後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

蓮の花のお好きな方へ送る写真

2009年07月02日 | 写真

小金井市にある真蔵院というお寺には毎年見事な蓮の花が咲きます。今日の午後に行って撮影してきました。しかし蓮の花は朝に咲き午後には半分しぼんでしまいます。明日の朝に再度撮影しなおしに行く予定です。門前に駐車場を用意して鑑賞客を歓迎しているような雰囲気です。ただし写真を撮るとき三脚は御遠慮下さいという札がでています。真蔵院は都立小金井公園の五日市街道から中央駐車場入り口へ続く道路の中間を左へ入ったところのあります。出来の悪い写真ですが1枚だけお送りします。(終わり)

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上野にある東照宮

2009年07月02日 | うんちく・小ネタ

上野の山に車で遊びに行くとき困るのは駐車場のことです。

普通はJR上野駅の公園口の左横から入る駅屋上駐車場にいれます。しかし昼食を食べる時間帯をまたぐ時には不忍池沿いの道から上野精養軒の広大な駐車場へ車を置き、精養軒で昼食後上野の山や不忍池を散歩します。精養軒は戦前の洋食の味をそのままの料理を出します。神田の学士会館、日光の金谷ホテルと同じような「昔の洋食」の味です。したのURLをクリックすると不忍池周辺の航空写真がでます。池の右上の細長い建物が精養軒で、広い駐車場も白っぽく写っています。展覧会や散策で疲れた後は又ここで甘いものやお茶を摂ります。

http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.71033819&lon=139.77598636&sc=4&mode=aero&pointer=on&home=on&hlat=35.70215694&hlon=139.77652278

精養軒の北側には徳川家康を祀った東照宮があります。日光の東照宮、静岡、日本平の東照宮よりは小さめですが、建立は三代将軍、家光公のころで古さはほぼ同じです。

この様に上野の山にはあまり知られていない歴史的な建物や記念物が森の中に隠れています。御暇の折には散策をお勧めいたします。(終わり)

下の写真は東照宮の五重の塔、本殿正面、銅製の灯篭の列の写真です。

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栃木県足利市の足利学校と室町幕府の関係を探る旅の企画

2009年07月02日 | うんちく・小ネタ

今月は関東地方の興味ある場所へ家内と車で一泊旅行をしようと思っています。

旅を計画するときは風景の素晴らしいところ、旅館やホテルが良いところ、そして何かしら文化的に一見の価値のあるところ、と色々欲張った目的を考えます。しかし全てを満足するところは予算の都合もあってなかなか見つかりません。そこで今回は歴史的・文化的な小さな探究をすることだけに絞ってみました。

前々から日本一大きな学校として、イエズス会の宣教師ザビエル神父の報告にある足利学校に興味がありました。関東北部の足利市に最盛期には学生数3000人もいたという足利学校があったのです。それが現在は足利市によって復元・公開されているのです。

関東の奥地に、何故このように大規模な学校があったのでしょうか?これが私の興味を引くところです。

一方、足利尊氏に興味があり、少し調べていました。尊氏は現在の足利市のある鑁阿寺(ばんなじ)のある場所に堀をめぐらせた館に代々住んできた足利氏一族の武将でした。鎌倉幕府の末期に北条家に仕える武将として鎌倉にいました。鎌倉幕府滅亡のあと後醍醐天皇を吉野へ追いやり、室町幕府を開いたのが足利尊氏です。

そうなると足利学校は室町幕府の大きな支援と庇護のもとで当時の日本で最大の学校になったのでしょうか?きっと室町幕府との緊密な関係があっとと思われます。この仮定は単なる私の想像だけです。

この疑問を少しでも解明しようとするのが足利市への一泊旅行の目的です。現地に行かないと得られない歴史的情報が沢山あります。しかし現地の情報は郷土自慢が混じっていますので、少し割り引いて考える必要があります。

旅行の結果、分かったことはいずれご報告いたします。下に復元された足利学校の門と全景の写真を示します。また足利氏代々の館跡にある鑁阿寺の写真も示します。出典は足利市のHPです。(終わり)

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教養としてのキリスト教(17)病気になったとき信者はどうするか?

2009年07月02日 | うんちく・小ネタ

キリスト教信者が死ぬ可能性のある病気になったらどうするでしょうか?

私は間違いなく前立腺ガンと判明し、8月6日に手術を受けることになっています。6月29日に全ての検査結果が分かり、入院手続きを完了しました。

このような場合、カトリック信者はどうするのでしょうか? 他の信者全ての人の心の中は判りませんので自分自身のことだけを書きます。一般論ではありません。

神に対して、「この病気を治して下さい」とは祈る気持が無いのです。私を病気にして死なせるのも、生かしてきたことも全て神の決めたことですから。

病を受け入れ、治療に専念するだけです。静かな気分です。

ただ一つ神にお願いしていることがあります。それは手術が失敗して死ぬ時にはイエス様を私の傍に送って下さい。イエス様に見ていただきながら死なせて下さい、と祈っています。

死んだ後は地獄へ落とさないで下さいとは祈りません。それは神様の決めることで私がお願いすべきことではないからです。

信仰を持っているから病が治るとは思いません。しかし信仰を多少なりとも持っていたお陰で、自分でも驚くほど平穏な気持ちで日々を過ごせます。自分の気持ちが客観的に見えます。それだけです。

手術が痛そうで怖いのは信仰と関係ありません。しかしこの怖さはネット上の多くの友人から激励を受けたのでかなり少なくなりました。ネットのお陰で「怖さ半減」しました。有難いと思って、感謝しています。

入院するまでは遊びまわることが出来ますので今までのようにあちこち出歩く予定です。結構、毎日が忙しいです。カトリックの信仰のお陰で毎日がかなり平穏な気持ちで過ごせるというのが私の場合の結論です。一般論ではありません。「かなり平穏」であって「完全に平穏」でないことも事実です。しかし信仰の力を実感できたことが嬉しく思います。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人