映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

千葉稲毛を散策

2013-05-13 05:30:34 | 散歩
千葉市の稲毛浅間神社の隣におもしろい建物が2つある。

清朝最後の皇帝かつ満州国皇帝となった宣統帝溥儀の弟溥傑が住んだところである。
彼は日本の皇族と遠縁にあたる嵯峨家から嫁浩をもらった。
溥儀には子供がいなかった。「男色」説、「不能」説両方ある。そんなこともあり、弟溥傑の家系で男子の誕生が期待されていた。その新婚時に住んだ家だ。

古いので今となってはごく普通の家に見える。

清朝皇帝の略系図
18世紀の清朝黄金時代を経て、19世紀前半嘉慶帝の時代から少しづつ衰退、道光帝時代からは列強に侵略される。咸豊帝のあたりから複雑になる。女傑西大后が権力を握り、清朝滅亡に向かう。


嵯峨家の系図を明治天皇、大正天皇をからめてつくった図
この図には明治天皇の実母中山慶子一族や明治天皇の妾で大正天皇の実母柳原愛子の名前も出ていて
少し一般に出回っているのとは違う「正直な」略系図で嵯峨家の位置を示す。


書はすごい。

それなりには立派な和室だが、このくらいだったら一般家庭にもあるかも


応接
溥儀が周恩来首相と1960年代に一緒に撮った写真がある。これは意外だった。
「ラストエンペラー」の末期にこういう上層部との関わりがあるとは思ってもいなかった。
中国史の意外な側面だ。


さすがに庭は立派だ。
今は14号線を隔てて埋め立てになっているが、昔は海、夏は海水浴場になっていたらしい。


このすぐそばに浅草名物「神谷バー」の創始者神谷伝兵衛が大正時代につくった洋館がある。
こういうスタイルは貴重な存在

一階の応接

2階の和室


「電気ブラン」という飲み物は浅草名物、別においしいというわけではないが。。
「神谷バー」はいつ行っても観光客で混んでいる。
その創始者だ。清朝の溥傑の家と違って重要人物というわけではない。
コメント
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