映画「ドリーマーズ」は2003年のベルナルド・ベルトリッチ監督作品
「暗殺の森」「ラストエンペラー」という傑作を残したベルナルド・ベルトリッチが3人の若者をクローズアップし、マーロンブランド主演「ラストタンゴインパリ」ばりに激しい性描写の映画を撮る。アメリカからの映画好きの留学生がパリで双子の姉弟と奇妙な三角関係の同居生活をするという設定である。ジミ・ヘンドリックスのしびれるギターが冴える「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をタイトルバックに流しながらエッフェル塔を上下にカメラが捉え、気がつくと映画人救済のデモの中にいる若者3人を映す。
その後もジャニス・ジョップリンのパンチのあるボーカルやボブ・デュランの名曲、日本でも流行ったミッシェル・ポルナレフの歌が次々と流れる。2人一緒に裸で寝る近親相姦すれすれの恋人同士のような双子の姉弟のもとにアメリカ人の若者が居候する。若き性の興奮も手伝ってか、行為がだんだんエスカレートするのをベルナルド・ベルトリッチが追いかける。
1968年、パリの街は5月革命の嵐が吹いていた。19歳のアメリカ人留学生マシュー(マイケル・ピット)は、映画遺産の文化施設シネマテークフランセーゼの創立者アンリ・ラングロワが文化相から罷免されたことへの反対デモに出くわす。そして、映画ファンが多数参加するデモの集団の中でイザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)という双生児の姉弟の2人と出会う。3人は意気投合し、マシューは、姉弟の両親がバカンスで留守にするアパルトマンに泊めてもらう。一つのベッドに裸で寝ている姉弟の姿にマシューは戸惑いつつ、3人の奇妙な同居生活が始まる。
若い3人は大好きな映画について語りあう日々を過ごすが、やがて性的な結びつきができていく。3人はアパルトマンにこもりっきりで昼夜の区別がつかない生活を送るようになる。ある夜、家の中に用意したテントの中で、3人は裸で仲良く横になっていた。翌朝、バカンスから戻ってきた姉弟の両親が彼らを見つけるのであるが。。。
1.映画マニアの3人
3人は映画マニアである。生活のすべてが映画のシーンにつながる。映画人の固有名詞にもこだわる。近年の作品だけでなく戦前のマニアックな映画も数多く話題になる。マシューがニコラスレイの特集をすべて見ていたことをテオとイザベルは知っていた。マシューとテオはチャーリー・チャップリンとバスター・キートンのどっちが上かという議論をしたり、フレッド・アステアがタップダンスをする映画は何かというクイズを出したりする。
ゴダール映画「はなればなれ」で出演者が9分45秒でルーブル美術館の中を一周するシーンがある。実際にやってみようと3人が9分28秒でルーブルを駆け抜けるのは実に痛快なシーンだ。
2.エヴァグリーンの豊満なバストを囲む男2人
長身で顔立ちも垢抜けているエヴァグリーン演じるイザベルは、あまり似ていない一卵性双生児の弟と裸で一緒に寝ている。それをそっと覗き込んでマシューが驚く。姉が弟に自慰を強要する場面が出てきて徐々に3人の動きがエスカレートする。気がつくと、シャンソンの名曲「ラ・メール」に合わせてイザベルが脱いで全裸になる。そこには大きなピンクの乳輪の形の良いバストが隠されていた。
現在も活躍するエヴァ・グリーンの裸体には思わず興奮してしまう。その後で、古典的映画のある場面に関するクイズの罰ゲームでイザベルとマシューはメイクラブすることになる。その時、テオは目玉焼きを料理しながら同じ部屋にずっといた。行為が終わると、彼女の下半身に血が流れている。見ているこちらは生理中なのかと思ったけど、どうやらイザベルは処女だったのだ。
やがて、3人は部屋の中ではほぼ生まれたままの姿で生活するようになっていくのだ。エヴァグリーンの興奮させられる裸体を映すだけでなく、男性の竿もカメラが捉えていく。なかなかこれはきわどい映画である。
3.毛沢東の崇拝者とポスター
1968年という年は世界中が何かに反発していた。米国ではベトナム戦争への反戦運動、パリでも五月革命でドゴール政権への反発が繰り広げられていた。日本でも学生運動がピークに達して、翌年の東大入試は中止になった。
その頃、中共こと中華人民共和国では文化大革命の名の下、毛沢東が権力奪還しようと資本主義化に寄った政策をとる共産党幹部を毛沢東語録を手に持った紅衛兵を使って糾弾していた。しかし、言論統制もあり、中華人民共和国に関する情報は極めて少なかった。そういう中、時折日本のTVに映る天安門広場の中央に立つ毛沢東はいかにも中国人民のトップという姿を全世界に見せつけていた。自分も幼心にすごい人なんだと思っていた。
文化大革命に関する悪い情報が伝わらず、世界の至る所に毛沢東信者がいたと言ってもいいだろう。イザベルとテオの部屋にも毛沢東のポスターが貼ってある。パリの五月革命に関するネット情報を見ると、パリにも多数毛沢東信者がいたようだ。最後に向けて、デモの中に飛び込んでいくイザベルとテオの姿を映す。なんてバカな奴らだと思ってしまう。
自分は1970年代中頃、高校の倫理社会の授業の中で、思想家の誰かを選んで要旨を授業で発表するという課題があり、迷わず毛沢東を選んだ。ニクソン大統領と毛沢東主席が歴史的な対面をしたあと、田中角栄首相主導で日中国交回復が成立した。毛沢東は「実践論」、「矛盾論」という著作を残している。内容については今でも共鳴することが多い素晴らしい本である。管理職になってから仕事でもかなり役に立っている。
ただ、劉少奇元国家主席をはじめ文化大革命によって失意の中亡くなった人は多い。しかも、文化大革命は中国の経済発展のスピードを20年以上遅らせた。そういった意味では権力にこだわり結果的に混乱させた毛沢東の罪は重いと言えよう。ベールに包まれまったくわかっていなかった。毛沢東の動きが次々と変わって一番困ったのは日本の左翼系知識人であろう。彼らをを先導させた岩波書店にも問題は多い。
「暗殺の森」「ラストエンペラー」という傑作を残したベルナルド・ベルトリッチが3人の若者をクローズアップし、マーロンブランド主演「ラストタンゴインパリ」ばりに激しい性描写の映画を撮る。アメリカからの映画好きの留学生がパリで双子の姉弟と奇妙な三角関係の同居生活をするという設定である。ジミ・ヘンドリックスのしびれるギターが冴える「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をタイトルバックに流しながらエッフェル塔を上下にカメラが捉え、気がつくと映画人救済のデモの中にいる若者3人を映す。
その後もジャニス・ジョップリンのパンチのあるボーカルやボブ・デュランの名曲、日本でも流行ったミッシェル・ポルナレフの歌が次々と流れる。2人一緒に裸で寝る近親相姦すれすれの恋人同士のような双子の姉弟のもとにアメリカ人の若者が居候する。若き性の興奮も手伝ってか、行為がだんだんエスカレートするのをベルナルド・ベルトリッチが追いかける。
1968年、パリの街は5月革命の嵐が吹いていた。19歳のアメリカ人留学生マシュー(マイケル・ピット)は、映画遺産の文化施設シネマテークフランセーゼの創立者アンリ・ラングロワが文化相から罷免されたことへの反対デモに出くわす。そして、映画ファンが多数参加するデモの集団の中でイザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)という双生児の姉弟の2人と出会う。3人は意気投合し、マシューは、姉弟の両親がバカンスで留守にするアパルトマンに泊めてもらう。一つのベッドに裸で寝ている姉弟の姿にマシューは戸惑いつつ、3人の奇妙な同居生活が始まる。
若い3人は大好きな映画について語りあう日々を過ごすが、やがて性的な結びつきができていく。3人はアパルトマンにこもりっきりで昼夜の区別がつかない生活を送るようになる。ある夜、家の中に用意したテントの中で、3人は裸で仲良く横になっていた。翌朝、バカンスから戻ってきた姉弟の両親が彼らを見つけるのであるが。。。
1.映画マニアの3人
3人は映画マニアである。生活のすべてが映画のシーンにつながる。映画人の固有名詞にもこだわる。近年の作品だけでなく戦前のマニアックな映画も数多く話題になる。マシューがニコラスレイの特集をすべて見ていたことをテオとイザベルは知っていた。マシューとテオはチャーリー・チャップリンとバスター・キートンのどっちが上かという議論をしたり、フレッド・アステアがタップダンスをする映画は何かというクイズを出したりする。
ゴダール映画「はなればなれ」で出演者が9分45秒でルーブル美術館の中を一周するシーンがある。実際にやってみようと3人が9分28秒でルーブルを駆け抜けるのは実に痛快なシーンだ。
2.エヴァグリーンの豊満なバストを囲む男2人
長身で顔立ちも垢抜けているエヴァグリーン演じるイザベルは、あまり似ていない一卵性双生児の弟と裸で一緒に寝ている。それをそっと覗き込んでマシューが驚く。姉が弟に自慰を強要する場面が出てきて徐々に3人の動きがエスカレートする。気がつくと、シャンソンの名曲「ラ・メール」に合わせてイザベルが脱いで全裸になる。そこには大きなピンクの乳輪の形の良いバストが隠されていた。
現在も活躍するエヴァ・グリーンの裸体には思わず興奮してしまう。その後で、古典的映画のある場面に関するクイズの罰ゲームでイザベルとマシューはメイクラブすることになる。その時、テオは目玉焼きを料理しながら同じ部屋にずっといた。行為が終わると、彼女の下半身に血が流れている。見ているこちらは生理中なのかと思ったけど、どうやらイザベルは処女だったのだ。
やがて、3人は部屋の中ではほぼ生まれたままの姿で生活するようになっていくのだ。エヴァグリーンの興奮させられる裸体を映すだけでなく、男性の竿もカメラが捉えていく。なかなかこれはきわどい映画である。
3.毛沢東の崇拝者とポスター
1968年という年は世界中が何かに反発していた。米国ではベトナム戦争への反戦運動、パリでも五月革命でドゴール政権への反発が繰り広げられていた。日本でも学生運動がピークに達して、翌年の東大入試は中止になった。
その頃、中共こと中華人民共和国では文化大革命の名の下、毛沢東が権力奪還しようと資本主義化に寄った政策をとる共産党幹部を毛沢東語録を手に持った紅衛兵を使って糾弾していた。しかし、言論統制もあり、中華人民共和国に関する情報は極めて少なかった。そういう中、時折日本のTVに映る天安門広場の中央に立つ毛沢東はいかにも中国人民のトップという姿を全世界に見せつけていた。自分も幼心にすごい人なんだと思っていた。
文化大革命に関する悪い情報が伝わらず、世界の至る所に毛沢東信者がいたと言ってもいいだろう。イザベルとテオの部屋にも毛沢東のポスターが貼ってある。パリの五月革命に関するネット情報を見ると、パリにも多数毛沢東信者がいたようだ。最後に向けて、デモの中に飛び込んでいくイザベルとテオの姿を映す。なんてバカな奴らだと思ってしまう。
自分は1970年代中頃、高校の倫理社会の授業の中で、思想家の誰かを選んで要旨を授業で発表するという課題があり、迷わず毛沢東を選んだ。ニクソン大統領と毛沢東主席が歴史的な対面をしたあと、田中角栄首相主導で日中国交回復が成立した。毛沢東は「実践論」、「矛盾論」という著作を残している。内容については今でも共鳴することが多い素晴らしい本である。管理職になってから仕事でもかなり役に立っている。
ただ、劉少奇元国家主席をはじめ文化大革命によって失意の中亡くなった人は多い。しかも、文化大革命は中国の経済発展のスピードを20年以上遅らせた。そういった意味では権力にこだわり結果的に混乱させた毛沢東の罪は重いと言えよう。ベールに包まれまったくわかっていなかった。毛沢東の動きが次々と変わって一番困ったのは日本の左翼系知識人であろう。彼らをを先導させた岩波書店にも問題は多い。