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最近16世紀のヘンリ8世以降の英国が妙に気になるようになった。しかも、日経新聞「私の履歴書」にシェイクスピアの新訳で名だたる東大名誉教授小田島雄志氏の話が掲載されて、シェイクスピアが妙に気になる。とすればこの映画である。
「恋におちたシェイクスピア」はロミオとジュリエット誕生時のシェイクスピアのエピソードを描いた傑作である。若かりし日のウィリアム・シェイクスピアと彼を信奉する上流階級の娘ヴァイオラとの恋愛を描く悲喜劇のロマンスだ。映像、音楽、美術とも抜群で傑作とはこういう作品をさすものなのであろう。グウィネスパルトロウがキュートで男装の短髪姿が抜群にかわいい。ジョセフファインズの身のこなし方も演劇的でこの映画の趣旨にあっている。
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16世紀末、アルマダの戦いでスペインの無敵艦隊を撃破したのちのロンドンは演劇熱が高まっていた。ところが、ペストで閉鎖となる劇場も出てくる。そんなピンチに劇作家シェイクスピアことジョセフファインズはスランプに陥っていた。劇場復活にむけて起死回生の新作オーディションにやって来た一人の青年トマス・ケントことグウィネスパルトロウは抜群のセンスを示す。彼が気になり、シェイクスピアはケントを追って船に乗る。シェイクスピアは芝居の最中に観衆として目を留めた美しい女性ヴァイオラが気になっていた。トマスにその想いを語っていた。船が屋敷に着くと船頭がトマスケントに「お嬢様」とのたまう。まさかと思いながら屋敷に向かうシェイクスピアだった。青年トマスは資産家御令嬢の「ヴァイオラ」だったのだ。
シェイクスピアと彼を信奉するヴァイオラはたちまち恋におちてしまう。屋敷の部屋で朝まで二人だけの時間を過ごす。燃え上がる恋心が創作意欲を書き立てたのか、シェイクスピアの台本は急ピッチで仕上がって行き、トマス・ケントを主役とした芝居の稽古も順調に進んでいた。ところが、エリザベス女王ことジュディデンチお墨付きの貧乏貴族コリンファースとの結婚がせまるヴァイオラの気持ちは複雑だった。。。。
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悪い見方をすると不倫映画である。所帯持ちであることを隠して美しい女性に近づくシェイクスピアは見ようによっては悪い男だ。でもそういう色彩が薄らぐ。むしろグウィネスの婚約者コリンファースが悪者に見えてしまう。不思議なものだ。相撲の土俵に女性が上がれない文化も今の日本にあるが、16世紀のイギリスには女性が舞台で演じられない文化があった。そういう理不尽の中、ストーリーは主演2人の恋をかばいながらやさしく展開する。音楽もやさしい。衣装も手がかかるものだ。この辺りの時代背景を今一歩つかんでいないが、「夜這い」の文化ってあったのであろうか?夜ごと通うシェイクスピアの動きを見てふと思ってしまう。
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ここでは名優たちの活躍が目立つ。劇場主のジェフリーラッシュ、婚約者役のコリンファースはもとより、エリザベス女王のジュディデンチが貫禄を見せる。久々見たが、映画を見る前に思い出されたのが2人が結ばれるシーンと最後のエリザベス1世の登場場面である。あのシーンの存在感は忘れようと思っても忘れられないほど強い。007の秘密組織の女親分役もあっているが、独身のエリザベス1世の威圧感はまさに適役といえよう。
「恋におちたシェイクスピア」はロミオとジュリエット誕生時のシェイクスピアのエピソードを描いた傑作である。若かりし日のウィリアム・シェイクスピアと彼を信奉する上流階級の娘ヴァイオラとの恋愛を描く悲喜劇のロマンスだ。映像、音楽、美術とも抜群で傑作とはこういう作品をさすものなのであろう。グウィネスパルトロウがキュートで男装の短髪姿が抜群にかわいい。ジョセフファインズの身のこなし方も演劇的でこの映画の趣旨にあっている。
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16世紀末、アルマダの戦いでスペインの無敵艦隊を撃破したのちのロンドンは演劇熱が高まっていた。ところが、ペストで閉鎖となる劇場も出てくる。そんなピンチに劇作家シェイクスピアことジョセフファインズはスランプに陥っていた。劇場復活にむけて起死回生の新作オーディションにやって来た一人の青年トマス・ケントことグウィネスパルトロウは抜群のセンスを示す。彼が気になり、シェイクスピアはケントを追って船に乗る。シェイクスピアは芝居の最中に観衆として目を留めた美しい女性ヴァイオラが気になっていた。トマスにその想いを語っていた。船が屋敷に着くと船頭がトマスケントに「お嬢様」とのたまう。まさかと思いながら屋敷に向かうシェイクスピアだった。青年トマスは資産家御令嬢の「ヴァイオラ」だったのだ。
シェイクスピアと彼を信奉するヴァイオラはたちまち恋におちてしまう。屋敷の部屋で朝まで二人だけの時間を過ごす。燃え上がる恋心が創作意欲を書き立てたのか、シェイクスピアの台本は急ピッチで仕上がって行き、トマス・ケントを主役とした芝居の稽古も順調に進んでいた。ところが、エリザベス女王ことジュディデンチお墨付きの貧乏貴族コリンファースとの結婚がせまるヴァイオラの気持ちは複雑だった。。。。
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悪い見方をすると不倫映画である。所帯持ちであることを隠して美しい女性に近づくシェイクスピアは見ようによっては悪い男だ。でもそういう色彩が薄らぐ。むしろグウィネスの婚約者コリンファースが悪者に見えてしまう。不思議なものだ。相撲の土俵に女性が上がれない文化も今の日本にあるが、16世紀のイギリスには女性が舞台で演じられない文化があった。そういう理不尽の中、ストーリーは主演2人の恋をかばいながらやさしく展開する。音楽もやさしい。衣装も手がかかるものだ。この辺りの時代背景を今一歩つかんでいないが、「夜這い」の文化ってあったのであろうか?夜ごと通うシェイクスピアの動きを見てふと思ってしまう。
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ここでは名優たちの活躍が目立つ。劇場主のジェフリーラッシュ、婚約者役のコリンファースはもとより、エリザベス女王のジュディデンチが貫禄を見せる。久々見たが、映画を見る前に思い出されたのが2人が結ばれるシーンと最後のエリザベス1世の登場場面である。あのシーンの存在感は忘れようと思っても忘れられないほど強い。007の秘密組織の女親分役もあっているが、独身のエリザベス1世の威圧感はまさに適役といえよう。