後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

多摩動物公園には絶滅したニホンコウノトリが沢山居ます!

2011年02月12日 | 写真

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150年前には日本の各地で普通に見らていたニホンコウノトリは次第に減少し、1971年に兵庫県の豊岡市で最後の一羽が捕獲されたのを最後に絶滅したと知っていました。

ところが先日多摩動物公園へ行ったら、なんと数十羽が檻の中を元気に飛び回っているではありませんか?まったく、これほど驚き、同時に心豊かになる経験をした事はありません。

帰宅して調べて見たら、多摩動物公園ではロシアや中国から輸入したニホンコウノトリを飼育して、1988年以降に100羽以上へ繁殖させたそうです。そんなに繁殖したなら佐渡のトキのように野山へ放鳥し、野生化すれば良いと思いました。

しかし現在の日本の環境では放鳥しても生き延びないと考えられているようです。

動物園は、昔日本に沢山居たが絶滅した動物を繁殖し、保存する役目があるのですね。その目的があるのならニホンオオカミも何とか出来なかったのでしょうか?

それにしても多摩動物公園のニホンコウノトリの繁殖と保護の成功へ心からの賛辞をお送り致します。

他にも絶滅動物や昆虫の、繁殖と保護に成功してるものもあると思います。少し詳しく調べて見ます。もし分かったら続篇としてご報告致します。

以下に国の情報機関から出されているニホンコウノトリに関する参考資料を添付致します。

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ニホンコウノトリ野生復帰計画と獣医師の関与http://ci.nii.ac.jp/naid/110002683112http://ci.nii.ac.jp/naid/110002683112

ニホンコウノトリ(Ciconia boyciana), 150年ほど前までは日本中でごく普通に見られた野鳥であった。しかし, 1971年に兵庫県豊岡市で野生最後の個体が捕獲されたことで, わが国のニホンコウノトリの地域個体群は消滅した。まれに迷鳥として中国大陸から渡ってくることはあるが, 残念ながら定着して繁殖することはない。この鳥が絶滅した主な原因は, 明治時代以降の狩猟による乱獲, 戦時中の営巣木の伐採, 農業改良による生息地の減少, 農薬による餌の汚染, 小個体群内で生じた遺伝的問題などであると考えられている。同様の現象は, 現在の野生ニホンコウノトリの生息地である中国やロシアでも進行しており, 種の存続自体が危ぶまれている。ニホンコウノトリの飼育下繁殖は, 野生個体が11羽となった1965年に兵庫県豊岡市で始まった。さまざまな努力にも関わらず, 日本産のコウノトリの繁殖は成功に至らなかったが, 中国やロシアから若い個体を導入して飼育下繁殖を試みた結果, 1988年に待望のヒナが誕生した。以後, 国内の3施設で順調に繁殖し飼育個体数が増加している。野生復帰計画を具体的にすすめるために, 1992年から専門家による委員会が設置された。遺伝的管理下でより多くの個体を飼育・繁殖させ, 野生復帰の訓練を行う新たな施設も建設される予定である。しかし, 野生復帰までにはまだ多くの問題がある。生息環境の保全は第一の課題である。たとえば, 飛行時の事故原因となる高圧電線への対策, 餌場となる水田の無農薬もしくは減農薬化, 湿地の確保, そして人工巣塔の設置なども考慮しなければならない。地域住民への啓発も大切である。獣医師が本計画に関われる分野は, 飼育下での疾病治療や予防のみならず, 環境保全を含めたはば広いものであると考える。わが国で今後も進展すると思われる各種希少動物の野生復帰計画を成功に導くため, 日本の獣医学は野生生物保護にも積極的に貢献していく必要があろう。

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宗教的訓練を重要視する社会としない社会の違い

2011年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

先進国ではいろいろな統計資料が公開されています。そしてその公開資料は正確であると考えて良いと思います。欧米諸国や日本、韓国、台湾の統計資料は信用出来ます。ところが信用出来る統計資料の無い国々が多いのも事実です。

以前も報告しましたが、欧米諸国、韓国、日本で、神様の存在を信じている人の割合を調べた統計結果が公表されています。それを見ると神の存在を信じている人の多い国はアメリカ、フランス、イギリス、韓国、等です。日本は最低に近い数字です。「無宗教です」と言うと人格が疑われる!・・・気をつけましょう! をクリックすると統計結果の図は見られます。

当然、日本は宗教的訓練の重視されない社会です。

随分昔の事で恐縮ですが、1962年にアメリカで就職するために履歴書を書きました。驚いた事にアメリカの履歴書には人種、宗教、宗教的訓練などという項目がありそれぞれをキチンと書きなさいとアドバイスを受けた事があります。アメリカで就職試験を受けるときは「宗教的訓練」が重要なのです。訓練を多く受けた人は採用されやすいのです。

「宗教的訓練」とは何ですか?と周りのアメリカ人に聞いたら明快に教えてくれました。まず教会へ毎週行っていたか?礼拝式の出席割合は40%だったか90%だったか具体的に書く必要があるそうです。そして何年間教会へ通っていたかも正確に書くのです。洗礼を受けた年月日と場所も必要です。それでは仏教徒の私はどのように書くのですか?参拝のためにお寺へ毎月何回行ったか書けば良いのです。あるいは修業の為に僧院に3ケ月籠ったら、それは立派な宗教的訓練です。まずそれで合格でしょうと教えてくれました。そして間違っても無宗教と書いてはいけません。書くと共産主義者とみなされ一発で不合格になると教えてくれました。結局、私はアメリカで就職はせずに日本の大学へ帰って来ましたが。

しかし、それ以来、「宗教的訓練」は私の心に引っかかる生涯のキーワードになってしまいました。

座禅でもお寺の掃除でも宗教的訓練です。寒い日でも教会のミサへ行くのも訓練です。退屈なミサも我慢するのも訓練です。宗教のことを聞くのも訓練です。こうして書く事も訓練なのです。

訓練を続けると何か良い事があるのでしょうか?無いのです。愚かな私の行いは少しも良くなりません。しかし、ほんの少しだけ内面の考え方が変わって来たような気がいたします。ほんの少しだけ物事を客観的に考えられるようになって来ました。最近、親鸞の事を書いた私の記事へpochiさんという方が次の様なコメントを送って下さいました。

藤山杜人さん おはようございます。
私の住んでいる広島地域に「中国新聞」という地方紙がありますが、五木寛之さんの「親鸞」(激動編)がこの1月から連載されています。初編に続き、毎日愛読しております。
五木寛之さんは以前から仏教に関する本も書かれていますが、大変興味深く読ませていただきました。
私は行者の修行を続けていますが、最近になって少しずつ自分自身の内面が変わってきているような気がしています。=====                                         アメリカの職場では職業倫理が重視され、内部告発がよくあります。その原因は宗教的訓練を重視しているからなのです。
話は急に変わりますが、私の宗教的訓練はまだまだ足りません。しかしそれを続けて行けば何時かは殉教という試練に耐えられるようにないるのかも知れません。(ムリムリ)そんな儚い思いもあるので長崎の26聖人の写真をお送りいたします。
ご縁があって、この記事をお読み下さった皆様のご健康と平和を今日もお祈り申し上げます。藤山杜人

Pic71 写真の出典は、http://www.wakaran-club.com/pic7.htmlです。