映画「否定と肯定」は2017年の英国映画
二次世界大戦中のホロコーストといえば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として繰り返し取り上げられる。当時のナチスドイツ幹部は戦後生き延びても捕まって裁判を受け裁かれる。ハンナアーレントの映画では逃げ切れず逃亡先で捕まった元ナチス幹部アイヒマンの裁判がテーマになった。
ところが、アウシュビッツ刑務所でのユダヤ人惨殺が本当にあったのかと異議を唱える学者もいるという。英国の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングだ。その学者がホロコーストの悲惨さを訴える学者デボラ・リップシュタットに対して、自分への批判を名誉毀損として訴える裁判を起こすというのがこの映画の主題だ。南京大虐殺があったか?なかったか?という話のドイツ版というべきか。
1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、真っ向から否定していた。アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。
異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは〝ホロコースト否定論“を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。
そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…(作品情報引用)
最初はこんなの相手にするな!と主人公のユダヤ人教授リップシュタットは無視していたら、虐殺はなかったとするアーヴィング教授自身が大学の講義に乱入して反論を述べたり、巧みなマスコミ誘導で主人公に不利な場面をつくる。しかも、訴訟を提起した場所は英国である。英国では被告人が自分の無罪を証明する反証を出す必要がある。相手は手強い。これまでもこういう裁判を乗り越えてきた。一流の弁護団と乗りきる必要がある。手弁当という訳にはいかない。金も必要だ。それでも、全世界に散らばるユダヤ人から援助の申し出がある。入念に準備して裁判に立ち向かう。
悪戦苦闘を描いた映画だ。
映画でも取り上げられるが、アウシュビッツ刑務所内でのホロコーストの指摘に対して、細かい矛盾点をピックアップしながら原告アーヴィング教授は対抗者を論破して乗り切ってきた。被告人であるリップシュタットのもとには自分が証人台に立つという被害に遭われた人たちが訪れる。彼女は証人として被害者を登壇させようとする。しかし、それは原告の思うツボだと言って、弁護団は断固拒否する。当惑する主人公だ。何で被害者を証人申請できないのと訴えてもダメだ。どうやってしのぐのであろう。
法廷劇としては見ごたえがある映画だ。映画「情婦」のチャールズ・ロートンの緩急自在な演技を思わせる法廷弁護士のトム・ウィルキンソンの名演が光る。ただ、どうしても主人公に共感できない。嫌いなタイプの女だ。常に女のいやらしいところばかりさらけ出す。そんなところは苦手だ。
二次世界大戦中のホロコーストといえば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として繰り返し取り上げられる。当時のナチスドイツ幹部は戦後生き延びても捕まって裁判を受け裁かれる。ハンナアーレントの映画では逃げ切れず逃亡先で捕まった元ナチス幹部アイヒマンの裁判がテーマになった。
ところが、アウシュビッツ刑務所でのユダヤ人惨殺が本当にあったのかと異議を唱える学者もいるという。英国の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングだ。その学者がホロコーストの悲惨さを訴える学者デボラ・リップシュタットに対して、自分への批判を名誉毀損として訴える裁判を起こすというのがこの映画の主題だ。南京大虐殺があったか?なかったか?という話のドイツ版というべきか。
1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、真っ向から否定していた。アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。
異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは〝ホロコースト否定論“を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。
そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…(作品情報引用)
最初はこんなの相手にするな!と主人公のユダヤ人教授リップシュタットは無視していたら、虐殺はなかったとするアーヴィング教授自身が大学の講義に乱入して反論を述べたり、巧みなマスコミ誘導で主人公に不利な場面をつくる。しかも、訴訟を提起した場所は英国である。英国では被告人が自分の無罪を証明する反証を出す必要がある。相手は手強い。これまでもこういう裁判を乗り越えてきた。一流の弁護団と乗りきる必要がある。手弁当という訳にはいかない。金も必要だ。それでも、全世界に散らばるユダヤ人から援助の申し出がある。入念に準備して裁判に立ち向かう。
悪戦苦闘を描いた映画だ。
映画でも取り上げられるが、アウシュビッツ刑務所内でのホロコーストの指摘に対して、細かい矛盾点をピックアップしながら原告アーヴィング教授は対抗者を論破して乗り切ってきた。被告人であるリップシュタットのもとには自分が証人台に立つという被害に遭われた人たちが訪れる。彼女は証人として被害者を登壇させようとする。しかし、それは原告の思うツボだと言って、弁護団は断固拒否する。当惑する主人公だ。何で被害者を証人申請できないのと訴えてもダメだ。どうやってしのぐのであろう。
法廷劇としては見ごたえがある映画だ。映画「情婦」のチャールズ・ロートンの緩急自在な演技を思わせる法廷弁護士のトム・ウィルキンソンの名演が光る。ただ、どうしても主人公に共感できない。嫌いなタイプの女だ。常に女のいやらしいところばかりさらけ出す。そんなところは苦手だ。