後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

深大寺に詣り、新ソバを賞味してきました

2014年10月30日 | 写真
深大寺の写真3枚と蕎麦屋の写真2枚をお送りします。
 関東には奈良、京都と異なり、古いお寺が多くありませんが、深大寺は天平五年、733年に満功上人が創建しました。その深沙大王を祀ったお堂が現在の深大寺の前身です。現在も深大寺の西約100m位の場所に深沙大王堂があります。境内にはいくつかの御堂があり、大きな枝垂れ桂・金木犀・なんじゃもんじゃの樹が枝を拡げています。
 それはさておき、寺の門前には多くの蕎麦屋があります。今日は広い駐車場がある「多聞」に入りました。評判の良い店で、私たちが店を出る時には店の前に行列ができていました。









時代が変化すると社会風潮や人々の考えが非常に変わる

2014年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前生まれ、戦後育ちの私は随分といろいろな時代を生きてきたものだという感慨にとらわれます。
今、振返ってみると、日本の社会風潮も人々の考え方も時代によって大きく変わりました。今日は大雑把に戦後の社会風潮の変化を描いてみたいと思います。
まず戦後の復興期と経済の高度成長期の間を概観してみましょう。
この期間の特徴は日本には復興と経済成長という明確な国家目標が厳然とあったことです。
そして、この期間には東京オリンピックがあり大阪万博などがありました。そして日本の貿易も次第に増加し国際化が進みました。そのような社会がバブル経済の崩壊の起きた1990年頃まで続きました。
人々の人生観は工業技術の向上と経済の高度成長というlことに大きく影響を受けていました。中央省庁の官僚達と政権与党の政治家達はこの国策に協力する人々こそ価値があると言わんばかりの風潮でした。
私共は無意識に影響を受け技術向上と経済成長に努力することが一番重要なことと信じていました。人生に迷いが無かったのです。
現在の若者が「自分探しの旅に出る」とよく言いますが、1990年以前の多くの人々にとっては人生は自明のことで「努力」が大切にされたのです。
それが1990年以後、豊かになってしまった日本には強烈な国家目標が無くなってしまったのです。その後の混迷と戦後体制からの脱却については続編で考えてみたいと思います。
今回は自分の人生観が日本の国家目標に強く影響を受けていたことに気がついたキッカケを書いてみたいと思います。
そのキッカケは外国に2度住んだ体験でした。家族と一緒にアメリカとドイツに住んだのです。この時家族と一緒ということがその国のいろいろな側面を知る上で非常に重要だったのです。
まず驚いた事はアメリカでもドイツでも人々の考え方が日本と非常に違う事です。そしてアメリカとドイツの間も非常に違うのです。
1962年から64年に住んだアメリカは日本で観念的に考えていた自由と平等の国ではなかったのです。自由と平等は人生の勝者だけの間にあったのです。負け組の白人と黒人は差別され苦難の人生を送っていたのです。彼等はそれが当たり前の人生だと考えていたようです。すくなくともキング牧師が活躍するまでは。
もう一つ驚いた事は白人も黒人も徴兵制度に賛成し、愛国心に燃えていたことです。
世界を制覇してアメリカがローマ帝国のようになる事を望み、またそれを信じていたのです。当時の最大の敵は共産主義のソ連圏と中国でした。当時はイスラム圏はアメリカの敵ではなかったのです。
このようなアメリカの風潮もベトナム戦争ですっかり変わってしまいました。
一方、西ドイツには1969年から1970年にかけて住んでいました。住んでみるとドイツ人の考え方はあまりにもアメリカと違います。彼等はアメリカの自由と平等などあまり信用しません。そして何事においても伝統を重視し、伝統的な考え方で問題を解決しようとします。
人生観や職業観においても中世の親方(マイスター)を尊敬する徒弟制度が背景にあります。ですから一生の間、職業を変えず、可能なら子供に継がせようとします。
その上宗教改革の折に起きた30年戦争の話題を好んでします。そしてドイツという国家は昔の幾つかの王国の連合体のような考え方をします。その考え方は日本の人の国家観と非常に違います。
私共の住んでいたシュツットガルトは昔シュバーベン王国でした。そこの新聞の空き家の広告を見ると、「借り手はシュバーベン人に限る」という条件が付いているのです。そこで私は研究所のシュバーベン人を連れて行って、保証人になって家を借りた経験があります。
アメリカでは黒人は別にして誰にでもアパートを貸していました。
ドイツは日本と組んで第二次世界大戦を戦いました。それはドイツの国家方針でした。その昔の国家方針の影響で日本人に親切にする人が多かったのも吃驚ものでした。
しかし1989年ソ連のベルリンの壁が崩され、冷戦が終結し、東西のドイツが統一されるとドイツ人の風潮が変わったようです。一方ではヨーロッパ連合が強化され通貨はユーロになりドイツの通貨のマルク、ペーニッヒも無くなってしまったのです。
当然ドイツの中世以来の「伝統主義」が崩れてきたようです。ドイツは日本とは違いますが「戦後体制」から脱却したのです。
今日、強調したいことは、日本もアメリカもドイツもその社会風潮が時代とともに非常に大きく変化するということです。当たり前のことですが時々このようなことを考えることが重要だと信じています。現在、自分が何処にいるかを知ることが出来るのです。
今日の挿絵は秋の空と川の流れの写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)