多くの日本人は自分の民族に愛着を持っています。誇りにも思っています。私もそうです。
しかしこの私の心を酷く傷付ける「ものの言い方」を本の題目や雑誌の内容広告によく見かけます。「ああ、そんな発想法が、書いている本人を、そして日本民族を貶めているのだ!」 と嘆くことが時々あります。
先日、「文芸春秋」という雑誌を買いに本屋さんへ行きました。その雑誌の特集広告に、「中国を信じられない100の理由」という大きな字が見えます。本を取ろうと伸ばした手が思わず止まってしまいました。買わないで帰ってきました。
中国の国際政治や経済の分野での成長ぶりに日本人が嫉妬しているから中国が嫌いになるのです。
しかしそのように真正面からきちんと書かないで、日本の工業製品の模造品を作る。貿易上の代金支払いをドル決済しないで中国円でする。中国にある日本の会社の工場へ地方の自治体が法的嫌がらせをする。拝金趣味で精神文化が皆無だ。日本人の技術開発結果を無断借用する。その他色々、中国の軍備拡張と時代遅れの兵器のことなども取り上げているだろう。言論弾圧も非難しているに違いない。
結論として中国人は人間として軽蔑すべき存在だ!とでも言いたいニュアンスを感じる。
この書き方は内容を見ないで、そのうえドギツク書いたので間違っていると思う。いや間違っていることを祈っています。
しかし「中国信じられない100の理由」と大々的に特集を組み、それを雑誌の広告に使おうという発想法が、私の心を酷く傷付けるのです。この発想法と書き方が日本民族をひどく貶めるているのです。
日本人が北朝鮮や韓国や中国を嫌いになる理由は数え上げれば100どころか200も300も思いつく人も居ると思います。1000年以上にわたってこれらの国は日本の近隣国として競争相手でした。相手に優越感を持ったり、嫉妬するのは人間の避けがたい悪い性格です。先方の人々もまったく同じです。
この様な人間の悪魔的性格を強調して外国を考える発想法が日本民族を貶めるのです。嫉妬心という人間の悪い性格を煽りたてて雑誌を売ろうとする出版社の発想法が日本人の品性を落としているのです。
同じことを書くなら、まず発想法を変えて書けば良いのです。「日本人も昔は同じようなことをして来たが、あなた方も同じですね。でもそれはこういう理由で人間のするべき事ではありませんね」。と、いう発想法で書けば文章の書き方、言葉の使い方が根本的に変わってきます。
同じ特集の見出しも変わります。「日本人が中国を好きになるための100の問題点」。
「好き」と「嫌い」のどちらが興味深いですか?と自分自身に問うてみて下さい。
私は本当は「嫌い」のほうに興味があります。しかしその発想法は自分を貶めるので可能な限り避けます。それだけの話です。貴方自身は如何なご意見をおもちでしょうか?(終わり)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人