後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

更新済みの船舶検査証、船舶番号、船籍港票、などが届きました

2009年07月12日 | うんちく・小ネタ

7月7日に検査官が来て、船の状態、法定備品の完備の状態、エンジンや舵の作動状態などを検査してくれました。すべての項目がOKでした。7月11日に更新済みの船舶検査証、船舶番号票、船籍港票、などが宅急便で届きました。これで、これから3年は船に乗れます。

船検証の更新は、今まで全てマリーナに依頼し、代行して貰っていました。始めて自分で全てを準備して合格になり書類一式を貰ったので非常に嬉しいのです。と、同時に8月に入院し手術を受けるので、自分も3年は元気にヨットが出来るように頑張ろうという励みになりました。この船は船齢27年です。27年も古い車はガタガタになってしまい乗れないのが普通ですが、船は平気です。新品同様に走ります。不思議な乗り物です。つまらない話でしたが個人的に嬉しい出来事なので記録に残したいと思いました。ヨットにご興味の無い方々には大変失礼しました。写真は7月7日に検査を受けたときの法定備品の様子です。(終わり)

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教養としてのキリスト教(19)マルコによる福音と「田舎に泊まろう」というテレビ番組

2009年07月12日 | うんちく・小ネタ

今日の福音書の朗読はマルコ福音書のイエスが12人の弟子たちを宣教の旅へ送り出す場面でした。宣教の旅は2人一組になる。旅に出るときは杖以外持って行ってはいけない。食料もお金も袋も一切持たないで行きなさい。に入って泊めてくれる人がいたらその人の家にずうっと泊まりなさい。同じであちこちの家へと泊まり歩かないで、そのを出発するまで最初に泊めてくれた家に泊まり続けなさい。このような具体的な指導をして弟子たちを方々へ送り出したのです。

昔のユダヤ地方、中近東地方ではお金も持っていない見知らぬ人を泊める人が居たのでしょうか?想像すると、イエスの弟子たちを家に泊めると良いことが起きるという噂が流れていたのではないでしょうか?そうでなければお金も持たない人をいきなり泊める人はなかなか居ないと思います。泊めたうえで、食事も提供し、寄付もしたに違いありません。

話は飛びますが、1541年にザビエルが日本に宣教に来た時も何も持たないで各地を巡り歩いたに違いありません。九州から京都、そして山口へと旅する間、日本人の好意で泊まり、食事をし、旅を続けました。日本人の親切さに感動したに違いありません。

ザビエルが会った日本人一人一人を慈しみ、大切に思ったに違いありません。それだからこそ泊まる家にも食事にも困らなかったのでしょう。見知らぬ外国人がいきなり日本を歩きまわってキリスト教信者が30万人も出来てしまったのです。

ザビエルは武装していない無力な人間でした。日本人が殺そうとすれば簡単に出来たのです。

不思議な事です。ザビエルは特別な仁徳を持っていて、会った瞬間に他人が信用し、尊敬し、保護したくなる雰囲気を持っていたに違いありません。宗教的修練の結果、そのような雰囲気が身についたのでしょう。宣教とはお金を持たないでするものです。出来るものです。三蔵法師もきっとそのような雰囲気を持った人だったのでしょう。

そのような事を考えていましたら、テレビの「田舎に泊まろう」という番組を思い出しました。

何軒も頼んでも断れるタレントは2種類のようです。自分が有名なタレントだから泊めてくれる筈だと思っている人。相手がそのタレントを知っていなければ逆効果です。自分が有名でないことを知っていて、ただひたすら、「泊めて下さい!」と繰り返す人。これも駄目です。

タレントに宗教的修練は無理ですから「泊めたくなる雰囲気」は始めから有りません。一番賢い方法はまず「愛を与えて」、自分が他人へ幸を与える人間であることを証明してから宿泊を頼む方法です。その為には子供を見つけて子供を愛して、その子供の依頼で、親が感謝し、泊めたくなるようにすることです。番組を見ているとこの方法は成功の確率が多いようです。もっとも周りに子供が見つからない場合も多いのですが。とにかく色々考えさせる番組です。

今日の福音書の教えは、「宣教の前に、愛が無ければいけない」ということではないでしょうか?

これは仏教でも他の宗教でも普遍的に重要な考え方では無いでしょうか?皆様は如何お考えでしょうか?    (続く)


日本民族を貶める発想法とものの言い方(3)真珠湾攻撃、南京虐殺、ソ連の満州侵攻

2009年07月12日 | インポート

戦争には悪魔的行為が付きものです。戦争をしている全ての国が、民族が同じように悪魔的行為をするものです。戦勝国は戦後に負けた民族の残虐行為をあげつらい、批難し、自分は悪いことを一切しなかったと主張するのは人類の歴史によく見られることです。

第二次世界大戦で日本民族は負け、アメリカ、イギリス、中国、ソ連は戦勝国になったのです。

アメリカ人は真珠湾攻撃は宣戦布告なしの卑怯な攻撃だと声高に批難します。中国は南京で30万人が虐殺されたと宣伝します。ソ連は中立条約を一方的に破棄して予告なしに満州へ攻め込みました。これらの現象をどのように考え、どのように発言すれば日本民族の品位が貶められないのでしょうか? ここで、誤解の無いように言えば、民族の品位と事件にかかわった個人の名誉は別問題です。この稿では「民族の品位」だけを論じています。

さて真珠湾攻撃ですが、日本人は伝統的に奇襲攻撃をしても良いという文化を持っていました。

戦争の可能性のある緊迫していた状態で油断している方も悪いのです。日本の戦国時代の実例を2つ、3つ示しながらアメリカ人へそのような文化を説明するのが良いと思います。外務省からワシントンの日本大使館へ宣戦布告の電報を送ったが、翻訳に手間取ってアメリカ政府への報告が遅れた、という主張が繰り返しなされてきました。実に姑息ないい訳です。真珠湾攻撃を宣戦布告後にする意図が本当にあったのなら1週間前に電報を送れるはずです。

姑息ないい訳こそ日本民族の品位を貶めると思います。

南京虐殺は中国政府の政治的宣伝であることは誰の目にも分かることです。その議論に乗って30万人は多すぎる、5万人位だった、という日本側の主張も良くみます。この問題は議論すると損をするのです。完全に沈黙を守るのが良いのです。そして虐殺された中国人に対して哀悼の意を表するのが良いのです。中国は白髪三千丈と誇張する文化を持っています。数の正確さを議論し始めると日本人の品位を貶めるだけです。虐殺の人数の研究は中国人の学者の研究に任せれば良いのです。正確な数を出せるか否かは中国の研究能力と品位の問題であり、日本には何のかかわりもないことです。

最後にソ連の満州侵攻ですが、卑怯だ、けしからん、という非難は正しくても、止めましょう。

沈黙を守るのほうが日本人の品位を貶めません。ドイツと軍事同盟を組んで闘っている日本は原理的にはソ連の敵です。中立条約を書いた紙を信じるか、原理原則を信じるかの問題です。当時の日本の軍人はソ連が攻め込む可能性を常に警戒していました。しかし太平洋の島々の劣勢の故に満州の関東軍の大部分を太平洋戦線へ送りこんで玉砕させてしまったのです。

満州がほとんど無防備になりました。敵国ソ連がその隙を突いて侵攻したのです。要するに日本の参謀本部の戦略の大きな間違いでした。日本人が自分の戦略の間違いを研究しないで、相手の卑怯さだけを宣伝するのは品性に欠けます。日本民族を貶めます。

戦後、ソ連はアメリカの敵国になりました。日本人がソ連の卑怯さを宣伝することはアメリカ人にとっては心地よいのです。日本人は戦争中のアメリカ人の卑怯な行為を宣伝しましたか?きっと数多くの卑怯な行為があった筈です。戦争につきものです。

それを広島、長崎の原爆だけを批難しています。原爆は人道的な武器ではないだけでなく、卑怯な攻撃的武器という性格もあります。

戦争にかかわった日本人個人個人の立派さについては、続編で書いてみたいと思います。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人