「波の数だけ抱きしめて」は織田裕二、中山美穂のトレンディドラマのスターを中心にした1991年の映画。ホイチョイプロダクションの制作だ。今でも雑誌等で名をなすプロダクションの中心人物馬場康夫の監督作品だ。1982年の神奈川県・湘南にあるミニFMを舞台にして、当時の湘南ボーイ&ガールの日常を描く。いかにもホイチョイプロダクション制作らしいセンスの良さが満ち充ち溢れていてみていてご機嫌になる。同世代の逸話だけに気持ちが童心にかえるような気がする。バックの選曲のセンス良さは飛びぬけている。
1982年5月江の島から茅ヶ崎に向かう湘南の海辺が舞台だ。黄色のワーゲンにのった軟派男こと別所哲也が彼女とデートの途中、砂浜をドライブしようとしてタイヤが砂にはまり空回りする。あたふたしている彼を色黒の美女こと中山美穂が助ける。一目ぼれした別所は美穂を追う。名乗らない美穂はバイト先のサーフショップに入っていく。彼女はそこを拠点にしたミニFM局のDJだったのだ。
大学4年生の男女それぞれ2人の4人はミニFM局Kiwiを運営していた。サーファーが集う海岸のFM局を無線マニアの芹沢こと坂田ヒロユキを中心に始めたが、湘南じゅうの海岸で聞けるようになることを夢見ていた。小杉こと織田裕二は中山美穂が好きだったが、なかなか言えない。美穂はロスに駐在中の両親から7月にはロスの大学に編入するように言われている。美穂は織田に引きとめてほしいのだが、シャイな織田は好きと言えない。
そういう状況で軟派男別所哲也がFM放送局の仲間に入りたいと言ってくる。別所は東京の広告代理店の社員だった。別所は持ち前の業界人らしさを発揮して中継局作りに積極的に協力しはじめる。そして積極的に中山美穂を口説こうとする別所と本来の仲間の織田裕二との葛藤が高まる。同時にFM局のネットは国道134号線沿いに江ノ島方向へ急速に伸び始めるが。。。。。
87年の「私をスキーに連れて行って」で若者のハートをつかんだホイチョイプロダクションが「彼女が水着に着替えたら」に続いて制作した。ホイチョイといえばレストランガイド『東京いい店やれる店』には大変お世話になったものだ。東京を知り尽くした完ぺきなガイドだと思う。
91年といえばバブル絶頂の余韻がある時代、同時にユーミンのCDがバカ売れしていた時期だ。そのユーミンの歌が映画の基調となる。何とも言えない取り合わせの良さだ。
FM局のDJとしての中山美穂はちょっと稚拙だが、絶頂の時期だけに魅力的だ。日焼けして色黒になったというより、メイクでつくられた色黒のようで共演の松下由樹ともども不自然さを感じる。ガングロみたいだ。当時サーファーガールにみんな憧れたものだ。色白メインの今とは違い、色白の女の子も懸命に色黒を演出した。自分は男なので気持はよくわからないが、あのころ意図的に色黒にメイクしたという告白も同世代や少し下の女性からきく。あとは肌には絶対よくないと思いながら、懸命に焼きまくった子も多い。今になって鏡を見て後悔しているのでは?
でも服装のセンスその他の時代考証については間違いない。ましてやホイチョイプロダクションがつくった映画だけに抜群のセンスだ。中山美穂、松下由樹、織田裕二の服装はいかにも湘南付近をたむろっていた連中のものだ。小物も出来過ぎている。別所哲也は博報堂の社員という設定、普段着はポロシャツで、仕事着はアイビーでという雰囲気。若干決まりすぎという感じもする。でも自分も年をとってもこの映画の彼の服装とは大して変わらない。ある意味自分の世代からするとこのほうが気が楽なのかもしれない。別所が中山美穂をしゃれたレストランに連れて行っていやらしく口説く姿をみて、妙に昔の自分にダブらせ恥ずかしさを覚えた。
ディスコ「ナバーナ」が出てくる。その前身「キサナドゥ」の時代から自分もよく知っている。ここで流れている「シャイン」「ドントトーク」「インザナイト」は当時のディスコでも流れたものだ。当時六本木のディスコはメローな歌が中心で、新宿とは明らかに一線を引いていた。
こういう楽しみを今の若者が持っている感じがしない。かわいそうだ。ここ数年世間の不況音に就職活動に追われてばかりいる気がする。生まれてすぐ幼少時にバブル崩壊、日本経済の没落を肌で感じ、デフレ社会に生きてきた。悲しいなあ。逆に我々の人まわり上の世代は学園紛争にあけくれたような自堕落な人たちが多い。(今の政治がおかしいのもそういう左翼思想の連中がのさばっているからであろう)我々は「簡単なことまで難しく言う」そういう人間のくずのような学生運動にあけくれた世代に反発をおぼえ、能天気な遊びをしていた。「ポパイ」「JJ」文化も我々の世代で生まれた。実に楽しかった。今でもその余韻だけで生きている。
そんな古き良き時代を思い起こすこの映画にはみるべきものはたくさんある。BGMのように夏に楽しむべき映画であろう。
参考作品
1982年5月江の島から茅ヶ崎に向かう湘南の海辺が舞台だ。黄色のワーゲンにのった軟派男こと別所哲也が彼女とデートの途中、砂浜をドライブしようとしてタイヤが砂にはまり空回りする。あたふたしている彼を色黒の美女こと中山美穂が助ける。一目ぼれした別所は美穂を追う。名乗らない美穂はバイト先のサーフショップに入っていく。彼女はそこを拠点にしたミニFM局のDJだったのだ。
大学4年生の男女それぞれ2人の4人はミニFM局Kiwiを運営していた。サーファーが集う海岸のFM局を無線マニアの芹沢こと坂田ヒロユキを中心に始めたが、湘南じゅうの海岸で聞けるようになることを夢見ていた。小杉こと織田裕二は中山美穂が好きだったが、なかなか言えない。美穂はロスに駐在中の両親から7月にはロスの大学に編入するように言われている。美穂は織田に引きとめてほしいのだが、シャイな織田は好きと言えない。
そういう状況で軟派男別所哲也がFM放送局の仲間に入りたいと言ってくる。別所は東京の広告代理店の社員だった。別所は持ち前の業界人らしさを発揮して中継局作りに積極的に協力しはじめる。そして積極的に中山美穂を口説こうとする別所と本来の仲間の織田裕二との葛藤が高まる。同時にFM局のネットは国道134号線沿いに江ノ島方向へ急速に伸び始めるが。。。。。
87年の「私をスキーに連れて行って」で若者のハートをつかんだホイチョイプロダクションが「彼女が水着に着替えたら」に続いて制作した。ホイチョイといえばレストランガイド『東京いい店やれる店』には大変お世話になったものだ。東京を知り尽くした完ぺきなガイドだと思う。
91年といえばバブル絶頂の余韻がある時代、同時にユーミンのCDがバカ売れしていた時期だ。そのユーミンの歌が映画の基調となる。何とも言えない取り合わせの良さだ。
FM局のDJとしての中山美穂はちょっと稚拙だが、絶頂の時期だけに魅力的だ。日焼けして色黒になったというより、メイクでつくられた色黒のようで共演の松下由樹ともども不自然さを感じる。ガングロみたいだ。当時サーファーガールにみんな憧れたものだ。色白メインの今とは違い、色白の女の子も懸命に色黒を演出した。自分は男なので気持はよくわからないが、あのころ意図的に色黒にメイクしたという告白も同世代や少し下の女性からきく。あとは肌には絶対よくないと思いながら、懸命に焼きまくった子も多い。今になって鏡を見て後悔しているのでは?
でも服装のセンスその他の時代考証については間違いない。ましてやホイチョイプロダクションがつくった映画だけに抜群のセンスだ。中山美穂、松下由樹、織田裕二の服装はいかにも湘南付近をたむろっていた連中のものだ。小物も出来過ぎている。別所哲也は博報堂の社員という設定、普段着はポロシャツで、仕事着はアイビーでという雰囲気。若干決まりすぎという感じもする。でも自分も年をとってもこの映画の彼の服装とは大して変わらない。ある意味自分の世代からするとこのほうが気が楽なのかもしれない。別所が中山美穂をしゃれたレストランに連れて行っていやらしく口説く姿をみて、妙に昔の自分にダブらせ恥ずかしさを覚えた。
ディスコ「ナバーナ」が出てくる。その前身「キサナドゥ」の時代から自分もよく知っている。ここで流れている「シャイン」「ドントトーク」「インザナイト」は当時のディスコでも流れたものだ。当時六本木のディスコはメローな歌が中心で、新宿とは明らかに一線を引いていた。
こういう楽しみを今の若者が持っている感じがしない。かわいそうだ。ここ数年世間の不況音に就職活動に追われてばかりいる気がする。生まれてすぐ幼少時にバブル崩壊、日本経済の没落を肌で感じ、デフレ社会に生きてきた。悲しいなあ。逆に我々の人まわり上の世代は学園紛争にあけくれたような自堕落な人たちが多い。(今の政治がおかしいのもそういう左翼思想の連中がのさばっているからであろう)我々は「簡単なことまで難しく言う」そういう人間のくずのような学生運動にあけくれた世代に反発をおぼえ、能天気な遊びをしていた。「ポパイ」「JJ」文化も我々の世代で生まれた。実に楽しかった。今でもその余韻だけで生きている。
そんな古き良き時代を思い起こすこの映画にはみるべきものはたくさんある。BGMのように夏に楽しむべき映画であろう。
参考作品
波の数だけ抱きしめて | |
中山美穂&織田裕二 | |
彼女が水着にきがえたら | |
原田知世&織田裕二で昭和の終わりを楽しむ | |
私をスキーに連れてって | |
これを見たらスキーに行きたくなる | |