と見まちがえたくらい、その動作は敏捷だった。デルスは、天然痘で妻子をなくした猟師で、家を持たず密林の中で暮らしている。自分の年齢はわからない。
翌日からデルスは一行の案内人として同行することになった。デルスの指示は的確で、森の中のちょっとした差異を見逃さない。最初はバカにしていた兵士たちも何も言えなくなるようになる。

アルセーニエフとデルスがハンカ湖に出かけた時のことである。

2人で調査にあたっていると気候は突如急変した。デルスは、アルセーニエフに一緒に草を刈り取るように言い、二人は厳寒に耐えながら草を刈り続けた。日が暮れ、猛吹雪が襲ってきた。アルセーニエフはあまりの寒さと疲労のために気を失った。気づくと吹雪がおさまりもとの静けさをとり戻していた。デルスが草で作った急造の野営小屋のおかげで凍死をまぬがれたのだ。2人の友情は徐々に強まっていった。
厳しい冬がやってきた。寒さの他に飢餓が彼らを苦しめた。この時もデルスの鋭い臭覚で焼き魚の匂いをかぎ取り、現地人の小屋で飢えをしのいだ。第一次の地誌調査の目的を達したアルセーニエフの一行はウラジオストックに帰ることになり、デルスは弾丸を少し貰うと、一行に別れを告げて密林に帰っていった。

1907年。再度ウスリー地方に探検したアルセーニエフはデルスと再会した。その頃ウスリーには、フンフーズとばれる匪賊が徘徊し、土着民の生活を破壊していた。フンフーズに襲われた土着民を助けたデルスはジャン・バオ(S・チャクモロフ)という討伐隊長にフンフーズ追跡を依頼した。
ある時自分たちの後を虎が追っていることを足跡を見て気づく。そして遭遇する。デルスは虎を撃った。必ず虎に復讐されるはずだとデルスは撃ったことを悔やんだ。デルスをアンバ(ウスリーの虎)の幻影が苦しめ極度に恐れさせた。その頃から、デルスは視力が急速におとろえ猟ができなくなった。もはや密林に住むことは許されない。デルスはアルセーニエフの誘いに応じ彼の家にすむことになった。しかし、密林以外で生活したことのないデルスにとっては、つらい生活だったが。。。。

この映画を見ながら、世界地図を開く。ウスリー、沿海州というと世界史の世界だ。1858年のアイグン条約でロシアと清の共同管理となり2年後ロシアは北京条約で奪い取る。18世紀くらいからロシアと清がそれぞれの領土拡大のために勢力争いをしていた。ピョートル1世と康熙帝が結んだネルチンスク条約はもっと極寒の地で結ばれたのかと思うと感慨深い。
ハンカ湖の位置を確認した。中国とロシアで分け合っている湖だ。ウラジオストックからも遠くはない。北海道の位置と比較して寒いのは間違いない。第2部で湖を覆っていた氷が溶ける映像が映し出される。豪快な映像だ。

この映画で一番印象的な映像はハンカ湖で嵐に遭遇する場面であろう。
デイヴィッドリーン監督の映画を連想させるロシアの雄大な光景は他の黒澤映画にはないものだ。デルスは足跡をみてこれは中国人があるいた跡だとか若者が歩いていると的確に当てる本能的な優れた才能を持っている。ハンカ湖で嵐に遭った際、自分たちの足跡が見れなくなったことですぐに引き返そうとデルスは忠告する。しかし、2人は道に迷ってしまう。コンパスどおりに行っても戻れない。銃を空に向かっても撃っても誰も反応しない。

すぐさま草を刈れという。小屋をつくるのかと連想したが、すさまじい体力がいる。それでも完成させて2人が助かる場面は爽快な印象を得た。ここでは吹き荒れる吹雪の中、懸命に生きようとする2人の執念のようなものが感じられる。そしてデルスの知恵が浮き彫りになる。実際に2人でクタクタになるまで草を刈ったそうだ。この映像は黒澤映画の長い歴史の中でも際立った名場面と言えそうだ。


「デルスウザーラ」はアカデミー賞外国映画賞に輝いている。
これは黒澤本人も予想していなかったようだ。黒澤明は授賞式には参列していない。でもこれを機に黒澤の運は上向く。「影武者」「乱」と続く。フランシスコッポラとジョージルーカスが応援して黒澤にスポンサーが現れたのである。この映画は彼にとって運を呼んだ映画だった。
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映画「終の信託」 草刈民代

2013-05-06 11:34:16 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「終の信託」は周防監督による2012年公開草刈民代主演のシリアスドラマ

尊厳死をテーマにした映画。
テーマが重い感じがして劇場行きを見送った。主人公の医師が患者と触れ合う部分がちょっと長すぎると思わせたが、見せ場がたくさんあって興味深く見れた。
検事役の大沢たかおを見ていて、こいつ憎たらしいなあと見ていた。
そう思わせること自体うまいのだろう。

まず主人公折井綾乃(草刈民代)が検察庁に出頭し、待合室で待つシーンが写される。検察官・塚原(大沢たかお)は部下にしばらく待たせるように指示し、なかなか取り調べが始まらない。
3年前の回想シーンに移る。
折井綾乃は43歳で天音中央病院の呼吸器内科部長である。同僚医師の高井(浅野忠信)と長い間不倫関係にあった。綾乃は彼が妻以外の若い女性といるのを見てしまう。彼を問い詰める。自分は綾乃と結婚するつもりはないと言われ落胆する。精神が不安定の中、当直時に睡眠薬を飲みすぎ倒れ大騒ぎとなる。

綾乃の担当患者に重度の喘息を患い入退院を繰り返していた江木秦三(役所広司)がいた。綾乃と江木は医師と患者の枠を超え心の内を語りあうようになった。そのことで落胆した綾乃の気は紛れた。
江木の病状は悪化する一方だ。自分の死期が迫っていることを自覚した江木は綾乃に懇願する。「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と。

その後、江木は川で散歩している時に倒れる。救急車で病院へ運ばれた時は心肺停止状態であった。担当医の折井が懸命に救命処置をして一命はとりとめた。しかし、意識が戻る見込みはなかった。
江木からは最期の処置について言われていたが、家族と相談する必要があった。意識が戻る可能性が薄いことを家族に話して喉に通っているチューブを取り外すことになったが。。。

大きな見どころは3つあると思う。
1つはぜんそくの発作に苦しむ患者江木(役所広司)の姿を映す場面だ。本当に苦しそうだ。たぶんぜんそく患者が苦しむ姿を何かでみて演じたのであろう。リアルだ。

余談だが、自分は会社の同期がぜんそくで死ぬまでこの病気がこれほどの疾患だと思っていなかった。北野高京都大工出身の秀才だった。一緒に営業をやっていたが、資格をとると同時に技術に移った。ところが、営業時代の顧客が経営する会社に誘われ転職した。起業家を夢見たのであろう。転職先は中小企業で相当苦労したようだ。このころからぜんそく疾患が悪化する。結局辞めてIT系大企業で自分の専門を活かしてクライアントへ提案をする仕事になった。もうその時点では身体はガタガタだった。
死んだあと、彼のご母堂に生きている時の手帳を見せてもらった。会社にも家にもぜんそく疾患がひどくなっていることを言っていなかったのだ。その日の体調を毎日手帳に書いている。徐々に症状が悪くなっているのが書いてあり痛ましい。
最後は自宅で発作を起こした。風呂に長時間入って出てきたとき、彼は母上に何かを訴えた。母親は病気のことは何も知らない。吸引器を求めたのでろう。彼は窒息死した。32歳だった。
その場面が思い出された。

2つ目は意識がなくなった患者江木(役所広司)からのどのチューブを抜き去る場面だ。妻そして2人の子供のいる前で綾乃がチューブを抜く。そうすると、意識のなかった江木が大暴れするのである。息ができないからか、身体を大きく揺らす。チューブを抜いたら死ぬというわけではなかった。懸命に注射をする綾乃と看護師だったが、追加で注射してようやく静まった。そこが最期だった。
この演技も凄い。ここで注射を何回もしたのが、あとで検事に糾弾されることになる。


3つ目は検察官塚原(大沢たかお)が綾乃を取り調べで厳しく追及する場面だ。この場面も十分研究されてつくられたのがよくわかる。意識が亡くなってから綾乃がした行為を取り調べで追っていく。彼女が医学的な話をしても、事実だけを述べてくれというだけだ。大沢の手元にはメモはない。じっと綾乃を見つめて追及していく。誘導尋問というべきか?ジワリジワリ綾乃がした行為を追っていく。
ほとんどの観客は綾乃の味方であろう。検事が憎たらしく見える。被疑者への同情の余地はまったくない。ひたすら綾乃の殺人行為について追及していく。これには参った。凄腕の検事というのがどのように被疑者を追い詰めるのかをじっくりと見せていく。

役所の小さい時の逸話など前半戦は若干凡長な部分もあるが、上記3つの見せどころはうならされた。
他にも見せ場はある。草刈民代が不倫する場面であえて彼女を脱がすシーン。「シャルウィーダンス」の彼女には崇高なイメージがあった。元々お高く見える方である。それをあえて覆さないと周防監督は変化が持てないと思ったのであろうか?夫である監督は妻の草刈民代を何度も地に落とす。

普通であれば、家族と医師とだけの問題がここまで発展する背景に、彼女がエリート医師である故の外野のひがみもあると劇中で語られる場面もある。
検事の調書によると、彼女は東大医学部出身となっている。ふと思ったけど、平成13年当時に43歳とすると、自分より年上だ。今は桜蔭高校あたりのレベルが急激に上がって、理科三類にも女性が割と行くようになったけど、当時は5人もいないのではないか。そうすると、女性の東大医学部卒業生はもっと貴重な存在であり、この主人公と歩むキャリアが違うんじゃないかな?という気はした。

いずれにせよ、いい映画だと思う。
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