映画「モロッコ、彼女たちの朝」を映画館で観てきました。
「モロッコ、彼女たちの朝」は日本で初めて劇場公開されるモロッコ映画である。北アフリカに属するモロッコにはエキゾチックなイメージを持っていた。歴史的にはイスラムの欧州侵攻と国土を取り戻そうとするレコンキスタに大きく関わりを持つ。残念ながら足を踏み込んだことはない。不朽の名作「カサブランカ」を連想しつつ、今の街並みが望めるかとモロッコ映画が見てみたくなった。
モロッコでは未婚の母がタブーである。求職しながら、寝る場所を探す妊婦をパン屋を営む母子家庭の母親が助けて、一緒に暮らすようになり、やがて来る出産の日を待つという話である。登場人物は少ない。未婚の妊婦サミアとモロッコ式パン屋を営むアブラとワルダの3人にアブラに求愛する1人の男くらいである。大半がアブラの家での室内劇で、カサブランカの下町の片鱗はほんの一部しか見れない。それだけが残念だ。
自分は男性なので、出産に向かう女性心理はわからない。余計なセリフは少ない。それでも、沈黙の中から様子はわかる。マリヤム・トゥザニ監督は長編初めてだというが、夫が映画監督というだけあって3人を追うカメラ目線は的確で映像としてのレベルは高い。
出産間近で大きなお腹を抱えているサミア(ニスリン・エラディ)がカサブランカの下町をさまよっている。一軒一軒訪ねて歩き、どんな仕事でもいいから働かせてくれというが相手にされない。モロッコでは未婚の母はタブーである。サミアが訪問して断られた中で、一軒のパン屋があった。店主であるアブラ(ルブナ・アザバル)は夜寝床につこうとした時に、昼間働かせてくれと言ってきたその妊婦が路上で横たわっているのに気づく。しばし考えて、サミアを家に招き入れた。
アブラは夫を亡くし、小学生の娘ワルダがいる。明るい表情は見せず、淡々と働いている。パン屋の仕事を手伝ってもらう気はなかったが、気を利かせてサミアが細長いルジザというパンを作ってくれた。おいしいので気がつくと売り切れてしまう。
娘のワルダは妙にサミアになつくが、アブラは気に入らない。サミアは家をいったん追い出される。しかし、出ていった後でアブラは後悔の念に駆られて街に探しに行き、連れ戻す。結局、出産をアブラの家で迎えることになるのであるが。。。
⒈モロッコとイスラム
ジブラルタル海峡を隔てて、北アフリカとスペイン、ポルトガルに最も接近する場所にモロッコは位置しているので、世界史的には最重要地点だと自分は思っている。イスラムが711年西ゴート王国を攻め落とした後から1492年レコンキスタが成立するまで長期にわたって、イベリア半島をイスラムが支配していた歴史というのは今も色んなところに痕跡を残す。
モロッコは今もイスラム教が国教である。この映画でも、ほとんどの女性はヴェールをしている。周知の通りイスラム教は女性蔑視の宗教であり、この映画でも言葉少なに男女差別への抗議が語られる。
カサブランカの下町が映し出される。曲がりくねった細い道の両側には真っ白な外壁の建物が建っている。北アフリカ独特の趣きがある。日本では細い路地があるだけで歴史がある街というのがわかる。でも、都市計画でどんどん少なくなっている。それに反して、カサブランカは永遠に変わりそうもない。
⒉キツイ女と母子家庭
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「灼熱の魂」は宗教の対決の恐ろしさを感じさせる傑作である。すごい衝撃を受けた。今回公開早々に映画館に向かうきっかけは、「灼熱の魂」の主演ルブナ・アザバルが出演しているというのもある。今回は未婚の妊婦を助けたパン屋の店主という役柄だが、その表情に優しさはまったく感じられない。仕草も性格もきつい。
子供に対しては、やけに教育熱心だ。この単語は動詞とか名詞なんて子供に教えるセリフがでてくるけど、10才以下と思しき娘にわかるのかな?最近かわってきたがイスラム教国家というのは、女性には教育を与えない伝統がある。調べると、モロッコの識字率も女性は2014年でも57%で特に低い。(ジェトロHP 引用)信じられない世界だ。
そう考えると、この母親は数少ない教育を受けている上層階級で育った女性の設定である。それにもかかわらず、夫が死んでしまい、暗い人生を送っている。街のお祭りにみんな繰り出すときに、アイラインを引いてほんのわずかだけ洒落っ気を示すシーンがある。この辺りの心境の変化については男の自分にはよくわからない。
⒊未婚の母
この映画では、どんな経緯でどんな男がサミアをはらませたのかは語られない。それはそれでいい。最初自分を売り込む際に5年間美容師をやっていたというセリフがある。実家に対して、心配をかけないように、この街で美容師やっていて指名もあるのよと電話している。出産したら、故郷に戻り普通に結婚するんだとも言っている。子供は養子に出すつもりだ。
結局、サミアはアブラの家で破水して、お産婆さんを呼んで出産した。病院で産むとなると、犯罪になってしまうというのもキツイなあ。でも、サミアは離れてしまう赤ちゃんに情を移さないように、泣いても乳をやらない。そうすれば、泣き止むわけがない。そこで、サミアはどうするのか?
映画の原題はAdamだ。最初にみてなんだと思ったけど、最後に向けてわかった。
この映画の終わり方はその先の行方をいかようにも感じさせる何かがある。
「モロッコ、彼女たちの朝」は日本で初めて劇場公開されるモロッコ映画である。北アフリカに属するモロッコにはエキゾチックなイメージを持っていた。歴史的にはイスラムの欧州侵攻と国土を取り戻そうとするレコンキスタに大きく関わりを持つ。残念ながら足を踏み込んだことはない。不朽の名作「カサブランカ」を連想しつつ、今の街並みが望めるかとモロッコ映画が見てみたくなった。
モロッコでは未婚の母がタブーである。求職しながら、寝る場所を探す妊婦をパン屋を営む母子家庭の母親が助けて、一緒に暮らすようになり、やがて来る出産の日を待つという話である。登場人物は少ない。未婚の妊婦サミアとモロッコ式パン屋を営むアブラとワルダの3人にアブラに求愛する1人の男くらいである。大半がアブラの家での室内劇で、カサブランカの下町の片鱗はほんの一部しか見れない。それだけが残念だ。
自分は男性なので、出産に向かう女性心理はわからない。余計なセリフは少ない。それでも、沈黙の中から様子はわかる。マリヤム・トゥザニ監督は長編初めてだというが、夫が映画監督というだけあって3人を追うカメラ目線は的確で映像としてのレベルは高い。
出産間近で大きなお腹を抱えているサミア(ニスリン・エラディ)がカサブランカの下町をさまよっている。一軒一軒訪ねて歩き、どんな仕事でもいいから働かせてくれというが相手にされない。モロッコでは未婚の母はタブーである。サミアが訪問して断られた中で、一軒のパン屋があった。店主であるアブラ(ルブナ・アザバル)は夜寝床につこうとした時に、昼間働かせてくれと言ってきたその妊婦が路上で横たわっているのに気づく。しばし考えて、サミアを家に招き入れた。
アブラは夫を亡くし、小学生の娘ワルダがいる。明るい表情は見せず、淡々と働いている。パン屋の仕事を手伝ってもらう気はなかったが、気を利かせてサミアが細長いルジザというパンを作ってくれた。おいしいので気がつくと売り切れてしまう。
娘のワルダは妙にサミアになつくが、アブラは気に入らない。サミアは家をいったん追い出される。しかし、出ていった後でアブラは後悔の念に駆られて街に探しに行き、連れ戻す。結局、出産をアブラの家で迎えることになるのであるが。。。
⒈モロッコとイスラム
ジブラルタル海峡を隔てて、北アフリカとスペイン、ポルトガルに最も接近する場所にモロッコは位置しているので、世界史的には最重要地点だと自分は思っている。イスラムが711年西ゴート王国を攻め落とした後から1492年レコンキスタが成立するまで長期にわたって、イベリア半島をイスラムが支配していた歴史というのは今も色んなところに痕跡を残す。
モロッコは今もイスラム教が国教である。この映画でも、ほとんどの女性はヴェールをしている。周知の通りイスラム教は女性蔑視の宗教であり、この映画でも言葉少なに男女差別への抗議が語られる。
カサブランカの下町が映し出される。曲がりくねった細い道の両側には真っ白な外壁の建物が建っている。北アフリカ独特の趣きがある。日本では細い路地があるだけで歴史がある街というのがわかる。でも、都市計画でどんどん少なくなっている。それに反して、カサブランカは永遠に変わりそうもない。
⒉キツイ女と母子家庭
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「灼熱の魂」は宗教の対決の恐ろしさを感じさせる傑作である。すごい衝撃を受けた。今回公開早々に映画館に向かうきっかけは、「灼熱の魂」の主演ルブナ・アザバルが出演しているというのもある。今回は未婚の妊婦を助けたパン屋の店主という役柄だが、その表情に優しさはまったく感じられない。仕草も性格もきつい。
子供に対しては、やけに教育熱心だ。この単語は動詞とか名詞なんて子供に教えるセリフがでてくるけど、10才以下と思しき娘にわかるのかな?最近かわってきたがイスラム教国家というのは、女性には教育を与えない伝統がある。調べると、モロッコの識字率も女性は2014年でも57%で特に低い。(ジェトロHP 引用)信じられない世界だ。
そう考えると、この母親は数少ない教育を受けている上層階級で育った女性の設定である。それにもかかわらず、夫が死んでしまい、暗い人生を送っている。街のお祭りにみんな繰り出すときに、アイラインを引いてほんのわずかだけ洒落っ気を示すシーンがある。この辺りの心境の変化については男の自分にはよくわからない。
⒊未婚の母
この映画では、どんな経緯でどんな男がサミアをはらませたのかは語られない。それはそれでいい。最初自分を売り込む際に5年間美容師をやっていたというセリフがある。実家に対して、心配をかけないように、この街で美容師やっていて指名もあるのよと電話している。出産したら、故郷に戻り普通に結婚するんだとも言っている。子供は養子に出すつもりだ。
結局、サミアはアブラの家で破水して、お産婆さんを呼んで出産した。病院で産むとなると、犯罪になってしまうというのもキツイなあ。でも、サミアは離れてしまう赤ちゃんに情を移さないように、泣いても乳をやらない。そうすれば、泣き止むわけがない。そこで、サミアはどうするのか?
映画の原題はAdamだ。最初にみてなんだと思ったけど、最後に向けてわかった。
この映画の終わり方はその先の行方をいかようにも感じさせる何かがある。