映画「嘆きのピエタ」を渋谷文化村で見てきました。
今のところ首都圏ではここしかやっていない。
平日なのに久しぶりに最前列まで満席の満員御礼に出くわした。
久々のキムギドク作品だったが、予想を上回る傑作だ。映画ファン誰もが年間ベスト5に入れそうな傑作に出くわした印象だ。映画を見ている最中もこの先どういう展開になるのだろうと、ドキドキしていた。結末をみてドッキリしたが、この映画の真相は映画館を出てしばらくして気がついた。
そうか!そういうことなのか!
自分自身鈍いせいもあるが、完全にキムギドクの世界に覚睡させられていたのだ。「ある事実」に気づかなかった。あまりの奥の深さに帰る途中で背筋がぞくっとした。残念ながら今の日本でここまでの映画を撮れる監督はいない。さすがだ。
30歳まで親の顔も知らず、生きてきた男イ・ガンド(イ・ジョンジン)が主人公だ。裏の世界で生きる取り立て屋だ。不況に困窮する町工場の工場主に金を貸し、法外な利息を加えて請求する。金が回収できなければ、債務者に町工場の機械を使って重傷を負わせる。片手をもぎ取ったりするのは日常茶飯事だ。生き殺しの状態で障害者になってもらえる保険金を受け取らせ奪い取る。殺すと保険金受け取りがややこしいので殺さない。血も涙もない借金取立て屋である。
そんなガンドの前に、彼を捨てた母だと名乗る謎の女(チョ・ミンス)が現れる。ガンドは信じず、彼女を邪険に追い払う。女は執拗にガンドの後を追い、アパートのドア前に生きたウナギを置いていく。ウナギの首には、「チャン・ミソン」という名前と携帯電話番号が記された、1枚のカードが括り付けられていた。躊躇しつつも、ガンドが女に電話をすると、子守唄が聴こえてくる。ドアを開けると、そこに、涙を浮かべながら歌う女が佇んでいた。
「母親の証拠を出せ」と詰め寄るガンドの、残酷な仕打ちに耐え、彼から離れようとしないミソン。捨てたことをしきりに謝罪し、無償の愛を注いでくれるミソンを、ガンドは徐々に母親として受け入れていく。そしていつしかミソンは、ガンドにとってかけがえのない存在となっていた。
ガンドが取り立て屋から足を洗おうとした矢先、ミソンが突如姿を消す。母の身を案じるガンドに一本の電話がかかってくる。母の悲鳴と激しい物音だったが。。。
日本では利息制限法の改正と最高裁の判例があったあたりから、裏金融の流れが少し変わってきた。極悪な取り立てと規定以上の利息の設定をしていると、公安当局から厳しく取り締まれる。同じく韓国映画「息もできない」で主人公は過酷な取り立てをしていた。韓国ではそういう法律がないのか?あっても緩いのか?ただでさえも暴力的な韓国人たちが今でもこの映画のような取り立てをしているのは容易に想像できる。そういう社会問題があるのが、この題材の映画がつくられる前提であろう。
自由主義経済論者の自分としては、利息の上限を設定することで、むしろ借りたいのに借りれない人が増える気がしていた。そうする方が逆に闇金融がますます盛んになる気もする。この映画をみると少し考えてしまう。今の法改正で以前よりも日本で悪徳業者が減っているのは明らかである。今の日本が韓国に比較するとまともに見える。
いきなりむごい映像が映る。借金払えずに自殺する男の映像だ。その後も主人公は金を回収するためには手段を選ばない。町工場の一角で目を覆うようなシーンが続く。
キムギドクがテーマで選ぶのはいつも少し裏筋だ。「悪徳男にはめられたお嬢様」「援助交際」「整形美人の復讐」「ロリコン偏愛」そういう中今度のテーマは単に「悪徳金融業者のむごい取り立て」というだけにはとどまらない。
題名にある「ピエタ」とは、バチカンのサンピエトロ大聖堂にある十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のこと。慈悲深き母の愛の象徴である。ここでも母親の愛がテーマとなのだ。
当然母親である女主人公の愛であるが、途中から大きくストーリーが動く。
いきなり母親を名乗られても信用できるわけがない。それでも、息子に対して母性を強くみせたり、骨折している債務者に対して息子と同じように痛みつけたりする。息子は徐々に母親に甘えるようになる。今までは非常に厳しく債務者に接していたのが、父子の交情を感じて無理やり障害者にさせない。
そのことですっかり騙されてしまった。「ある事実」に気づかなかった。
映画の中では「ある事実」をはっきりセリフに出すわけではない。自分は女主人公が息子を更生させるために、狂言を演じているのでだと思っていた。債務者の復讐を受けているがごとく、裏で何かが壊れるような物音を発して息子に電話して、復讐を受けているようなふりをするのである。そうやって普通の人間が持つような感情をもってもらおうとしているのだと思っていた。
「ある事実」に気づかなかった。
完全に幻惑させられていた。普通に鑑賞する人で途中で気がついた人もいるだろう。自分は気づかなかった。映画が終わって30分くらいして初めてこの映画が「究極の復讐」を示すことに改めて気付いた。
実に奥が深い。
今年に入って旧作を含めちょうど映画鑑賞100本になったが、この半年では「ゼロダークサーティ」かこの作品のどっちをトップにしようかと迷う凄い作品だ。キムギドク健在だ。
(参考作品)
今のところ首都圏ではここしかやっていない。
平日なのに久しぶりに最前列まで満席の満員御礼に出くわした。
久々のキムギドク作品だったが、予想を上回る傑作だ。映画ファン誰もが年間ベスト5に入れそうな傑作に出くわした印象だ。映画を見ている最中もこの先どういう展開になるのだろうと、ドキドキしていた。結末をみてドッキリしたが、この映画の真相は映画館を出てしばらくして気がついた。
そうか!そういうことなのか!
自分自身鈍いせいもあるが、完全にキムギドクの世界に覚睡させられていたのだ。「ある事実」に気づかなかった。あまりの奥の深さに帰る途中で背筋がぞくっとした。残念ながら今の日本でここまでの映画を撮れる監督はいない。さすがだ。
30歳まで親の顔も知らず、生きてきた男イ・ガンド(イ・ジョンジン)が主人公だ。裏の世界で生きる取り立て屋だ。不況に困窮する町工場の工場主に金を貸し、法外な利息を加えて請求する。金が回収できなければ、債務者に町工場の機械を使って重傷を負わせる。片手をもぎ取ったりするのは日常茶飯事だ。生き殺しの状態で障害者になってもらえる保険金を受け取らせ奪い取る。殺すと保険金受け取りがややこしいので殺さない。血も涙もない借金取立て屋である。
そんなガンドの前に、彼を捨てた母だと名乗る謎の女(チョ・ミンス)が現れる。ガンドは信じず、彼女を邪険に追い払う。女は執拗にガンドの後を追い、アパートのドア前に生きたウナギを置いていく。ウナギの首には、「チャン・ミソン」という名前と携帯電話番号が記された、1枚のカードが括り付けられていた。躊躇しつつも、ガンドが女に電話をすると、子守唄が聴こえてくる。ドアを開けると、そこに、涙を浮かべながら歌う女が佇んでいた。
「母親の証拠を出せ」と詰め寄るガンドの、残酷な仕打ちに耐え、彼から離れようとしないミソン。捨てたことをしきりに謝罪し、無償の愛を注いでくれるミソンを、ガンドは徐々に母親として受け入れていく。そしていつしかミソンは、ガンドにとってかけがえのない存在となっていた。
ガンドが取り立て屋から足を洗おうとした矢先、ミソンが突如姿を消す。母の身を案じるガンドに一本の電話がかかってくる。母の悲鳴と激しい物音だったが。。。
日本では利息制限法の改正と最高裁の判例があったあたりから、裏金融の流れが少し変わってきた。極悪な取り立てと規定以上の利息の設定をしていると、公安当局から厳しく取り締まれる。同じく韓国映画「息もできない」で主人公は過酷な取り立てをしていた。韓国ではそういう法律がないのか?あっても緩いのか?ただでさえも暴力的な韓国人たちが今でもこの映画のような取り立てをしているのは容易に想像できる。そういう社会問題があるのが、この題材の映画がつくられる前提であろう。
自由主義経済論者の自分としては、利息の上限を設定することで、むしろ借りたいのに借りれない人が増える気がしていた。そうする方が逆に闇金融がますます盛んになる気もする。この映画をみると少し考えてしまう。今の法改正で以前よりも日本で悪徳業者が減っているのは明らかである。今の日本が韓国に比較するとまともに見える。
いきなりむごい映像が映る。借金払えずに自殺する男の映像だ。その後も主人公は金を回収するためには手段を選ばない。町工場の一角で目を覆うようなシーンが続く。
キムギドクがテーマで選ぶのはいつも少し裏筋だ。「悪徳男にはめられたお嬢様」「援助交際」「整形美人の復讐」「ロリコン偏愛」そういう中今度のテーマは単に「悪徳金融業者のむごい取り立て」というだけにはとどまらない。
題名にある「ピエタ」とは、バチカンのサンピエトロ大聖堂にある十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のこと。慈悲深き母の愛の象徴である。ここでも母親の愛がテーマとなのだ。
当然母親である女主人公の愛であるが、途中から大きくストーリーが動く。
いきなり母親を名乗られても信用できるわけがない。それでも、息子に対して母性を強くみせたり、骨折している債務者に対して息子と同じように痛みつけたりする。息子は徐々に母親に甘えるようになる。今までは非常に厳しく債務者に接していたのが、父子の交情を感じて無理やり障害者にさせない。
そのことですっかり騙されてしまった。「ある事実」に気づかなかった。
映画の中では「ある事実」をはっきりセリフに出すわけではない。自分は女主人公が息子を更生させるために、狂言を演じているのでだと思っていた。債務者の復讐を受けているがごとく、裏で何かが壊れるような物音を発して息子に電話して、復讐を受けているようなふりをするのである。そうやって普通の人間が持つような感情をもってもらおうとしているのだと思っていた。
「ある事実」に気づかなかった。
完全に幻惑させられていた。普通に鑑賞する人で途中で気がついた人もいるだろう。自分は気づかなかった。映画が終わって30分くらいして初めてこの映画が「究極の復讐」を示すことに改めて気付いた。
実に奥が深い。
今年に入って旧作を含めちょうど映画鑑賞100本になったが、この半年では「ゼロダークサーティ」かこの作品のどっちをトップにしようかと迷う凄い作品だ。キムギドク健在だ。
(参考作品)
嘆きのピエタ | |
キムギドク監督の傑作(参考記事) | |