後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

デパートが文化の殿堂だった時代よ、、、

2011年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

敗戦後の日本でいち早く活気を取り戻したのはデパートでした。華やかな商品が美しい売り場に溢れる様に輝いていたものです。販売員もデパートガールと言い、特別美人で気だても頭も良い子が選ばれて働いていたのです。当時の若い女性の一番の憧れの職場でもあったのです。家族連れにとってはデパートの食堂はたまに行く贅沢な食事所だったのです。美術展もあり、劇場もあります。それは時代を先取りした文化的な空間でした。文化の殿堂でした。そんな時代が経済の高度成長期の始め頃まで続きました。

しかし高度成長期の中ごろになると規模の大きなスーパーや服飾専門の大型店舗が増え、そのうちスケールの大きいアウトレットも出て来ます。デパートだけが文化の殿堂として独占的に繁盛した時代は次第に過ぎて行きました。そのデパートの固有の商品より、テナントのブティックの方に人気が出てきます。

特に1990年以降、長く続く経済不況がさらに追い打ちをかけ、閉店するデパートも出て来ました。しかし昔の栄光を知っている高齢者にとっては、やはりデパートは憧れの場所なのです。出掛けるときは現在でもお洒落な服装をして行きます。

私共が1964年からよく行っていたデパートは「高島屋」です。日本橋、銀座や新宿のデパートへもよく行きましたが最近はもっぱら立川の高島屋です。地下駐車場が広く、売り場が上品で、しかも中央のエスカレーターが上下4台も動いていて便利なのです。今日はその高島屋の写真を撮って来ました。往年の豪華絢爛な商品は少なくなり手頃な値段の商品が増えています。デパートガールも居なくなりました。中年の普通の女性が相手をします。お客もカジュアルな服装です。時代が変わってしまったのです。

こうして時は流れ、全てのものが変化して行くのです。しかしデパートには何か伝統が残っているようです。撮って来た写真を見ると往年の華やかさが確かにあるのです。違う事は街にある専門店やアウトレットにも華やかな店が多数増加した事です。デパートの華やかさが相対的に霞んで来ただけです。少し安堵しました。そんな安堵の気持ちで皆様に写真をいろいろお送り出来ることを嬉しく思います。

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今日は立川の国際製菓専門学校の学園祭の一環としていろいろなケーキを美しく作りあげ、展示していました。若い学生さんがニコニコ説明していました。そんな写真も含めて種々の商品の陳列風景もお送りいたします。

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悲しくて、美しい文章です・・・「雪の神様だね」

2011年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

九州の太宰府の天満宮のそばに住んで居る山下和紀さんはブログを通してお付き合いをしている私の若い友人です。彼のブログは写真が無くて文章だけのブログです。そして深く考えさせるような内容のものもあります。愛国心に溢れた文章もあります。悲しくて、美しい文章もあります。季節の移り変わりの折々に、彼は私へ心温まるお手紙を送ってくれます。私のブログを読んで下さっている有難い読者です。最近、彼のブログに「雪の神様だね」という文章が掲載してありました。人生の悲しさと美しさを描いています。感動したので昨日、彼にメールを送り、転載の許しを貰いました。以下にご紹介いたします。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人

======「雪の神様だね」山下和紀=================

http://fanblogs.jp:80/dryuki/archive/699/0

俺は離婚しているが、俺には娘が二人居る。上の娘は小学校4年迄は、俺と一緒に住んでいたから今でも、俺の事を父と思っている。

しかし次女は4歳までしか一緒に過ごしていない。この子は母親に抱かれた事がない。母親が子供を抱けない病気だったから長期入院いていた。娘の生後2ヶ月に母親が入院したので俺が母親の役をした。4歳になってからこの次女とは別れて住んでいる。
しかし、その次女も小学生になり、もういろいろと判断出来る歳になった。
最近は俺と会っても避ける。悲しそうな顔をしている。
ある時、俺は歩いていて、狭い道路で次女とすれ違った。秋も深まる頃。
その時、俺の娘は同級生の列の一番後ろで、一人で悲しそうに歩いている。俺の知っている次女は活発なヤンチャ子供だった。
この子は生まれた時から辛い運命を背負ってると思った。生後三ヶ月から乳児院・・・二歳で保育園。それに対して、上の子は至れりつくせりだったけど。
偶然ながら私も次女も同じ神社の氏子になっていた。博多の守り櫛田神社。
何故、姉妹でこうも育つ環境が違うものかと心が痛む。
時々、道で会って声をかける。娘は微笑むが、悲しい目をしている。毎度、俺と会うと悲しい顔をする・・・。何故か解る。自分も昔、そうだったから。俺は昔の俺の姿、俺の目を、そこに見たんだ。

しかし12月に、クリスマスプレゼントとして欲しいものを聞く事が出来たのだ。勿論、娘にプレゼント買った。だけど、俺は4歳から父親らしい事は何もしていない。
もう会っても俺は一生他人のふりをすると覚悟を決めていた。
俺も次女と同じような境遇の子供時代を過ごしたのだ。

子供の時は俺が家庭を持ったら絶対暖かい家庭を作ると誓っていたが。俺は子供の話し相手にもならなかった。成長も見ていない。いくら親同志の事情があり、会えなくても。
俺はひどい父親だ!そんな奴に父と呼ばれる資格があるか。
そんな事を考えながら歩いていると、滅多に会わない娘と偶然会った。
俺は何も言わず通り過ぎた、辛いさ!自分の娘に知らぬ顔をしたのだ。
しかし、俺は自分の心を押さえる事が出来なかった。毎度毎度、情けない。
俺は娘の所に走って戻っていった。
[
俺は近所のおじさんだよ?(そうしかい言えないんだ。パパとか言える資格はない)
おうちゃんパパいるかい?オジサンはおうちゃんが友達と遊ぶ時も、あの人誰と?言われているねぇ?おうちゃんはパパはいるかい?]・・・俺は覚悟を決めていたさ。
そしたら俺を人さし指で指す!パパは、この人だって。
俺はコレほど強烈な感覚は味わった事はない。
俺はこんな感動した日が無い。悲しい日も、嬉しい日も沢山あったけど。今日が一番だった!何も力も無い少女の微笑み!澄んだ目!

俺を指さして、パパだよと言ったのだ。何も遊んであげていないのに。何もしていないのに。娘が俺の事を父と呼んでくれた時、急に雪が降って来た。九州に珍しく暗い空からハラハラと雪が舞い降りて来たのだ。
もう昔の話だけど、大宰府に鹿を飼っている神社があった。この娘と二人で毎年お参りに行っていた。この季節に。すると何時も必ず、空から美しい雪が舞って来た。ゆっくりと、ヒラヒラと。
その時、娘が言ったのだ。「パパ、雪の神様だね・・・雪の神様が居るよ・・・」
今日も美しい雪が舞い降りて来た。筑紫野の空からヒラヒラと。

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