後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

忍者遊びの師匠、OH君の思い出と感謝

2011年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

老境の楽しみの一つに、幼い頃からの友人のことを回想し、楽しかった事を思い出すことがあります。そして感謝しながら静かに時を過ごします。明鏡止水という境地で、感謝しながら時が流れて行きます。

仙台の愛宕中学校で知り合ったOH君は何も知らない私に忍者遊びの面白さを教えてくれた生涯の親友です。色白で美しい少年でした。利発で何でも知っています。忍者とは何者かを教えてくれた上で、その訓練をしてくれるのです。手裏剣の投げ方、水の上を歩く方法、忍者の走り方など器用に教えてくれます。私の忍者遊びの師匠です。

訓練は厳しかったですが、何の役にも立たない訓練です。大学生になった頃はすっかり忘れてしまいました。しかし結婚してから凄く役に立ったのです。忍者走りで勢いをつけ家の壁を2、3歩駆け上がるふりをします。

足だけ見ていると身体が壁に垂直になって3、4歩駆けあがったように見えるのです。膝から下だけ壁に垂直につけるのがコツです。新婚の妻がそれを見て急に私を尊敬し始めたのです。運動神経に自信のあるオッチョコチョイな彼女はすぐ真似をします。が、何度教えても出来ません。何処で憶えたのかと聞くので、OH君のことを話しました。それ以来OH君は我が家では重要な存在になってしまいました。男の子が生まれ、少し育つと忍者風に壁に駆けあがって見せます。幼い息子が真似をしますが出来ません。妻は息子に夫の自慢をします。OH君のことも忍者の先生だと話します。彼へはこの事は一度も話していませんでした。ここでご報告し、心から感謝いたします。有難う御座いました。

OH君は前回書いたST君の親友でした。よく3人で遊んだものです。立派な昔風の家にも遊びに行きました。父上は大学で教えている文学者でした。愛宕中学の校歌も作詩したほどの詩人でもあったのです。母上は上品で優雅な婦人でした。我々はどちらかと言うと悪童連のような遊びをしていたのでOH君の母上は苦手でした。決して怒るわけではないのですが緊張します。

OH君は忍者の師匠として尊敬し、感謝していますが、実はもう一つ生涯感謝している事があります。我々が中学生の頃、湯川秀樹博士がノーベル賞を貰いました。将来、科学者になる決心をしていた私がOH君やST君へ自分もノーベル賞を取ると公言してしまったのです。その事をOH君は生涯忘れませんでした。高校、大学と一緒に進み演劇部を中心にして遊びました。その後、彼は大きな商社に入社し、私は留学を経て研究者の道に入りました。同級会や同窓会で会う度にOH君は私へ大声で、「おい藤山!ノーベル賞はまだ取れないのか?」と聞きます。私が困って小さな声で、「それが、その、まだです」と小声で答えると周りの昔の悪童連がドッと笑います。ノーベル賞がそんなに簡単に取れない事は皆が知っているのでそれは皆を笑わせる冗談なのです。

しかしOH君と私にとっては冗談ではなくお互いに親友だよと確認しあう儀式だったのです。OH君は私の研究能力を高く評価しているよというメッセージを放っていたのです。私はOH君のその温かい励ましに何度も感謝していました。そんなに私の研究能力を認めてくれているのはOH君しか居ないのです。親友とはそういうものなのかと何度も頭の下がる思いをしたものです。最近は流石にノーベル賞のことは言わなくなりました。その代わりに、「藤山、長生きしろよ。俺も長生きするからな」という台詞に変わりました。

OH君と会ってから茫々60年余。彼には何もして上げなかったかったのですが、彼の友情は微塵も変わりません。本当に長い間有難う御座いました。ただ感謝あるのみです。下に昨年10月に行ったとき撮った仙台の風景写真を彼の為にお送りします。一番丁の街角に立つのがOH君を尊敬している家内です。 有難う御座いました。(終り)

014 032 050 058 078 082 106 113


喜びも悲しみも幾歳月・・・そして灯台への道

2011年02月14日 | 写真

学生時代に松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」という映画を見ました。木下恵一監督、佐田啓二、高峯秀子主演のオールカラー映画でした。全国の美しい灯台の風景と灯台守夫婦の喜びと悲しみが描かれています。若かった私はこの映画に感銘を受け、数々の美しい灯台の風景が心に焼き付いてしまいました。

その後、灯台のそばへ行くと、必ず灯台まで登って行くのが習慣になりました。多くの灯台は駐車場より高いところに立っています。映画、「喜びも悲しみも幾歳月」の場面を思い出しながら登ります。事故で若くして亡くなった佐田啓二を思い出します。高峯秀子の美貌も思い出します。

先日の外房総の旅では野島崎灯台と犬吠崎灯台へ行ってきました。灯台への道はミゾレ混じりの強風が吹きつけて前も見えません。体で風を押しながら灯台まで歩きました。灯台は随分前から完全に自動化され灯台守の宿舎はありません。「喜びも悲しみも幾歳月」は戦前、戦後にかけて灯台守の奥さんの手記にもとずいた実話なのです。灯台守が全国に居なくなってその苦しみ、悲しみを経験する人も居なくなりました。安心して、寒い風の中を散歩して帰って来ました。下に野島崎灯台と犬吠崎灯台と周囲の風景の写真をしめします。

016 015 126 131


散歩していたらある木工作家に会いました

2011年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

080

国立市の矢川にある滝乃川学院は明治24年に日本ではじめて作られた知的障害児専門の学園です。創立者は石井亮一氏で妻の筆子さんと共に障害児の世話をしました。家内の祖母が石井夫妻を尊敬し、少しながら支援をしていたようです。そんなご縁があったので、昨日見学へ行って来ました。

その帰り、矢川沿いに田園の道を散歩していたら、上の写真のような夏ミカンがたわわに実った木に出会いました。右奥にある家をしげしげと見ました。家の外側には綺麗に切りそろえた薪が積んであります。庭には何か藝術作品のようなものも飾ってあります。ははーん、芸術家が住んで居るなと思います。すると丁度その時、中年の主人が帰ってきました。ニッコリ挨拶をしてくれて、「今、ちょっと待ってて下さい」と言って家に入り、自分が主宰している「イトウタカシ木工房」のパンフレットを手にして出て来ました。

パンフレットには自分が創作した木工製の作品の写真があります。テーブル、イス、本棚、仏壇、オカモチ、オブジェ、楽器、店舗ディスプレー、表札、照明器具、花器、時計、積み木、木の指輪、首飾り、舞台・映画の小道具、などなど何でも作りますと書いてあります。(詳しくは、http://itotaka.com をご覧下さい)

散歩をしているといろいろな人が挨拶をしてくれたり、話しかけてくれます。私も散歩しながら会う人々へ挨拶をするようにしています。


親子、孫と代々読み続けられる星新一のショート・ショート作品

2011年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログはわかる人だけに解かる内容です。判からない人には面白くも可笑しくもないのです。と狭量な自己満足で居直っていました。そうしたら中学生の男の孫が「面白くない」と、面と向かって冷やかに非難します。そして星新一の本を貸してくれました。何も言わずに貸してくれたので仕方なく数編を読みました。

短くて読み易く、その上非常に面白いのです。科学的空想によっていろいろ興味深い発明品が現れます。欠陥の無い技術はこの世に存在しないという原理原則に従って何かしら致命的な欠陥を暴きだして終りになります。

発明には科学的な原理を踏まえていますが、途中からとんでもない逸脱へと発展し、奇想天外な発明品になります。人間の善意と悪意を上品に詰め込んだ軽いタッチの短い小説のようなものです。美しいエッチングの小品集です。人間の怨念とか男女の間の情念や復讐劇は絶対に出て来ません。散文詩のような文章で、深い内容を含んでいます。人間への鋭い皮肉・アイロニーが書いてありますが美しい情景描写のお陰で上品に仕上がっています。

考えさせるユーモアが洒落たタッチで書いてあります。一つだけ1958年に発表された初期の傑作の「おーい。でてこーい」をご紹介します。

ある村のはずれにある社(やしろ)が台風で流されました。村人が集まって社の跡を見ていたら大きな穴が出来ていたのです。若者が「おーい。でてこーい」と穴の底へ向かって叫びますが、返事がありません。そして小石を一つ投げ込みます。底から反響はありません。

結論を先に言えば、人々は便利なゴミ捨て場として不要な物を何でも投げ入れてしまいます。原子炉のカス、外務省の機密書類、伝染病の実験に使われた動物の死骸、浮浪者の死体、都会のゴミや下水、警察の押収した巧妙すぎる偽札。人間の忘れたい物、他人には知られたくない物全てを捨てたのです。便利至極な穴でした。都会の汚れを引き受けてくれました。海や空が綺麗になりました。

しかしある晴れた日に青い空の上から声がします。「おーい。でてこーい」という。そしてストーンと小石が一個落ちて来たのです。これでお終いです。洒落たお終いですね。あとは貴方のご想像にお任せします。

星新一の本は家内から息子へ、そして孫へと伝承されています。その孫が折角ブログを書くのなら星新一のように読んで面白く、考えさせる内容の短い文書を書きなさいと見本として渡してくれたのです。しかし残念ながら私にはその才能はありません。勘弁して下さい。そこで何時も文章とは関係の無い美しい写真を添付して誤魔化しています。

下のは近所の神社の写真です。お正月に撮った写真です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人

025