後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

芥川賞作品、西村賢太作「苦役列車」の読後感

2011年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

この作品の単行本が非常に売れていると聞きました。何故売れているか?その原因に好奇心が湧きました。読んでみて、売れているわけが少し想像がつきました。

まずあらかじめ申し上げて置きますが、露骨な性描写や暴力やドロドロした嫉妬心などというものが克明に描かれているので、気の弱い人は読んではいけません。そのような描写に躓いてこの作品の深い意味が分からなくなるからです。

この本の売れ行きが良い理由は、まず明快な文章によります。瞬間的に意味が分かるだけでなく、何故か文章力のようなものにグイグイ引かれて読み進みます。そうすると起伏の少ないストーリーなのに結構事件が起き、その先が読みたくなります。

ストーリーは単純です。中学卒だけで学歴も資格も一切無い怠惰な19歳の男の主人公と、日雇いの職場で知り合った唯一の友人と、その恋人の3人だけが登場します。

その唯一の友人は勤勉です。人生を器用に渡る才覚があります。間もなく恋人の女子学生と結婚します。怠惰な主人公が相変わらずの日雇い人生に取り残される。そんな話です。

ストーリーにダイナミックな展開が無いので退屈と言えば、退屈な小説です。

しかしこの退屈さこそ現在の日本の若者の心に強い共感を呼び起こすに違いありません。それはフリーターに憧れ、フリーターになりきれなかった若者たちの心を揺り動かしているのです。「退屈さ」こそ現在の日本の多くの若者の原風景なのです。

不器用で、怠惰で、向上心の無い若者の底知れない恐怖心と悲しさが伝わって来ます。器用に人生を渡る友人とその恋人に見下される惨めさに自分でおののいています。怠惰で無気力な態度も、賢く人生を渡る態度のどちらも人間の真実なのです。

小説の中には社会への不満、政治家への非難など一切出て来ません。勿論、芸術論も宗教論も一切ありません。それだけに主人公の根源的な人間の弱さが白黒映画を見るように明快に描かれているのです。

主人公の怠惰の罪は勿論ですが、友人の賢さが何故か利己心の陰を暗示しています。人間というものを描いていますので、深い印象を受ける小説です。

久しぶりに人間をくっきり描いた小説を読んだので、読後感は爽快でした。しかし穏健な性格の方、インテリの方などは読ないほうが良い小説です。精神安定上、読まない方が良いと思います。

単なる読後感です。間違っていたら御免なさい。藤山杜人


明るい雑木林の風景をお楽しみ下さい・・・今日の散歩道

2011年02月21日 | 写真

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よく行く散歩道に浅間山(せんげんやま)があります。多摩墓地の南端に連なった小高い山で、雑木林が美しい所です。新緑も秋の紅葉も良いですが、冬も素晴らしい風景を見せてくれます。すっかり落葉し、陽射しが地面まで射し込んで明るくなっています。梢の向こう側には見事な青空が広がっています。そんな風景写真を雑木林のお好きな方々へお送りいたします。標高80メートルですが、駆け上がるのはちょっときつそうです。今日、3kmほど歩いた散歩道です。

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就活と就婚は自己責任でという軽薄な社会・・・その上就職・転職に役立つHPの紹介

2011年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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ある考え方を評価する場合、視点の置き方によって違った評価になります。

自己責任で自由に就職運動をする。自己責任で結婚相手を探す。どんな家に住み、どのような生活をするのも自己責任です。フリーターになるのもホームレスになるのも自己責任です。自由にして良いのです。

チョッと気にくわない事があれば会社を辞めます。自己責任で辞めるのですから自由です。経営者が雇用契約の条件を破る社員を見つけて簡単に辞めさせます。それも経営者の自己責任です。

日本の社会には「自己責任」の考えが根をはるようになりました。

その考えは軽率過ぎる。もっと慎重に考えて、上司や先輩の話しを良く聞きなさいと忠告してはいけません。

話は飛びますが、”水戸黄門”では最後に印籠を出して、「これが目に入らぬか!」と言います。それて全て終りです。このようように、面倒な話になると、「自己責任が全てです!」と言われてお終いになります。

本来、「自己責任」という言葉は個人を尊重した自由な民主社会の根底にある非常に重要な思想です。これなくしては欧米型の平等な社会が出来ません。この欧米の考えが日本へ入ってくると変質するのです。

この言葉のもたらすマイナス面・・・もっと極端に言えば「弊害」が非常に大きくなるという変化をします。これが日本へ輸入され時の変化なのです。

自己責任なので根気良くするのは放棄する。自己責任なので親や先生の説教は聞かない。友人の忠告も無視する。勝手気儘に生きるのも自由です。その結果貧困になり、ホームレスになるのも自由です。

このような風潮が蔓延しているのが現在の日本です。そこには思慮の深さや賢明な生き方を軽蔑的に見る風調が隠れているのです。事業に失敗して没落し、貧困にあえいでいても周りの人は気にもかけません。なにせ自己責任なのですから。

こういう社会の風潮を軽率な文化と言います。そこでは人間の温かい同情や助け合いが無くなり、カサカサした社会になります。勝手気儘と野放図が横行する社会です。

それでも欧米のように自己責任の思想の産物として独創的な発明や、偉大な芸術作品の生まれるような社会なら救いもあります。日本ではそれが少な過ぎます。

水戸黄門の印籠のように、最後は「自己責任」という言葉を出して、面倒な事を全て逃げてしまう思想が蔓延しています。そしてそれこそが日本の長期不況の真の原因になっているようで心配です。

人間は自分で全ての責任が取れるほど賢くもないし、その力も無い存在なのです。土から生まれて土に還る、ただそれだけの存在なのです。もっと謙虚に、そして賢明になれば就活や就婚は必ず成功するものです。

上の文章を熟考した上で、就職運動の仕方を具体的に書いた「履歴書の書き方」というHPhttp://www.rirekisho-check21.com/を是非ご覧下さい。必ず役にたつ具体的な内容が親切に分かり易く書いてあります。

今日は、特に就活中や就婚中の人々がより深く考え、善い結果に繋がるように祈りたいと思います。藤山杜人