喜劇役者ピーターセラーズの79年の遺作である。単なる住み込みの庭師だった男がひょんなきっかけで大統領も一目置く有名人になってしまう話である。野心がないのにのし上がっていく姿はトムハンクスの「フォレストガンプ」を思い起こさせる。中年の域に達しつつあったシャーリー・マクレーンと大ベテランメルヴィン・ダグラスがわきを固めるが、いずれも好演である。ほのぼのとした気分を抱かせるいい映画だ。
ある古い屋敷の主人が病気で亡くなった。中年の庭師チャンスことピーター・セラーズと黒人のメイドの2人が残された。チャンスは小さいころから屋敷の外へは出ず、読み書きもできず、ひたすら庭いじりとテレビを観る楽しみだけで生きてきた男だ。財産整理の弁護士が来て屋敷を出されたチャンスは一人街の中をさまよった。財布に中身はないが、家の主人が持っていた仕立てのいいスーツを着て、高級カバンを手に提げていたので身なりは悪くなかった。そんな時、1台の高級車にぶつけられた。中に乗っていた貴婦人シャーリー・マクレーンから手当てを受けるため家に寄って欲しいと言われた。その車が着いたのは大富豪ことメルビン・ダグラスの邸宅で、シャーリーは彼の妻だった。主人は高齢で健康状態もすぐれなかったが、チャンスに接していると気持ちが安らんだ。その後大富豪を見舞いに来た大統領は、チャンスと会い、庭の手入れに例えた景気に関する楽観論を聞き妙に感心してしまうが。。。。
まず映画が始まってすぐにシューベルトの「未完成交響曲」が流れる。そして、主人のいない家を出てさまよう時に、デオ・ダートが演奏する「ツァラストラはかく語りき」の軽快な音楽が流れる。この当時はやっていたクロスオーバー系のアレンジだ。記憶に間違えなければ、全米ヒットチャート上位にランクしていた気がする。2つの有名曲を基調にしてゆったりと始まった後、シャーリーとの出会いから映画が二転三転していく。
誤解が誤解を生む構造である。
チャンスという名でガーデナーだと大富豪の前で自己紹介したらチャンシー・ガーディナーという人物と誤解される。大統領とその側近が懸命に彼のことを調べるが、どこにも彼の情報がない。それはそうだ。でもテレビに出演すると人気者になる。
最近ではコーエン兄弟が得意とするパターンだ。でもベテラン俳優が中心となって急がず映画は続いていく。コメディといっても、ドタバタで大笑いという訳ではない。世間知らずのピーターセラーズの存在自体を面白く描いている。
変な野心のない人間が一番だ。この映画は言いたかったのかもしれない。
ピーターセラーズはピンクパンサーの警部役とキューブリックの「博士の異常な愛情」の一人三役が映画史上では有名である。でもこの翌年亡くなった時はまだ50代だった。今思えばずいぶんと早い。この映画のラストに妙なシーンが二つ続く。それ自体彼の映画とのお別れを暗示しているようにみえるのであるが。。。。
ある古い屋敷の主人が病気で亡くなった。中年の庭師チャンスことピーター・セラーズと黒人のメイドの2人が残された。チャンスは小さいころから屋敷の外へは出ず、読み書きもできず、ひたすら庭いじりとテレビを観る楽しみだけで生きてきた男だ。財産整理の弁護士が来て屋敷を出されたチャンスは一人街の中をさまよった。財布に中身はないが、家の主人が持っていた仕立てのいいスーツを着て、高級カバンを手に提げていたので身なりは悪くなかった。そんな時、1台の高級車にぶつけられた。中に乗っていた貴婦人シャーリー・マクレーンから手当てを受けるため家に寄って欲しいと言われた。その車が着いたのは大富豪ことメルビン・ダグラスの邸宅で、シャーリーは彼の妻だった。主人は高齢で健康状態もすぐれなかったが、チャンスに接していると気持ちが安らんだ。その後大富豪を見舞いに来た大統領は、チャンスと会い、庭の手入れに例えた景気に関する楽観論を聞き妙に感心してしまうが。。。。
まず映画が始まってすぐにシューベルトの「未完成交響曲」が流れる。そして、主人のいない家を出てさまよう時に、デオ・ダートが演奏する「ツァラストラはかく語りき」の軽快な音楽が流れる。この当時はやっていたクロスオーバー系のアレンジだ。記憶に間違えなければ、全米ヒットチャート上位にランクしていた気がする。2つの有名曲を基調にしてゆったりと始まった後、シャーリーとの出会いから映画が二転三転していく。
誤解が誤解を生む構造である。
チャンスという名でガーデナーだと大富豪の前で自己紹介したらチャンシー・ガーディナーという人物と誤解される。大統領とその側近が懸命に彼のことを調べるが、どこにも彼の情報がない。それはそうだ。でもテレビに出演すると人気者になる。
最近ではコーエン兄弟が得意とするパターンだ。でもベテラン俳優が中心となって急がず映画は続いていく。コメディといっても、ドタバタで大笑いという訳ではない。世間知らずのピーターセラーズの存在自体を面白く描いている。
変な野心のない人間が一番だ。この映画は言いたかったのかもしれない。
ピーターセラーズはピンクパンサーの警部役とキューブリックの「博士の異常な愛情」の一人三役が映画史上では有名である。でもこの翌年亡くなった時はまだ50代だった。今思えばずいぶんと早い。この映画のラストに妙なシーンが二つ続く。それ自体彼の映画とのお別れを暗示しているようにみえるのであるが。。。。