後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

2億年前の化石の本物も売っています

2011年02月08日 | 写真

伊勢丹・府中店で撮った写真です。一番大きなアンモナイトの化石は12万円程です。小さくなると2万、1万円と安くなります。写真では小さく見えにくいですが、魚や昆虫の本物の化石も売っていました。化石マニアはご存知と思いますが高齢者が孫へのプレゼントに良いと思い写真をお送りいたします。(終り)

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平安時代のお香を買いにデパートへ行きました

2011年02月08日 | うんちく・小ネタ

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外国かぶれの傾向がある小生は、とかく日本の伝統文化の教養が無さ過ぎます。特に源氏物語などは興味がありません。しかし家内が何十年も勉強していますので、時々夫婦の義理で源氏物語に関連する事にお付き合いすることがあります。

今日は「梅枝の巻」に出て来るお香をデパートに買いに行くから車を出して下さいと言います。上の写真のように、鳩居堂が近くの伊勢丹に出店をしていて、そこで買えると言います。車の中で平安時代のお香の製法が全て詳しく記録されていると言います。そして12世紀に書かれた「薫集類抄」 に調合方法と均一に混合し熟成する方法が科学的に書いてあると教えてくれました。ですから現在でもその主な6種類は製造できます。平安時代と全く同じお香が売っているのです。これには流石に飛び上がる程驚きました。もし貴方がこの事実をご存知でしたなら、日本の伝統文化を大事にする素晴らしい教養人です。

帰宅してから薫集類抄を検索しましたら、実に多くの情報が出て来ました。その中から一番明快に平安時代の6種のお香のかおりや調合、混合、熟成を説明してあるブログを一つだけご紹介いたします。このHPを見ると香道の奥の深さも想像できて、楽しい内容です。その冒頭の部分だけ転載させて頂きました。

このキーボードの横には家内が焚いてくれた「梅花」の煙が静かに漂っています。平安時代の香りを楽しみながら21世紀の文明の利器のコンピューターを使っているのです。別に違和感も無いことが不思議です。詰まらない話は止めます。下の引用文を是非お読み下さい。面白い事が詳細に書いてあります。(終り)

綺陽会の主宰者:八條忠基著「薫物の製法」というHPです:http://www.kariginu.jp/kikata/takimono.htmhttp://www.kariginu.jp/kikata/takimono.htm

薫物(たきもの)の製法

奈良時代には主に宗教儀式に用いられた香ですが、平安時代になると貴族たちが家伝の秘法に従って練香を作り、これを披露し合う「薫物合わせ」を楽しむようになりました。源氏物語の「梅枝」には、この薫物合の情景が「香どもは昔今の取りならべさせたまひて御方方にくばり奉らせたまふ、二種づつ合はせたまへと聞えさせたまへり・・・人人の心心に合わせたまへる、深さ浅さを嗅ぎあはせためへるに、いと興あること多かり」と表現されています。

その中で、香りが洗練されて次第に6種類に集約されていきます。これを「六種薫物(むくさのたきもの)」と呼びます。
後世の『後伏見院宸翰薫物方』には、それを季節になぞらえて紹介しています。

梅花 (ばいか)


  うめの花の香に似たり

荷葉 (かよう)

夏、
  はすの花の香にかよへり

侍従 (じじゅう)

秋風蕭颯(しょうそう)たる夕、心にくきおりふしものあはれんて、
  むかし覚ゆる匂によそへたり

菊花 (きっか)

秋、きくのはなむらうつろふ色
  露にかほり水にうつす香にことならず

落葉 (らくよう)

冬、もみぢ散頃ほに出てまねくなる
  すすきのよそほひも覚ゆるなり

黒方 (くろぼう)

冬ふかくさえたるに、あさからぬ気をふくめるにより、
  四季にわたりて 身にしむ色のなづかしき匂いかねたり


その製法は『群書類従』(19遊技部)の「358 薫集類抄」「359 後伏見院宸翰薫物方・むくさのたね・五月雨日記・名香合・名香目録」に記録として残されています。特に『薫集類抄(くんしゅうるいしょう)』(12世紀末)には非常に詳しく配合が記されていますので、後世参考資料として重宝されました。

『薫集類抄』
をワード文書で公開しております。香道振興にお役立て下さい。

薫集類抄に見る六種薫物の配合(%)

 小数点以下四捨五入

沈香

薫陸

安息香

簷糖香

白檀

丁子


相撲の八百長も日本の文化の一部です

2011年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争も平和も人類の文化の一部という言い方があります。文化の意味を広くして人類の知能的な活動を文化と言えば戦争も平和も人類の文化の一部になります。そいう意味では、相撲の八百長は日本の文化の一部です。相撲は日本の国技ですから日本でしか起きない事件なのです。

始めに断って置きますが、私は八百長を弁護するつもりは毛頭ありません。あってはいけない残念な事件でした。

しかし何故このような事が起きたか考えて見ると日本の文化から自然に発生した現象であったという事が明瞭に分かります。

先輩力士が後輩へ、今日は悪いけど風邪をひいたのでよろしく頼むと言えば、後輩は武士の情けで負けてあげます。逆に後輩力士が終盤で白星をもう一つ取れば十両から落とされない場合には先輩力士は負けてあげます。このように同僚の先輩、後輩が助け合う事はいろいろな職場で普通に行なわれています。

「和をもって尊しとなす」という日本文化が同業者同士の助け合いを誘います。日本の職場では個人の能力が欧米ほど尊重されず、先輩・後輩の助け合いの重要性が強調されがちです。

相撲は国技であるので、この日本文化が普通より強く息づいているのは当然です。武士の情けや、義理人情の範囲で、自分が黙って八百長をしているとしたら誰がそれを非難できるでしょう。

今回の事件はいけません。お金で星を売買していたのですから。しかしその出発点は昔から存在した先輩後輩の義理人情なのです。

病気になった先輩との勝負で後輩が手を抜く美しい心に根ざしていると考えられます。貴方にはそれを批判する資格がありますか?私にはありません。それが日本の文化の一部なのですから。

いきなり話は飛びます。昔、アメリカで働いていた時、ある友人の就職運動を自分の上司でもあった恩師に頼みました。そうしたら説教をされたのです。「アメリカでは友人の就職運動を頼むと、貴方の人格を疑われますよ。友人という理由だけでえこひいきして居るからです。アメリカではそれは倫理的な行為ではありません」と説教されたのです。

しかし暫くしてから、友人の就職運動にいろいろ親切にアドバイスをくれました。説教が立派過ぎたと思ったのかも知れません。なにせアメリカのスポーツ界でも八百長はあるのですから。欧米にもあるのです。

しかしアメリカと日本の文化の違いを強烈に体験した事件だったので、今でも時々思い出しています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人

下に日本文化のシンボル的な帆かけ舟の写真をお送りします。昨年の夏、霞ヶ浦で撮った写真です。

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