後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

少し韓国と中国のことを知ろう(1)韓国の憲法の前文をみると何故日本へ反発するかが理解出来る

2014年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
韓国と中国は日本の仮想敵国と言う人がいます。しかしその仮想敵国の深層心理をを知らなければ日本の安全守れません。
それには韓国の憲法の前文を読むのが簡便で良い方法です。
大韓民国憲法の前文:
「悠久の歴史と伝統に輝く私たち大韓国民は己未三一運動(日本の朝鮮併合に反対した運動)で大韓民国を建立し、世界に宣布した偉大な独立精神(李承晩大統領独裁政権を、学生などが倒した民主化運動の精神)を継承し、今や民主独立国家を再建するに当たり、正義、人道と同胞愛により民族の団結を強固にし、すべての社会的弊習を打破し、民主主義制度を樹立し、政治、経済、社会、文化のすべての領域において各人の機会を均等にして能力を最高度に発揮させて、各人の責任と義務を果たすようにし、内には国民生活の均等な向上を期して、外では恒久的な国際平和の維持に努力して私たちと私たちの子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを決意し、私達の政党、また自由に選挙された代表として構成された国会で檀紀4281年7月12日に憲法を制定する」


上の前文に挿入した(日本の朝鮮併合に反対した運動)と(李承晩大統領独裁政権を、学生などが倒した民主化運動の精神)の2ケ所は私が日本人の理解のために挿入したものです。韓国人にとっては自明なのです。
韓国は日本による朝鮮併合を自国の歴史から抹殺しているのです。
韓国は韓国という国の歴史の流れを

・大韓帝国→日本による朝鮮併合時代→大韓民国ではなく、
・大韓帝国→上海に作った韓国の臨時政府の存続、そして日本の敗戦→大韓民国としているのです。
朝鮮合併は韓国の意に反する忌まわしい歴史なので憲法で抹殺しているのです。
そのことを多くの日本人は知らないのです。

上海に出来た韓国の臨時政府は丁度チベットのダライラマがインドに亡命してチベット臨時政府をつくっているのと同様です。
そして、その上海臨時政府の首班は李承晩だったのです。日本の敗戦後、彼はアメリカの支持を得て大韓民国大統領になったのです。
しかし権力を得ると独裁的になり、学生などによる民主化運動で打倒されたのです。
李承晩は憲法で独裁者として明記されているのです。その後、日本へ協力的だった朴正熙大統領も追放されたのです。
この憲法の前文を読むと韓国人が日本人を好きになれない事情がよく分かりますね。
歴史認識は日本と韓国と違うのが当然です。ですからこそ日本人は韓国の歴史認識を知れば日本の利益が守れるのです。日本の安全が守れるのです。知らずして感情的な韓国蔑視の論戦をしないほう良いと思います。そのほうが日本人の為になるのです。
などと偉そうなことを書きましたが、これはアメリカの戦略のマネなのです。
第二次大戦中にアメリカ軍は文化人類学者のルース・ベネデクト女史を使い日本人の深層心理を徹底的に研究させたのです。そしてその研究成果を戦後の占領政策に利用して、日本人をアメリカの協力者にしたのです。そしてソ連との冷戦でアメリカの利益と安全のために日本人を利用したのです。孫子も言う如く、敵を知れば百戦あやふからずです。徹底的に韓国と中国を研究すれば百戦あやふからずなのです。
やはりアメリカ軍や孫子の兵法に従うべきでないでしょうか。
愚見を書いてみました。(続く)

今日の神代植物公園のダリアの花々をお楽しみ下さい

2014年10月09日 | 写真
戦前、戦後の日本の家の庭にはダリアの花がよく咲いていました。
そしてヤツデやアオキという常緑樹も植えてありました。
そのような昔の花や庭木はいつのまにか消えてしまったようです。...
ところが神代植物公園にはダリアの花々を咲かせる大きな畑があり、毎年10月になると見事な花を咲かせます。
昔の私の家にもダリアがあったので、懐かしさのあまり毎年このダリア畑を訪ねます。
今日も散歩をかねて広い公園を歩きながらダリアの写真を撮ってきました。満開のダリアの花々の写真をお楽しみください。










春は櫻、秋は紅葉・・・自然の美に感謝す

2014年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
季節がめぐり美しい紅葉が待たれる頃となりました。北海道や東北の山々は絢爛と紅葉や黄葉した木々が青空の下で輝いているのでしょう。
ここ東京の紅葉は11月になってからが最盛期です。年年歳歳、秋になると紅葉を求めて奥多摩や相模湖の周囲の雑木林をめぐる小さな旅に出ます。
紅葉の素晴らしい場所は何か所も頭に浮かんでいます。例えば桧原村の奥多摩周遊道路の両側には隙間がないようにモミジの木が植えてあります。
昨年も行きましたが京都のお寺のモミジと同じような枝振りの木々が燃えるように紅葉していました。桧原村の役場から秋川沿いに登りつめ、数馬の里から都立森林公園へ上がり、奥多摩湖へ降りる周遊道路です。
とにかく遠い所なので近場の公園へ行くことになります。小金井公園、武蔵野公園、野川公園、小宮公園、そして水元公園などと飽きずに見に行きます。
そえぞれの公園にはケヤキ、クヌギ、カシワ、ユリノキ、プラタナス、ポプラ、イチョウなどなどがいろいろな配置で植えてあります。木々の紅葉や黄葉の色彩が違うので、それらの色の調和が感動的なのです。公園を造る人々の美的感覚が偲ばれます。
ところで昨年は新しく黄葉の美しい都立公園を見つけました。練馬区の都立光が丘公園です。都立、都立とこだわるのは都立公園には必ず広い駐車場があり、昼食もとれるからなのです。
それにしても練馬区だけは行きたくありません。道が細くて迷路のようになっているのです。
昨年は光が丘公園に三回紅葉を見に行きましたが、三回とも公園の近所で迷ってしまいました。一度はどうしても関越高速道路に入らなけれいけない道に入ってしまい、埼玉県の所沢まで行ってしまいました。
方向音痴の家内が遠慮がちに「どうして埼玉県に来るのですか?」と不思議そうに聞くのです。めったに道に迷わない私なので家内に謝るのが口惜しくて困りました。
そんな訳で練馬区の光が丘公園にはしばらく行かないつもりです。そこでその思い出の練馬区の紅葉の写真をお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人