後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日の散歩道・・・国立、谷保の南養寺から滝乃川学園まで

2011年02月09日 | インポート

午前中はみぞれがハラハラと降っていましたが、昼からすっかり晴れ上がり、青空が広がりました。午後から「くにたち郷土博物館」へ再度行き、そこから歩き出しました。

鎌倉時代に創建された建長寺派・臨済宗(禅宗)の南養寺の墓地から本堂、山門と抜け、滝乃川学園の礼拝堂(聖公会)の写真を撮って、矢川沿いに田園地帯を歩きました。ぐるっと一回りして車の所に帰って来ました。夏ミカンがたわわに実っている家の前で、その家の方に会いました。イトウタカシ木工房のご主人で、木工作家でした。芸術家の雰囲気があり、少しだけですが会話を楽しみました。家内が彼の写真を撮りました。この木工房のことは別記事でご紹介します。

下に今日の散歩の風景写真をお送り致します。

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美しい宝石の原石の写真をお送りいたします

2011年02月09日 | 写真

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先日ある店で上に示した水晶の写真を撮りました。何故かとても美しいので暫く見詰めていました。水晶にはいろいろな色がついていて紫水晶、紅水晶、黒水晶という宝石になります。

家に帰って来て宝石の原石を調べました。そうしたら磨かなくても美しい原石の写真集のHPを見つけました。そのHPは「それはそれだけですごく美しい原石や鉱石」:http://matome.naver.jp/odai/2127477137687587201 です。

非常に多くの美しい原石の写真が掲載されています。下にその例として5枚の写真だけをご紹介致します。宝石のお好きな方々は是非「それはそれだけですごく美しい原石」をご覧下さい。

写真は上から右へと順に、ダイヤモンド原石、ラピスラズリ原石、スギライト原石、クリスタルオパール原石、ブルーカルセドニー原石です。

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このような原石をダイヤモンドカッターで小さく切り、磨いて、貴金属に嵌め込んだものが、下の写真のように売られているのです。

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私は縄文人、家内は弥生時代の人・・・時代が違うとうまくゆく

2011年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

つまらない笑い話です。よく相性さえ良ければ国際結婚は最高に幸せと言います。

同様に時代の違った人間が結婚したら最高に幸せです。と思います。空想の世界の話ですが。ただし国際結婚と同じで相性が良いことが大切です。時代が違いますから、ものの考え方や感じ方が違います。それがお互いに何時までも新鮮に感じ、夫婦の話し合いが絶えません。老境でも新婚のように毎日真剣に話し合い、笑いあっています。時代が違いますから同じ結論になりません。仕方がないので笑って誤魔化してお終いになります。

先日も「くにたち郷土博物館」へ行ったら立派な縄文土器が飾ってあります。血が騒ぎ、熱心に写真を撮りました。博物館の傍の南養寺遺跡から出土したそうです。土器だけでなく石器多数や住居跡も出て来ました。縄文時代は15000年も続いたのです。日本人が文字を使うよになってから1500年位です。文明開化から約150年です。時の流れが10倍、10倍と早くなっています。しかし日本人の根底には15000年もの縄文時代の血が脈々と流れているのです。私はそのように信じています。そんな話をすると家内は笑って取り合いません。縄文時代の文化を認めていませんから。下に国立市の南養寺遺跡から出た土器の一部の写真を示します。

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写真の右側にあるのは鎌倉時代の石の板碑なので縄文文化ではありません。

ここからが本当に書きたい事実です。縄文時代の竪穴式小屋は平安時代末期、地方によっては鎌倉時代の初期まで全国の農民の住居として広く使用されていたのです。側面の掘っ立て柱を少し高くして小屋の側面を直立させた小屋もありますが基本的な構造は縄文時代と同じです。床には藁をしいて居ました。木の板は高価だったので裕福な農民しか床に使用しなかったのです。学校の歴史の教科書では平安時代の華麗なお寺や貴族の邸宅の挿絵がよく出てきますが、一般農民の家の挿絵は出て来ません。そのせいで平安時代も江戸時代の農家のような家が全国にあったと誤解します。竪穴式掘っ立小屋は縄文時代が終わっても1000年近く使われていたのです。生活文化は時代が変わっても重層的に重なり合っているのです。学校で教える歴史は中央政権の変遷と政権を持っている上層の人々の生活だけ教えます。一般農民の生活ぶりを教えません。

まあ、その事は別にして、縄文時代の生活の実態はどのようなものだったのでしょうか。いろいろ探していましたら静岡県の富士市立博物館のHPに縄文時代の家の断面のイラストと集落の様子を描いた絵がありました。お借りして下に示します。(出典は、富士市博物館HP:http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/index.php?id=79です)

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さて、縄文時代のことはこれで終りです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人