アメリカで平等とか自由という言葉を使う時、多くの人々は神を連想します。
そして平等とか自由は神から与えられた基本的な人権だと感じます。何せアメリカでは95%の人がキリスト教の言う神の存在を信じているのです。
一方、日本では平等や自由は明治維新後に日本社会に導入され、それを日本政府が保証していると理解しています。
そして多くの日本人は平等や自由は生まれながらに人間がもっている個人の基本的な性質だと感じます。神の介在を感じません。
日本人はお釈迦様が好きで、神の存在を信じている人が人口の35%しかいません。そしてこの神は八百万の神であり、八百万の神は人間の平等性や自由とは無関係なのです。人口の3%だけがキリスト教の神を信じているだけなのです。
誤解をさけるために始めに強調しておきますが、アメリカ文化は日本文化より優れていることは絶対にないのです。全ての民族文化には絶対に優劣が無いのです。
アメリカの戦争好きや、貧富の差の大きさを考えるとアメリカ文化にも大きな欠陥を感じざるを得ません。
それはさておき、アメリカの平等と自由はキリスト教の神が人々に与えた基本的な人権なのです。
そのことを明白に示している一例がアメリカにおける銃保有の権利の保証と銃規制反対の強さです。
個人の安全は個人が銃を持って守る権利と、そして個人は銃保持の自由を持っている。その権利は神が与えている。このように考えるのがアメリカ人なのです。
アメリカの高校で銃の乱射事件が起きる度に、日本のマスコミが銃規制を強化すべしと大声をあげます。効果が皆無です。当然です。
しかし銃保持の自由が神から与えられたと考えるのは間違っているかも分かりません。イエス様は隣人を愛せ、敵を愛せと教えたのです。隣人を愛すためにはたして銃が必要でしょうか?
アメリカ以外の多くのキリスト教国では緩やかながらも銃規制があります。
私の知っているスウェーデンでは徴兵的な制度があり、その義務が終わると予備役になり自宅に銃を保持しています。敵の侵入があればその銃を持って防衛戦に参加します。予備役以外の人が銃を持つことは禁止です。このように限定はされてはいますが銃規制があるのが普通です。
以上のように欧米の自由・平等などの社会的な権利に関する言葉の背後には、キリスト教の神やイエス様が座っています。
同様に日本のいろいろな言葉の背後にはお釈迦様が座っているのです。八百万の神が座っているのです。
外国の言葉を日本語に翻訳する場合、その言葉の背後にあるものを無視すると大変違った意味になるのことが多いものです。
外国人と話をしたり交友する場合に忘れてはいけないことと思います。
下に参考資料と挿絵としてのダリアの花の写真をお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
=======参考資料====================
「世界55ケ国の神を信じる人の数の2000年の統計調査結果」:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html より。
この統計調査は、世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。
ここでは、神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。

図録の右半分や詳しい説明は、是非,http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html をご覧下さい。
神の存在と死後の世界を比べると、神の存在の方が一般的に信じられている。神の存在は24カ国で90%以上の人が信じており、50%未満の人しか信じていない国は5カ国に過ぎないのに対して、死後の世界は、90%以上の人が信じている国は4カ国しかなく、50%未満の人しか信じていない国は25カ国もある。
エジプト人は、神の存在、死後の世界ともに、100%の人が信じている。ヨルダン、インドネシア、フィリピンといった諸国も、エジプトと同様の見方を示している。逆に、ベトナムは、神の存在も死後の世界も信じていない者が多い点で目立っている。
日本は、ベトナム、チェコと並んで、神の存在を信じない人の多い国であるが、死後の世界については、信じない人が多いが、その比率は、ドイツ、デンマークと同程度であり、それほど目立っているわけではない。以下は省略いたします。


そして平等とか自由は神から与えられた基本的な人権だと感じます。何せアメリカでは95%の人がキリスト教の言う神の存在を信じているのです。
一方、日本では平等や自由は明治維新後に日本社会に導入され、それを日本政府が保証していると理解しています。
そして多くの日本人は平等や自由は生まれながらに人間がもっている個人の基本的な性質だと感じます。神の介在を感じません。
日本人はお釈迦様が好きで、神の存在を信じている人が人口の35%しかいません。そしてこの神は八百万の神であり、八百万の神は人間の平等性や自由とは無関係なのです。人口の3%だけがキリスト教の神を信じているだけなのです。
誤解をさけるために始めに強調しておきますが、アメリカ文化は日本文化より優れていることは絶対にないのです。全ての民族文化には絶対に優劣が無いのです。
アメリカの戦争好きや、貧富の差の大きさを考えるとアメリカ文化にも大きな欠陥を感じざるを得ません。
それはさておき、アメリカの平等と自由はキリスト教の神が人々に与えた基本的な人権なのです。
そのことを明白に示している一例がアメリカにおける銃保有の権利の保証と銃規制反対の強さです。
個人の安全は個人が銃を持って守る権利と、そして個人は銃保持の自由を持っている。その権利は神が与えている。このように考えるのがアメリカ人なのです。
アメリカの高校で銃の乱射事件が起きる度に、日本のマスコミが銃規制を強化すべしと大声をあげます。効果が皆無です。当然です。
しかし銃保持の自由が神から与えられたと考えるのは間違っているかも分かりません。イエス様は隣人を愛せ、敵を愛せと教えたのです。隣人を愛すためにはたして銃が必要でしょうか?
アメリカ以外の多くのキリスト教国では緩やかながらも銃規制があります。
私の知っているスウェーデンでは徴兵的な制度があり、その義務が終わると予備役になり自宅に銃を保持しています。敵の侵入があればその銃を持って防衛戦に参加します。予備役以外の人が銃を持つことは禁止です。このように限定はされてはいますが銃規制があるのが普通です。
以上のように欧米の自由・平等などの社会的な権利に関する言葉の背後には、キリスト教の神やイエス様が座っています。
同様に日本のいろいろな言葉の背後にはお釈迦様が座っているのです。八百万の神が座っているのです。
外国の言葉を日本語に翻訳する場合、その言葉の背後にあるものを無視すると大変違った意味になるのことが多いものです。
外国人と話をしたり交友する場合に忘れてはいけないことと思います。
下に参考資料と挿絵としてのダリアの花の写真をお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
=======参考資料====================
「世界55ケ国の神を信じる人の数の2000年の統計調査結果」:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html より。
この統計調査は、世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。
ここでは、神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。

図録の右半分や詳しい説明は、是非,http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html をご覧下さい。
神の存在と死後の世界を比べると、神の存在の方が一般的に信じられている。神の存在は24カ国で90%以上の人が信じており、50%未満の人しか信じていない国は5カ国に過ぎないのに対して、死後の世界は、90%以上の人が信じている国は4カ国しかなく、50%未満の人しか信じていない国は25カ国もある。
エジプト人は、神の存在、死後の世界ともに、100%の人が信じている。ヨルダン、インドネシア、フィリピンといった諸国も、エジプトと同様の見方を示している。逆に、ベトナムは、神の存在も死後の世界も信じていない者が多い点で目立っている。
日本は、ベトナム、チェコと並んで、神の存在を信じない人の多い国であるが、死後の世界については、信じない人が多いが、その比率は、ドイツ、デンマークと同程度であり、それほど目立っているわけではない。以下は省略いたします。


