@親切で寛容なインド人
アジアと西洋の間にインドがあります。行ったことはありませんが、アメリカやドイツで会ったインド人は皆例外なく親切で、私の面倒をよくみてくれました。
宗教はヒンズー教が多いようです。兎に角、日本人には非常に親しげ多くので日本人の面倒を見てくれるのです。
その優しさの原因には長年にわたり植民地として過酷に支配してきた大英帝国と戦争をして、インドの独立に貢献した日本人への恩義もあるのかもしれません。
第二次大戦後、東京裁判でA級戦犯全員の無罪を主張したのはインド人裁判官ただ独りであったのです。
その後、ネール首相が愛娘の名をつけたインド象を送ってくれ、敗戦で打ち沈む日本人の心を慰めてくれたのです。
一方、アメリカ人もインド人は尊敬しているようです。アメリカにいるインド人は忠誠心や責任感が強く、頭脳明晰な人が多いからです。
1990年前後に働いていたオハイオ州立大学の同じ学科には、2人のインド人教授がいました。私が指導していた学生にも一人のインド人がいました。彼はとにかく全てについて熱心で、よく徹夜で実験をしていたのです。。アメリカの仕事場で知り合ったインド人は皆紳士で、よい思い出しかありません。
@ドイツで会ったインド人のフェルナンデス君のこと
1969年秋、ドイツのローテンブルグでインド人のフェルナンデス君に会いました。
私が34歳で、フェルナンデス君は22歳した。
彼はそこで私をカトリックの教会へ毎週連れて行ってくれたのです。彼はカトリック教徒だったのです。そして中世風のカトリック教会でのミサが終わると決まって傍のレストランでチキンの空揚げの昼食をとり別れたものでした。それが3ケ月間続きました。ミサの後は宗教談義はしませんでした。しかし彼が、「ヨーロッパを車で観光するときには、村々の教会へ入り、お祈りしなさい。ヨーロッパ人の宗教が理解できますよ」と言ったのが忘れられません。
後にシュツッツガルト市へ引っ越して家族が合流しました。週末には南ドイツやスイスへ車で遊びに行くようになりました。すると村々の中心には広場があり、カトリック教会と新教のエバンゲリュッシュ教会が向かい合っています。
教会に静かに入り、お祈りして小銭を献金箱に入れて出てきます。日本の観光地で神社・仏閣へお参りし、お賽銭を上げるのと一緒です。
フランスでもスウェーデンでも教会に寄っりました。有名な豪華な教会でなく、ひなびた小さい教会ほど味わい深いのです。出てくるわれわれを見る村人の目が微笑んでいます。
私はそれ以前の欧米の旅では外国人がなんとなく恐くて緊張する癖があったのです。しかし、教会に寄るようになってから緊張は一切消えてしまいました。
それはさておき、フェルナンデス君が興味津々で聞いた話は、江戸時代260年の禁教とそれに耐えた日本の隠れキリシタンのことでした。
明治になり、フランスからやって来たプチジャン神父が浦上天主堂を建てた時、日本の信者が「私たちは神父さんが必ず戻ってくると260年間待っていました」と言ったという話をしました。。
フェルナンデス君とはローテンブルグで別れてから会っていません。消息も分かりません。
私は1971年にカトリック立川教会で塚本金明神父さんから洗礼を受けました。
インドにはザビエル神父の腕が保存してあり、カトリック信者の数も多いそうです。マザーテレサをインド人は宗教の違いを超えて熱烈に支援したのです。フェルナンデス君のことを今でも良く思い出します。インドの宗教は他宗教へ対して排他的でなく、お釈迦様の慈悲の御心が通っているように寛容です。
アメリカやドイツでお世話になったインド人を通じて私はインドの文化は他人へ優しい寛容な文化だと信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)
上はシーク教の寺院でインド西北にあります。出典は、http://corporalupham5.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89です。
上はシバの祭りのとき子供たちがシバの扮装をしている様子です。出典は、http://blog.ayur-indo.com/?day=20090410です。
上のタージマハールの写真の出典は、http://matome.naver.jp/odai/2131011278701170901/2131011303401188503です。
アジアと西洋の間にインドがあります。行ったことはありませんが、アメリカやドイツで会ったインド人は皆例外なく親切で、私の面倒をよくみてくれました。
宗教はヒンズー教が多いようです。兎に角、日本人には非常に親しげ多くので日本人の面倒を見てくれるのです。
その優しさの原因には長年にわたり植民地として過酷に支配してきた大英帝国と戦争をして、インドの独立に貢献した日本人への恩義もあるのかもしれません。
第二次大戦後、東京裁判でA級戦犯全員の無罪を主張したのはインド人裁判官ただ独りであったのです。
その後、ネール首相が愛娘の名をつけたインド象を送ってくれ、敗戦で打ち沈む日本人の心を慰めてくれたのです。
一方、アメリカ人もインド人は尊敬しているようです。アメリカにいるインド人は忠誠心や責任感が強く、頭脳明晰な人が多いからです。
1990年前後に働いていたオハイオ州立大学の同じ学科には、2人のインド人教授がいました。私が指導していた学生にも一人のインド人がいました。彼はとにかく全てについて熱心で、よく徹夜で実験をしていたのです。。アメリカの仕事場で知り合ったインド人は皆紳士で、よい思い出しかありません。
@ドイツで会ったインド人のフェルナンデス君のこと
1969年秋、ドイツのローテンブルグでインド人のフェルナンデス君に会いました。
私が34歳で、フェルナンデス君は22歳した。
彼はそこで私をカトリックの教会へ毎週連れて行ってくれたのです。彼はカトリック教徒だったのです。そして中世風のカトリック教会でのミサが終わると決まって傍のレストランでチキンの空揚げの昼食をとり別れたものでした。それが3ケ月間続きました。ミサの後は宗教談義はしませんでした。しかし彼が、「ヨーロッパを車で観光するときには、村々の教会へ入り、お祈りしなさい。ヨーロッパ人の宗教が理解できますよ」と言ったのが忘れられません。
後にシュツッツガルト市へ引っ越して家族が合流しました。週末には南ドイツやスイスへ車で遊びに行くようになりました。すると村々の中心には広場があり、カトリック教会と新教のエバンゲリュッシュ教会が向かい合っています。
教会に静かに入り、お祈りして小銭を献金箱に入れて出てきます。日本の観光地で神社・仏閣へお参りし、お賽銭を上げるのと一緒です。
フランスでもスウェーデンでも教会に寄っりました。有名な豪華な教会でなく、ひなびた小さい教会ほど味わい深いのです。出てくるわれわれを見る村人の目が微笑んでいます。
私はそれ以前の欧米の旅では外国人がなんとなく恐くて緊張する癖があったのです。しかし、教会に寄るようになってから緊張は一切消えてしまいました。
それはさておき、フェルナンデス君が興味津々で聞いた話は、江戸時代260年の禁教とそれに耐えた日本の隠れキリシタンのことでした。
明治になり、フランスからやって来たプチジャン神父が浦上天主堂を建てた時、日本の信者が「私たちは神父さんが必ず戻ってくると260年間待っていました」と言ったという話をしました。。
フェルナンデス君とはローテンブルグで別れてから会っていません。消息も分かりません。
私は1971年にカトリック立川教会で塚本金明神父さんから洗礼を受けました。
インドにはザビエル神父の腕が保存してあり、カトリック信者の数も多いそうです。マザーテレサをインド人は宗教の違いを超えて熱烈に支援したのです。フェルナンデス君のことを今でも良く思い出します。インドの宗教は他宗教へ対して排他的でなく、お釈迦様の慈悲の御心が通っているように寛容です。
アメリカやドイツでお世話になったインド人を通じて私はインドの文化は他人へ優しい寛容な文化だと信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)
上はシーク教の寺院でインド西北にあります。出典は、http://corporalupham5.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89です。
上はシバの祭りのとき子供たちがシバの扮装をしている様子です。出典は、http://blog.ayur-indo.com/?day=20090410です。
上のタージマハールの写真の出典は、http://matome.naver.jp/odai/2131011278701170901/2131011303401188503です。