つまらない笑い話です。よく相性さえ良ければ国際結婚は最高に幸せと言います。
同様に時代の違った人間が結婚したら最高に幸せです。と思います。空想の世界の話ですが。ただし国際結婚と同じで相性が良いことが大切です。時代が違いますから、ものの考え方や感じ方が違います。それがお互いに何時までも新鮮に感じ、夫婦の話し合いが絶えません。老境でも新婚のように毎日真剣に話し合い、笑いあっています。時代が違いますから同じ結論になりません。仕方がないので笑って誤魔化してお終いになります。
先日も「くにたち郷土博物館」へ行ったら立派な縄文土器が飾ってあります。血が騒ぎ、熱心に写真を撮りました。博物館の傍の南養寺遺跡から出土したそうです。土器だけでなく石器多数や住居跡も出て来ました。縄文時代は15000年も続いたのです。日本人が文字を使うよになってから1500年位です。文明開化から約150年です。時の流れが10倍、10倍と早くなっています。しかし日本人の根底には15000年もの縄文時代の血が脈々と流れているのです。私はそのように信じています。そんな話をすると家内は笑って取り合いません。縄文時代の文化を認めていませんから。下に国立市の南養寺遺跡から出た土器の一部の写真を示します。
写真の右側にあるのは鎌倉時代の石の板碑なので縄文文化ではありません。
ここからが本当に書きたい事実です。縄文時代の竪穴式小屋は平安時代末期、地方によっては鎌倉時代の初期まで全国の農民の住居として広く使用されていたのです。側面の掘っ立て柱を少し高くして小屋の側面を直立させた小屋もありますが基本的な構造は縄文時代と同じです。床には藁をしいて居ました。木の板は高価だったので裕福な農民しか床に使用しなかったのです。学校の歴史の教科書では平安時代の華麗なお寺や貴族の邸宅の挿絵がよく出てきますが、一般農民の家の挿絵は出て来ません。そのせいで平安時代も江戸時代の農家のような家が全国にあったと誤解します。竪穴式掘っ立小屋は縄文時代が終わっても1000年近く使われていたのです。生活文化は時代が変わっても重層的に重なり合っているのです。学校で教える歴史は中央政権の変遷と政権を持っている上層の人々の生活だけ教えます。一般農民の生活ぶりを教えません。
まあ、その事は別にして、縄文時代の生活の実態はどのようなものだったのでしょうか。いろいろ探していましたら静岡県の富士市立博物館のHPに縄文時代の家の断面のイラストと集落の様子を描いた絵がありました。お借りして下に示します。(出典は、富士市博物館HP:http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/index.php?id=79です)
さて、縄文時代のことはこれで終りです。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人