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映画「アマンダと僕」

2019-07-03 07:56:28 | 映画(フランス映画 )
映画「アマンダと僕」を映画館で観てきました。


突如のテロに姉が巻き込まれ、24歳の青年が姉の子供を7歳の子供を引き取ることになるという話である。いかにもフランス映画らしく映すパリの美しい背景のもと映画は展開する。主人公ダヴィッドは繰り返し自転車でパリの街中を走りまくる。父と姉弟の父子家庭で育った仲の良い姉が亡くなったという悲痛にくれる暇もなく、姪の面倒をみざるを得ない現実に向かう主人公を映し出している。

身内の不幸で子供を引きとるという設定はときおりみられる。最近では同じく姪を引きとる「ギフテッド」、甥を引きとる「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という名作がある。ある意味その二作にインスパイア―されたと思う部分も多い。「ギフテッド」と同じく姪を引きとる。母親と親権をめぐって争うが、ここでの母親はしばらく会っていない異国に住むアマンドにとっては祖母だ。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の主人公はすぐカッとなりキレやすい便利屋だが、ここでは職業が同じだけど性格は温厚だ。登場人物の「組み合わせ」というか「順列」としてストーリーはうまくつくれるものだ。

夏の日差し溢れるパリ。便利屋業として働く青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、パリにやってきた美しい女性レナ(ステイシー・マーティン)と出会い、恋に落ちる。穏やかで幸せな生活を送っていたが突然の悲劇で大切な姉(オフェリア・コルブ)が亡くなり、ダヴィッドは悲しみに暮れる。そして彼は、身寄りがなくひとりぼっちになってしまった姪アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の世話を引き受けることになる。


親代わりのように接しようとするが、まだ若いダヴィッドには荷が重く、戸惑いを隠せない。アマンダも、母親を失ったことをなかなか受け入れられずにいる。互いに不器用で、その姿は見ていてもどかしく、しかし愛おしい。悲しみは消えないが、それでも必死に逞しく生きようとするアマンダと共に過ごすことで、ダヴィッドは次第に自分を取り戻していく。(作品情報より)

1.ダヴィッドの葛藤
ダヴィッド本人が職業は樹木の「枝切り」だという場面もある。建物賃貸管理のことも含めて何でもやる24歳の若き便利屋だ。姉とは仲がいい。もちろん姪アマンダもおじさんを信頼している。遊びに出た姉が突如のテロに遭遇して亡くなる。たいへんなことだが、姉はシングルマザーで、父は亡くなっている。叔母はいるが実母は2人の子供と別れてロンドンに住んでいる。そうなると、自分が面倒みるしかない。その現実に直面して驚く。仲良くなりそうだったレナもテロ被害を受け、故郷に帰ってしまう。次から次へと落ちていくのである。

しかし、静かに涙は流すが、大暴れをしたりわめいたりはしない。そういう気質なんだろう。アマンダはおじさんといるのが心地よいという感じだ。次第に心が移っていく。



2.ロンドンでのアマンダ

姉が生きているときに、ウィンブルドンテニスのチケットが入手でき、姉弟とアマンダと行く約束をしていた。アマンダとダヴィッドはロンドンのテムズ川(と思われる)のほとりを2人それぞれの自転車で並走している。お前の面倒は少なくとも18歳までは見なきゃいけないといっている。大好きなおじさんと一緒にいれてアマンダは喜ぶ。そして、ウィンブルドンに向かう。実写との組み合わせであろうが、このシーンもいい。


好きな選手が一方的にやられ「エルビスは建物を出た。」すなわち「もう終わりだ」といいつつ涙を流すアマンダの姿が見どころだ。映画のスタートあとにアマンダが姉からこの言葉を教えられてエルビスプレスリーの小粋なロックンロール「Don't Be Cruel」とともに母娘楽しそうに踊るシーンがある。ウィンブルドンのシーンにかぶさり最初のダンスシーンが生きてくる。これこそ伏線そのもの。

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