木曾の御嶽山が2週間前の9月27日に噴火して2週間になります。登山中の55名の方が犠牲になり、さらにいまだに行方不明の方が8名もいます。
亡くなられた方々はみんな真面目な人で、その上、小学生から高校生までも含まれています。残された家族や友人の悲しみは筆舌に尽くせません。
私も悲しくて、心が動揺して、この話題を取り上げて記事にすることが出来ませんでした。
しかし自衛隊や消防隊の連日の困難な捜索活動の様子を見て、しだいしだいに心の動揺が静まってきました。
捜索活動の目的は勿論行、方不明の方の発見にあります。しかしそのた多くの人々の悲しみをやわらげる効果もあるのです。
最近、やっと私も犠牲者のあの世での幸せを静かな気持ちで祈れるようになりました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
それはさておき、この悲劇の後に、マスコミは「政府はもっと予算を使って火山噴火の予知の研究施設を作れ」という意見を掲載しています。
しかし御嶽山は、1979年に水蒸気爆発を起こすまでは死火山と信じられていたのです。このように火山の噴火予測は人間の知恵の限界を超えているのです。現在の科学レベルをはるかに超えた難題なのです。
噴火予知はいくら予算を使っても不可能なのです。人間はそれを知るべきです。
そのような自然現象は地球上に非常に多く存在しているのです。
例えば毎年、変化する大洋の海流の動きの予測すら出来ないのです。それが出来れば地球全体の気候予測がより正確に出来る筈なのです。
もう一つの例は地震と大津波の予測も不可能なのです。2011年の東日本の大津波も予測出来なかったのです。あのような大規模の津波は1000年前の貞観年間に起き、多賀城の城下町を襲った時以来起きていなかったのです。
個人的なことで恐縮ですが、私は以前、実験科学の研究を職業にしていました。自分の能力の限界の中で解明できるような自然現象だけを研究テーマに取り上げてきました。自分の手にあまる問題は、それが如何に重要な問題でも避けていました。研究論文を沢山書かねばならない職業研究者だったのです。勇気もチャレンジ精神もあまり無かったのが今にして悔やまれます。
それだけにノーベル賞を受ける科学者の偉大さが理解出来るのです。
私は実験科学の研究の経験から科学の限界をいやというほど知らされています。
地震、津波、噴火などの予知は不可能なのです。その延長でいえば地球温暖化の原因は炭酸ガスだという仮説も私は信じていません。現象はもっと複雑で、数多くの原因が重複して温暖化が起きていると想像しています。
人間の科学や技術では原発の危険性をゼロにすることは不可能なのです。
人間がその限界を知り、謙虚に祈るのが良いと思います。
今回の御嶽山の噴火の犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。行方不明の方の早急な発見をお祈りいたします。
そして犠牲者の鎮魂のために御嶽山の平和な風景写真をお送り致します。
(写真の出典は、http://ameblo.jp/rv9084/entry-10717580893.html です。)