武蔵野の一角にある平林寺は紅葉の名所としてこれから11月にかけて訪れる人が多いところです。紅葉の季節だけなく、広い境内の自然が四季折々美しい景観を示してくれます。何度も散策した場所なので今日は紅葉の写真と共にこのお寺の見どころをいろいろご案内いたします。
建物では1664年に建てられた山門が静かなたたずまいで迎えてくれます。
本堂の他に僧堂、修行僧たちの住まいも静かな佇まいを見せています。
禅の専門道場なので静かに左の池を回り墓地の中に入ります。
墓地には島原の乱の犠牲者の供養塔や武将たちのお墓があり説明板があります。地方史に興味のある方には面白い墓地です。
その奥の松平家の墓所には立派な墓石が並んでいます。そこを抜けるといよいよ武蔵野の雑木林が広がる散策路です。木々の紅葉を充分楽しめます。
今頃は紅葉にはまだ早く、例年では11月が丁度良い頃です。
下の紅葉の写真は2012年の12月初旬に撮ったもので、紅葉の終わり頃のものです。
この雑木林は武蔵野の自然をそのまま残している貴重な場所です。植物に興味のある天皇陛下も2度訪れてています。
雑木林にはクリ、コナラ、クヌギ、アカマツなどの林が残存し、林床はクマザサなどに覆われています。 また、アカハラ、アオゲラ、キビタキ、ルリビタキなど約60種に及ぶ鳥類も見られます。
この雑木林を北へ進み奥の方にある歴代住職のお墓の並んでいる墓所も是非ご覧頂きたいと思います。
江戸時代に何度も飢饉があったり、明治維新のための戊辰戦争がありました。日清・日露の戦争もあり、そして太平洋戦争です。
しかしこの歴代住職のお墓の並んでいる墓所に立って、静かに墓碑を読んでいると何事も無かったような気がします。この世の騒がしさが、遠い遠いくにの出来事のように感じられのです。
そんな気分になる平林寺なのです。紅葉の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料===============
(1)平林寺の歴史:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%9E%97%E5%AF%BA
永和元年(1375年)、現在のさいたま市岩槻区に創建。開山は石室善玖(せきしつぜんきゅう)、開基は大田備州沙弥・蘊沢(うんたく)。当初は臨済宗建長寺派。大徳寺派を経て妙心寺派の寺院となった。なお、蘊沢は、岩槻城・太田道真(道灌の父)と同一視されることがあるが、道真は平林寺創建の時点ではまだ生まれていない。寛文3年(1663年) 川越藩主・松平信綱の遺志をうけて、子の輝綱が菩提寺として野火止に移転。
(2)平林寺は禅修行のお寺:http://www.heirinji.or.jp/shugyou/hansoubou.html
山門の左側、放生池近くに唐破風をつけた入母屋造りの半僧坊感応殿があります。半僧坊は、静岡県引佐郡引佐町にある臨済宗方広寺の鎮守である半僧坊大権現がその源と言われています。権現とは、仏教の仏様が神として仮の姿で現れることを言います。
明治23年(1890)、鎌倉建長寺の守護神として分祀された半僧坊は、同27年、一九世玉圓禅師の代に平林寺に勧請されました。
毎年4月17日はこの大祭の日で、感応殿では大般若経600巻などの転読などが行われます。近隣法類のお練りや稚児行列などもあり、雅楽の音が響く平林寺の門前には200軒余りの各種露店や植木市などが軒を連ね、善男善女で大いに賑わいます。
(3)平林寺は国指定の天然記念物:http://www.weblio.jp/content/%E5%B9%B3%E6%9E%97%E5%AF%BA%E5%A2%83%E5%86%85%E6%9E%97
平林寺は、野火止用水に沿ったいわゆる武蔵野の一角にある禅寺で、境内約40ヘクタールには、武蔵野の二次林であるクリ、コナラ、クヌギ、アカマツなどの林が残存し、林床はクマザサなどに覆われている。
また、アカハラ、アオゲラ、キビタキ、ルリビタキなど約60種に及ぶ鳥類の繁殖地あるいは渡来地として、毎年利用されているほか、こん虫類もオオムラサキをはじめ多くの種類がここに生息し、いわゆる多摩丘陵以東の武蔵野における二次林を主体とした自然の残存地域として、学術上貴重であり、昭和43年に指定された。