老境の楽しみの一つに、幼い頃からの友人のことを回想し、楽しかった事を思い出すことがあります。そして感謝しながら静かに時を過ごします。明鏡止水という境地で、感謝しながら時が流れて行きます。
仙台の愛宕中学校で知り合ったOH君は何も知らない私に忍者遊びの面白さを教えてくれた生涯の親友です。色白で美しい少年でした。利発で何でも知っています。忍者とは何者かを教えてくれた上で、その訓練をしてくれるのです。手裏剣の投げ方、水の上を歩く方法、忍者の走り方など器用に教えてくれます。私の忍者遊びの師匠です。
訓練は厳しかったですが、何の役にも立たない訓練です。大学生になった頃はすっかり忘れてしまいました。しかし結婚してから凄く役に立ったのです。忍者走りで勢いをつけ家の壁を2、3歩駆け上がるふりをします。
足だけ見ていると身体が壁に垂直になって3、4歩駆けあがったように見えるのです。膝から下だけ壁に垂直につけるのがコツです。新婚の妻がそれを見て急に私を尊敬し始めたのです。運動神経に自信のあるオッチョコチョイな彼女はすぐ真似をします。が、何度教えても出来ません。何処で憶えたのかと聞くので、OH君のことを話しました。それ以来OH君は我が家では重要な存在になってしまいました。男の子が生まれ、少し育つと忍者風に壁に駆けあがって見せます。幼い息子が真似をしますが出来ません。妻は息子に夫の自慢をします。OH君のことも忍者の先生だと話します。彼へはこの事は一度も話していませんでした。ここでご報告し、心から感謝いたします。有難う御座いました。
OH君は前回書いたST君の親友でした。よく3人で遊んだものです。立派な昔風の家にも遊びに行きました。父上は大学で教えている文学者でした。愛宕中学の校歌も作詩したほどの詩人でもあったのです。母上は上品で優雅な婦人でした。我々はどちらかと言うと悪童連のような遊びをしていたのでOH君の母上は苦手でした。決して怒るわけではないのですが緊張します。
OH君は忍者の師匠として尊敬し、感謝していますが、実はもう一つ生涯感謝している事があります。我々が中学生の頃、湯川秀樹博士がノーベル賞を貰いました。将来、科学者になる決心をしていた私がOH君やST君へ自分もノーベル賞を取ると公言してしまったのです。その事をOH君は生涯忘れませんでした。高校、大学と一緒に進み演劇部を中心にして遊びました。その後、彼は大きな商社に入社し、私は留学を経て研究者の道に入りました。同級会や同窓会で会う度にOH君は私へ大声で、「おい藤山!ノーベル賞はまだ取れないのか?」と聞きます。私が困って小さな声で、「それが、その、まだです」と小声で答えると周りの昔の悪童連がドッと笑います。ノーベル賞がそんなに簡単に取れない事は皆が知っているのでそれは皆を笑わせる冗談なのです。
しかしOH君と私にとっては冗談ではなくお互いに親友だよと確認しあう儀式だったのです。OH君は私の研究能力を高く評価しているよというメッセージを放っていたのです。私はOH君のその温かい励ましに何度も感謝していました。そんなに私の研究能力を認めてくれているのはOH君しか居ないのです。親友とはそういうものなのかと何度も頭の下がる思いをしたものです。最近は流石にノーベル賞のことは言わなくなりました。その代わりに、「藤山、長生きしろよ。俺も長生きするからな」という台詞に変わりました。
OH君と会ってから茫々60年余。彼には何もして上げなかったかったのですが、彼の友情は微塵も変わりません。本当に長い間有難う御座いました。ただ感謝あるのみです。下に昨年10月に行ったとき撮った仙台の風景写真を彼の為にお送りします。一番丁の街角に立つのがOH君を尊敬している家内です。 有難う御座いました。(終り)